CubとSRと

ただの日記

序曲「ルスランとリュドミーラ」(わきまえる)

2020年06月02日 | 心の持ち様
2010.11/27 (Sat)

 柄にもない、音楽の話を一つ。

 学生の頃、初めて、本物のオーケストラが街にやって来ることになりました。
 事情がありますので、名前は伏せますが、とにかくプロのオーケストラがやって来る。N響や、新日本フィルほどではないけれど、名の知れたオーケストラです。

 聞きに行きたいけど、先立つ物がない。
 同級生が行くと言うもんだから、
 「いいなあ、見たいけどなあ」
 と言ったら、
 「内緒で録って来るから、聞かしたるわ」

 期待して待ってましたよ。と言っても、クラシックなんてちっとも知らない。
 中学校の時に音楽鑑賞ということで、いつも、何でもフォルティシモでしか歌わない、鍵盤が割れるかと思うほどの勢いでしか弾かない、ゴリラみたいな音楽の先生が、ステレオも最大限の音でよく聞かせてくれたんですが、全く覚えてない。
 ステレオの、あまりの大音量に寝ることもできなかった筈なんですが。
(ベートーヴェンの五番。これは知っていましたけどね)
 だから、本物のオーケストラの音ってどんなだろうという好奇心だけ、の期待です。

 数日後、約束どおり、こっそりと録音したという、くぐもった音のテープを聞かせてくれました。
 確か、最後にやったのがブラームスの何番だったか、いや、チャイコフスキーだったかな?とにかく、名前を覚えている程度で、やっぱり、中学校と一緒。あとは、真っ白。

 さて、数曲の演奏の中で、一番目にやった曲が軽快な曲で、初めて聞いたんだけれども、どうも景気付けによく組まれるみたいで一遍に気に入りました。
 歌劇「ルスランとリュドミーラ」序曲(作曲 グリンカ)、です。
 くぐもった音でも、テンポ、曲調は分かりますから、、何しろ第一印象は「ええ~っ、あんな速さで弾くのか!すごい!プロってのはすごいもんだな~っ」、だけです。

 もう、それからしばらくの間は、何かの拍子に、しょっちゅう頭の中で「ルスランとリュドミーラ」が鳴り響いている。
 まず、グリンカという名前も知らないくらいだから、「ルスランとリュドミーラ」なんて歌劇が、どんな内容なのかも知らない。ただ、序曲だけを聞いて気に入った。何かというと、頭の中で鳴り響く。CDなんて勿論、ない。高価なLPレコードは貧乏学生にはとても買えない時代です。ステレオなんて、当然、ないし。
 とにかく、もう、本当に、そのオーケストラのおかげです。
 私の、クラシック第一歩。

 それから数ヶ月。FMで偶然これが流れた。
 「おっ」と思った瞬間、「ん?」となった。あの大好きな「ルスランとリュドミーラ」じゃない!?
 いや、あの曲だけれど、ちっとも軽快じゃない。何だか印象が違い過ぎる。
 あの大好きな序曲はまるで「よっしゃ!行っけ~っ!」みたいな感じで、早い者勝ち、「我こそは一番乗り~っ!」みたいな勢いだったのに、今聞こえて来るのは、メトロノームにあわせてカッチ・カッチ・カッチ・チーン、みたいで、これじゃまるで北朝鮮軍の行進じゃないか!!

 「ええ~っ?!」と思いながらも、しかし、すぐに、このきちっとした演奏のテンポが、実は、あの初めて聞いた演奏よりも速いことに気がついた。
 これは一体どういうことだ。

 このオーケストラは、アムステルダム・コンセルトヘボウ。
 「コンセルトヘボウ」ってのはおそらく「コンサートホール」という意味なんでしょう。知らんけど。
 とにかく、オランダで一番と言われていた楽団です。下手なわけはない。
 第一、テンポは間違いなく、こっちが速い。なのに遅く感じるし面白くない。

 音楽やってる人なら、疾くにわかっていることでしょうが、あえて書きます。
 前出のオーケストラは、演奏者の技術が低く、早い話、弾くだけで精一杯だったんです。だから、フレーズ毎に何とか合わせてはいるけれど、(旋律として辻褄はあわせているものの)、それぞれの音符の長さが奏者毎に、微妙にずれていたわけです。
 言ってみれば、声明(しょうみょう)、或いは読経、祝詞を(指揮がないので)集団でやっているようなものになっていた。
 マスツーリングで、しょっちゅうスロットル開けてないと追いつけない、みたいに。
 でも、弾く方はそれどころじゃなかった。

 というわけで、オーケストラの名前は出せません。
 でも、私は今でもこのオーケストラの、序曲「ルスランとリュドミーラ」を思い出すんです。しっちゃかめっちゃかの、この演奏を。40年近い昔のことです。

 今になってみるとアムステルダム・コンセルトヘボウの方が「上手く」て「飽きない」だろうことも、十分に分かります。それに比べたら、今、あの演奏を仮に聞いたら・・・・。
 でも、頭の中で鳴り響くのは、これなんです。

 心情(感情)的なものと、理性的なもの、というと、当然世の中は「理性的であれ!」と言う。「感情的であれ!」とは言わない。
 だから、我々は理性的であるべく、日夜努力している
 で、努力しているから、辛くなった時は休憩しようとする。
 だから、と言って「感情的になる」わけにはいかないから、音楽を聴いたり、酒をのんだりして、抑圧していた感情を解放しようとする。
 「ほどほど」でないと、社会に悪影響を及ぼすから、「ほどほど」の安全弁が、酒だったり、音楽だったりします。
 酒は、感情抑圧を開放する装置、なのではなく、「ほどほど」に、の安全装置です。
 こうやって、上手に心情(感情)までもコントロールするようになる。
 これが大人というものです。
 
 この話、70年安保の話と交錯しています。
 酒を飲んだりしなければ、まず、心情的なものは、日常生活で出て来ない。それが、飲んでもいないのに、何かの拍子でポロッと出た、としたら、その人は、心情的なものを理性でコントロールする力をまだ、持って居ないということになる。それが政治家だったとしたら・・・・・。

 しっちゃかめっちゃかの「ルスランとリュドミーラ」は、過去の良い思い出で、自分にとっては大事な物であるけれど、これは私だけの宝物。他の人にとっては粗大ゴミの可能性大。だから勧められません。
 「振り」、だけなら言うまでもないけれど、本当に「一所懸命」に取り組んだとしても、これができなかったら、やっぱり、人の上に立つべきではない。

   音楽の話の筈だったんですが・・・・・・・。
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「こどもは天才wwww」

2020年06月02日 | 心の持ち様
2010.11/29 (Mon)

 昼に食べる物がない。御飯は昨晩食べてしまったし、食パンを食べるというのも味気ない。スパゲティーは、と見たら、一人前しかない。素麺?一把だけ。

 というわけで、買い物に出ました。
 うどんや蕎麦を買って、自転車での帰り道。
 周囲の田圃のすぐ向こうには、小山が連なっています。少し先には、石見銀山の監視のために置かれた、石見城跡のある山も見えます。
 
 今が紅葉の真っ盛り・・・・と言いたいんですが、紅葉はない、と言ってもいい。
 黄葉真っ盛り。
 この辺りは、楓やはぜの木が、ほとんどない。

 「秋の夕日に照る山もみじ」という歌詞を思い出したんですが、「秋の夕日」は良いけれど、「照る山 もみじ」なのか、はたまた、「照る 山もみじ」なのか、どっちなんだろう、と気になります。

 気になり始めると、調べなければ気がすまない、なんて向上心よりも、つい、「ところで」となる游学心(?)の方が強くて、「そういえば」、となってしまった。
 「赤い靴はいてた女の子」は、誰が連れて行ったか。
 「猫が好き」という30分の番組がありました。もたいまさこを長女として、室井滋、小林聡美の三姉妹の変な日常を、確か、三谷幸喜の脚本だったと思うんですが。その中だったと思います。

 「赤いくつ~は~いてた~お~ん~な~のこ~」は
 「ひいじい~さんに~」連れられて行った、という説。
 「いいじい~さんに~」連れられて行った、という説。
 勿論、正解は
 「い~じんさんに~」連れられて行くんですが、この三つの説で、子供として一番こわいのは最後の「異人さんに連れられて行く」、でしょう。

 紅毛碧眼か、金髪赭顔か、はたまた、銀髪鼻眼鏡なのか知らないけれど、作者は大人だから、詩情溢れる「異人さん」を思い浮かべたんでしょうが、子供としてみたら、どの「異人さん」だって詩情は、ない。ただ怖い。
 「人さらいにさらわれる・・・・・」。
 だから、無意識のうちに、わざと聞き間違えて怖くないようにしたのではないか。そんなことを思いました。「異人さん」、なんて言葉、聞き慣れないから、ただ分からなかった、が本当でしょうが。

 葬式をやっている家の前を通り掛った、二人連れのわんぱく坊主。
 大人なら、黙って急いで通り過ぎるところ、大きな声で、
 「てへっ、涙だなあ!」と言った。
 何と子供は残酷なものか、と。
 それくらい、「子供というものは、容赦のない言葉を投げつけるものだ」と書いてあるのを読んだことがあるんですが、こりゃ、逆じゃないかな、と、ふと思いました。
 わんぱく坊主一人だったら、だまって通り過ぎるどころか、すくんでしまうでしょう。大の大人が何とも言えない沈み込んだ顔をして、中には、いつもの分別顔をくしゃくしゃにして泣いている者もいる。こりゃ、ショックです。
 こどもはそれだけで、悲しみに感染して泣きべそをかいてしまう。
 それが、二人いれば、そんな顔は「お互い」(からかわれるだろうから)できない。でも、気を弛めると泣いてしまう。だから・・・・というわけです。
 お互い強がって、自分が悲しみに感染したことを悟られまいと、彼等なりに悪ぶって見せる。

 「てへっ、涙だなあ!」
 大人が言ったら、悪意に満ちた感じにしか聞こえない、この言葉を、子供が遣えば、悪意は感じられず、ただ「残酷だ」と見える。
 けど、子供が泣くまいと必死で戦っているのだ、ということを、認めては、やらないんですよね。何故でしょうね。

 こんなことはよくある。
 以前に読んだ本に、小学校低学年だかの話があって、「ひもを結ぶ」授業だったんだそうですが、蝶々結びか何かを教えて、
 「さあ、身の回りの何かを結んで(括って)みましょう」、と先生がみんなに数十センチの紐を渡した。
 鉛筆とか、本とかを、蝶々結びで括ってみようというわけです。

 ところが、一人の男の子。「先生、もっとひも、ほしい!」
 「どのくらい?」「もっと、長~いの」「えっ、何結ぶの?」
 「がっこう!」

 ここで、「子供は天才だ!」となるわけですね。戦後教育は。
 でも、そうではない。
 天才は、実は「天才だ!」と感動した大人の方です。大人なのに感受性が豊かだ。
 子供の方は、結び方の勉強をしたのに、「結び方」でなく、「結ぶ物」の方に目が向いてしまっている。気持ちが初めからそっちにいっているもので、結び方をちゃんと聞いてない。
 だから、「天才だ!」と感動した先生が、彼の言うとおりに数百メートルの紐を渡しても、肝腎の蝶々結びができず、困ってべそをかくか、途方に暮れるのがおちです。バランスがまるで分かってない。

 この辺り、「思い込み」というのは大変です。
 この程度で「天才だ!」、なら私も天才だったかもしれません。
 小学校入学前の検査の時、
 「木にできるものは何ですか?」と問われた。
 「りんご!」とか「みかん!」とかいう答えを期待して、でしょう?普通は。
 私は得意満面で「時計!」と答えた(らしい)。
 何故って、子供の頃の「柱時計」は、箱型の「木」でしたから。

 「木『に』できるもの」と、「木『で』できるもの」・・・・・。
 だって、一字の違いだけじゃないですか。ほとんど同じだ。子供には。
 検査の結果は「ちょっと問題があるかもしれません」。・・・だったそうです。

 母が笑って、「そりゃ、『木でできているもの』と思ったんですよ」と言っていなければ、今の私は存在していなかったかも・・・・・。


 あれ?紅葉の話をしていたのに、いつの間にか「決めつけちゃいけない」になってしまいました。

 子供は子供。生きた分しか物を知らない。そう、心して子供の相手をする。
 そうしたら、却って自分の勉強になる。
 そこで初めて、(その上で)子供にもきちんと物事を教えることができる、のじゃないでしょうか。
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「あれから40年」

2020年06月02日 | 心の持ち様
2010.11/26 (Fri)

抜粋です。
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 三島は「楯の会」の中に「憲法研究会」をつくり、改正草案に「日本国民は祖国防衛の崇高な権利を有する」と書いた。
 同時に「国民は徴兵を課されない」と書いた。
 国防は名誉ある権利だ。義務にしたら名誉が汚れる、と思ったのだ。

 (愛国心という言葉は)「どことなく押し付けがましい」
 (国の一員であるのに)「国というものを向こう側に対象に置いて、わざわざそれを愛するというのが、わざとらしくてきらいである」という。「国境を以って閉ざされた愛」だ。
 「(愛国心は)官製の嫌なことば。日本は『大和心』で十分」(とも言う。)

 「三島に負け続ける我々ー自決から40年「右傾化の中身(を)問う」                                                                            鈴木邦男
   (朝日新聞  平成22年11月26日付け)より

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 いつもながら、知らないことだらけ、です。
 祖国防衛の「義務」、ではなく、「崇高な権利」を持つのだ、と。
 だから、徴兵ではなく、「志願」、となる。

 「愛国心」は官製語。なぜ、「大和心」でないのか。
 なぜ、わざわざ対象に置いて、「この国」、として愛するのだ。
 「我が国」ではないか。

 あの時(頃)も、そうでした。

 所詮、文学者の御遊びだ。
 国防とは、そんな簡単なものではない。
 国民を守る自衛隊が、銃口を国民に向けてはならない。
 文学に行き詰った結果だ。

 三島由紀夫の思いは伝わっているのでしょうか。

 鈴木邦男氏は、学生時代、「民族派全学連」を形成した、「日学同(森田必勝氏が所属)」と「全国学協」の中で、全国学協のリーダーとなり、全共闘などと武力対立。
 一時、新聞記者となるが三島の死により、政治活動を始め、自衛隊の腐敗を糾弾しようと駐屯地に抗議に行き逮捕され、退社。
 進学塾講師をしながら、右翼団体「一水会」をつくった人です。

 「そこまで言って委員会」に時たま出て、袋叩きにあっている人です。

 ただ、彼の言動を見て、三島由紀夫の死、同志の森田必勝の死によって、どれだけ衝撃を受け、「自分は一体何をしているのだ」と、思い悩んだことを無視して、彼を「わけの分からないことを言う人」と、簡単にレッテルを貼ることは早計、と思います。

 生長の家学生寮で寮長をしていた彼は、玉置和郎、村上正邦と、一脈通ずるものを持っているということと同時に、生長の家に近い平沼赳夫氏とも共通する考えを持っています。ここでは、それはおく、としますが。

 押し付ける気は毛頭ありません。
 ここでは、「三島由紀夫を切り捨てるか、見直すか。どちらが『我が日本』にとって、良いのか」とだけ、言って置こうと思います。
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