書評 しょひょう
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石川達三が著者(阿羅健一氏)に証言を寄せていた
「南京に入ったのは入城式から二週間後、大虐殺の痕跡は一片も見ていません」
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阿羅健一『決定版「南京事件」日本人50人の証言』(育鵬社)
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すでに「南京大虐殺」なる嘘は作り話、政治宣伝のためのフィクションだったことは120%証明された。
この虚報が如何にして誰によって、でっち上げられたか、周知の事実と思いきや産経をのぞく大手メディアが一切書かないので、日本人の殆どが知らない。いや、興味も無いというのが実態だろう。
本書は南京事件がなかったことを生涯かけて、左翼ジャーナリズムの怠慢や、中国系の圧力、日本の第五列とたたかいながら、嘘だというホントの姿を、あらゆる角度から立証した阿羅健一氏の労作の『決定版』である。保存用に子々孫々に伝えるため購入をお勧めしたい。また近くに図書館があれば、購入要望をだしていただきたい。
本書が普及することが日本人の名誉回復に繋がるからである。
阿羅氏は当時、南京にいた画家、写真家、外交官らを丹念に取材し、証言を集めた。また当時の日本の新聞が何を伝えていたかを、すべて蒐集した。証言を取るために旧軍人も訪ね歩いた。
南京『陥落』から四日後、南京城内には平和が戻っていて市民らは日本軍に感謝し、笑顔で対応している。七日後、南京難民区で中国人のこども達を治療する日本軍衛生兵の活躍があった。日本軍が実施した悪疫から守る無料診断の告示がある。これらは歴然たる写真が残っている。
1929年、南京では『反蒋介石デモ』があった。
石川達三(第一回芥川賞作家)は阿羅氏の証言のはがきを寄せた。
「私が南京に入ったのは入城式から二週間後、大虐殺の痕跡は一片も見て居ません。何万の死体の処理はとても二、三週間では終わらないと思います。あの話は私は今も信じて居りません。草々」
近年、次々と立証された例証をいくつかあげると、重慶で圧死した写真を南京大虐殺とすり替えたのは『朝日ジャーナル』だった。東京裁判記録にある「崇善堂」の埋葬記録は虚偽だった。南京郵便袋虐殺事件は被告側の捏造だったことも証明された。
橋本登美三郎という名前をご記憶の人が多いだろう。田中角栄時代の自民党幹事長である。南京当時、橋本は朝日新聞記者として南京に一番乗りを果たした。
政界を引退した83歳のおり、阿羅氏のインタビューに応じて曰く。
「噂として訊いたこともない。朝日新聞は現地で座談会もやっていたが、あったのなら露骨でないにしても抵抗があったとか、そんな話がでるはずだ。南京事件はなかったんだろう」。
50人の証言と、多くの証拠写真が真実を物語っている。
「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和四年(2022)12月6日(火曜日)
通巻第7541号より
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いつの間にか消されているけれど、以前のWikipediaには南京大虐殺記念館(正式名称 南京大屠殺紀念館)は社会党(勿論日本のです)の勧めと多額の寄付金により建設された、ということが書いてありました。
以前に書いた日記です。↓
2012.09/21 (Fri)
何を今更ですが、もう一度。「屠殺と虐殺」の確認。
何を今更ですが、もう一度。「屠殺と虐殺」の確認。
まずはWikiの転載です。
【「南京大虐殺記念館」
中国での正式名称は「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館」。日本では、屠殺と虐殺を同意と考えて南京大虐殺記念館と呼ばれるが、本来の意味は異なる。抗日記念館の代表格として中国共産党により愛国主義教育基地に指定されている。
「建設の経緯」
日本からの要請と寄付 [編集]
日本社会党委員長を務めた田辺誠は1980年代に南京市を訪れた際、当館を建設するよう求めた。中国共産党が資金不足を理由として建設に消極的だったため、田辺は総評から3000万円の建設資金を南京市に寄付し、その資金で同紀念館が建設された[3]。3000万円の資金のうち建設費は870万円で、余った資金は共産党関係者で分けたという。また記念館の設計は日本人が手がけた。】
【「南京大虐殺記念館」
中国での正式名称は「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館」。日本では、屠殺と虐殺を同意と考えて南京大虐殺記念館と呼ばれるが、本来の意味は異なる。抗日記念館の代表格として中国共産党により愛国主義教育基地に指定されている。
「建設の経緯」
日本からの要請と寄付 [編集]
日本社会党委員長を務めた田辺誠は1980年代に南京市を訪れた際、当館を建設するよう求めた。中国共産党が資金不足を理由として建設に消極的だったため、田辺は総評から3000万円の建設資金を南京市に寄付し、その資金で同紀念館が建設された[3]。3000万円の資金のうち建設費は870万円で、余った資金は共産党関係者で分けたという。また記念館の設計は日本人が手がけた。】
何?これ、です。
「虐殺紀念館」を建設するように言ったのは、社会党議員です。
「金がない」と、建設に消極的な中国共産党に3000万の金まで渡して。
870万で建設し、残り2130万は共産党幹部が分け合う。
何ですか?これは。ただの献金じゃないですか。「朝貢」と言ってもいいくらいだ。
挙句に「紀念館」の設計は日本がした。
今はなき社会党。「何でも反対党」だった頃です。
「嘘も百回吐けば真実になる」
「嘘で塗り固める」
わざわざ日本人(記者)が嘘をでっち上げ、野党国会議員がそれに大金を注ぎ込んで型枠を造り、仕上げに与党自民党の有力議員がセメントを流し込んだ。
「金がない」と、建設に消極的な中国共産党に3000万の金まで渡して。
870万で建設し、残り2130万は共産党幹部が分け合う。
何ですか?これは。ただの献金じゃないですか。「朝貢」と言ってもいいくらいだ。
挙句に「紀念館」の設計は日本がした。
今はなき社会党。「何でも反対党」だった頃です。
「嘘も百回吐けば真実になる」
「嘘で塗り固める」
わざわざ日本人(記者)が嘘をでっち上げ、野党国会議員がそれに大金を注ぎ込んで型枠を造り、仕上げに与党自民党の有力議員がセメントを流し込んだ。