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2015.02.01 お善哉を炊きました。そして、お善哉の思い出

15日は、お善哉を炊きました。
炊きながら、ふと、15日は「小豆」に関係ある日ではなかったかしら?と思いました。
調べてみると、「小正月(1月15日)には小豆粥を食べ、無病息災を祈ります。」とありました。
「小正月」……「小豆粥」を食べる日なのですね。
私は、小豆粥ならぬ、お善哉と行きましょう!




お善哉は、我が家ではいつも、おやつではなくお昼ご飯です。
こんなに大きな器なのに、お変わりを2回もしました。
子供の頃、お正月には母が必ずお善哉を作ってくれましたので、私達子供は、どんぶりで
3杯程お変わりをしていました。喜んで大騒ぎをしていたように思います。
ですから、今でも当たり前にどんぶり3杯は食べます。
そんなに善哉好きですが、お店の善哉は甘すぎて食べられなかったのを思い出します。





山ほど作っていましたのに、写真を撮るのを忘れました。
次の日には、こんなに少なくなっていました。





私は、中に入れるお餅は煮餅(善哉の鍋に入れておくだけなので簡単)で、あまり焼き餅にはしません。
いつもなら、お善哉を作る前に、出し昆布(出汁を取った後の)と山椒の実で塩昆布を作りますが、
今回は間に合わなかったので、奈良漬けを添えています。
(あ、お茶はお善哉を食べ終わってから、煎れます。)


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お善哉では、思い出すことがあります。
今年の1月17日に阪神大震災から20年目を迎えましたが、12年目の13回忌の時のことです。
神戸の喫茶店の女性店主が、1月17日の命日に、一日中無料でコーヒーを提供すると言いました。
その場所は、地震の前に古い木造長屋が建っていて、それが全壊し大勢の方が亡くなった所です。
その跡地に建った建物の一軒を借りて,彼女は喫茶店を始めていたのでした。
彼女は熱心な仏教徒です。同じく神戸に住んでいた私自身も、町内で大勢の方が亡くなりましたので、
一緒に供養をさせて貰おうと思い、お善哉の差し入れを申し出ました。

その時は、私は既に西宮に転居していましたが、大きな寸胴鍋一杯のお善哉を炊いて、朝早くそれを
タクシーで運びました。

お善哉はアク取りなどに手間と時間がかかりますので、仕事が忙しかった私は、夜中に作りました。
体調を崩したのか車に酔い、少しあげそうでムカムカしていた私の目に、朝6~7時頃と言うのに、
歩道に大勢の人が居て西へ西へと歩いているのが見えて驚きましたが、それは皆さん供養の為に
神戸の激震地跡へ向かって歩いておられるのだとわかりました。毎年こうしておられたのでしょう。

神戸に到着し、喫茶店へ持ち込むと店主は大変喜んでくれました。
彼女は、震災発生時間の5時46分には供養をされる為、朝5時にはお店を開けておられたのです。
お善哉を一杯だけ頂いて帰りましたが、とても美味しく出来ておりました。(お善哉は自信があります。)
それから三日目に訪ねましたら、偶然にも最後の一杯が残っていましたので、私に締めをして下さい
とのことで締めの一杯を美味しく頂いて終らせ、空のお鍋を持って帰りました。

お善哉は、甘さの具合がとても良いとのことで、皆さんに大好評だったそうです。
もちろん、供養ですからお善哉も無料で提供して貰いました。

それから、すでに8年が経ち、震災後20年となりました。
震災当時、神戸の惨状を見たある建築家が「この復興は20年掛かる」と言われていたのを思い出します。
建築家ですから、建物や都市構造のことでしょうが、家族を失った方々にとっては、精神的な復興は
まだまだ時間がかかるかも知れませんね。

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