デザインの最初の仕事は、某大手印刷会社の外注先としてでした。
もう、40年近く前になります。
その時の得意先の担当の人たちは、子会社の社長や本社役員などほとんどが、部長職以上になっています。
皆さん、何せ還暦前後の人たちですから・・・
その方の中にFacebook上で友達になってる人が3人います。
昨日、その内のひとりのFacebook近況アップデートで、当時の仕事関係の人たちが出展してる作品展を知り、今日、行ってきたんです。
得意先のディレクターの方はカメラマンやレリーフ作家、デザイナーだった人はカリグラフィー作家として、いくつも作品を出品していました。
作品展に来られた人のサイン帳を見ると、そこには懐かしい名前がいくつも・・・
偶然、会場には子会社の社長になられた、当時の得意先担当の方も来ていて、作家も交えて1時間程話しをしました。
さながら、同窓会です。
でも、一番嬉しかったのは、皆さんが高島平の地域活動に、非常に関心を示してくれたことです。
私の活動を知ってる子会社の社長さんは、わざわざ宣伝までしてくれました。
やはり、モノを作る人たちは、これからも仲間です。
『思い出は美しすぎて』 - 八神純子
もう、40年近く前になります。
その時の得意先の担当の人たちは、子会社の社長や本社役員などほとんどが、部長職以上になっています。
皆さん、何せ還暦前後の人たちですから・・・
その方の中にFacebook上で友達になってる人が3人います。
昨日、その内のひとりのFacebook近況アップデートで、当時の仕事関係の人たちが出展してる作品展を知り、今日、行ってきたんです。
得意先のディレクターの方はカメラマンやレリーフ作家、デザイナーだった人はカリグラフィー作家として、いくつも作品を出品していました。
作品展に来られた人のサイン帳を見ると、そこには懐かしい名前がいくつも・・・
偶然、会場には子会社の社長になられた、当時の得意先担当の方も来ていて、作家も交えて1時間程話しをしました。
さながら、同窓会です。
でも、一番嬉しかったのは、皆さんが高島平の地域活動に、非常に関心を示してくれたことです。
私の活動を知ってる子会社の社長さんは、わざわざ宣伝までしてくれました。
やはり、モノを作る人たちは、これからも仲間です。
『思い出は美しすぎて』 - 八神純子