年が明けたら店を閉める「神戸堂帽子店」のことを書いた日記を再掲。
(再掲はこれで終わりです。)
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「秘事は睫(まつげ)、じゃないけれど。(神戸堂帽子店)」
2013.05/23 (Thu)
折角神戸に戻ったのだから、帽子を買いに行こうと元町に出た。
日曜日だ。
だからなのかもしれないが、それにしても街がやけに騒々しい。
神戸堂帽子店のある方向を見ると、道路は車両通行禁止になっており、その上、何だか知らん両側の歩道縁に、ビニールシートを敷いて座り込んでいる人々が目立つ。見っともないことこの上ない。
「何だ、久しぶりに来てみたらこの騒ぎは」
と思った瞬間、気が付いた。
今日は神戸祭りの最終日で、パレードがあるんだった。
この元町の東側は、出発か終点だったか。
えらい時に来てしまった。
と言って、今日しかないし。
仕方がない。店が開いていれば御の字、としよう。
ハンチングばかりだったのが、やっとここ数年ハットに対する抵抗もなくなって来ていたので今回は一つ布帛製のハットをと思い、ブログに出ていたミストラルのを見に行こうと思っていた。
幸いなことに店は開いていた。
夏用の帽子が欲しいと店長に言い、そのミストラルのシリーズを見せてもらう。
夏用だから明るい色をと思っていたのだが似合う似合わないがあるだろう。それに関しては自分では思い入れや思い込みがあるから、なかなか判断がつかない。
で、いつも通りの「あなた任せ」でいくことにした。
「自分では能く分からないので、合いそうなものを。」
昔、服屋さんが話してくれたんだけど。
或る時、急いでいたのでネクタイをせずに出てきてしまった。
と言って今からネクタイを取りに帰るよりも、そうだ、デパートに行って適当なものを、と思ってデパートに行ったんだけど紳士物の売り場まで行くのは結構時間がかかる。
で、婦人物のところが近かったからそこへ行って、
「そのスカーフ。あ、値札は取って。そのままでいいから」
と受け取り、その場で畳んでアスコットスカーフの代わりに結んだ。
「デパートの子、『はぁ~』っと言ってビックリしとったわ。」
或る種、武勇伝なわけだが、センスに欠ける当方、こんな真似ができるようになるまでには相当の習練が必要だ。
というわけで・・・。
言ってみるものだ、出された帽子はやや濃いめのグレー。とてもじゃないが思っていた「夏」の風ではない。
もう一つ出されたのは薄い茶色だったが、やはりこちらの方が、と薦められたのはグレーの方だった。
「顔が赤黒いから、おさまりが悪くはないですか」
と聞くと、
「この色は顔色を明るく見せるから良いと思いますよ」
と言われる。
へぇ~、と感心するかしないかの間に、もう一つ能く似たのを出してきて、
「こちらの方が良いでしょうね」
「??」
どこが違うんだろう。
でも鏡に映ったところを見ると、確かに微妙に違う。顔が少し小さく見える。
つば(ブリム)の幅が、やや広めになっている。そのせいで、帽子が顔より大きく映るため、顔が僅かに小さく見えるらしい。
「ぼくらは肩幅と顎の形とのバランスを見て、つばの大きさを見るんです」
分かったようで分からない。
「(私の)肩幅は広い方なんですか」
「肩幅より顎が細い感じの人は、つばが大きいと帽子が目立つ(帽子に被られている)感じになるんです」
つまり、しもぶくれの顔で肩幅より顎の下辺りが目立つ者は、大きなつばにしてクラウン(帽体)は正面から見たとき、やや細めの三角形にすると、バランスが良くなる。
反対に顎が細い感じで、肩幅の方が目立つ者は、つばを小さくして顎が負けないようにする。その上で、クラウンはきっと逆で太めの三角形。
言われてみればその通り。肩幅より顔の大きさ(顎の形)の方が目立つ者には、帽子はつば広の、大きく見えるものでバランスを取る。
以前に書いたピアニストの、フラメンコダンサーが被ってるみたいな極端につばの広い帽子がやけに似合っていたのは、頭がでかいのではなく(確かにそれは遠因ではあるのだけれど)顔が大きい、顎の辺りが大きいからなのだ、と今になってやっと気が付いた。
ということは片岡千恵蔵の多羅尾伴内。あの大きな顔に何故あんなにソフトハットが似合うのかと思っていたのだけれども、あれもまた、幅広のブリムと細めの三角形になったクラウンの魔術だったのだ、ということになる。
頭の大きさ、というのは満更間違いではない。けれど、要は顔の形、それも帽子で隠れない部分の形が帽子の形を決めるというのが正しいのかもしれない。
何のことはない、洋服と一緒なんだ。撫で肩の人には肩パッドを入れ、脚を長く見せるために股上を深くする。後は見る人が勝手に誤解してくれる。
それも見る人の大方は
「何だぁ?騙しやがったな!」
とはならない。
「なるほど!お洒落だな」
と、騙されて感心している。
今回(も)、「顎の形と肩幅のバランス」という、考えようによっては当たり前過ぎることを、言われるまで全く気が付かなかった。
「秘事は睫」と言うけれど、肝腎要のところは身近にあり過ぎて、なかなか分からないものだ。
そういった肝腎要のところを分かる、「指先でなく、指す月を見る」にはどうしたら良いのか。
これは日本人の大得意なところだ。質問する前に、謙虚さを以て物事を見詰めていれば良い。その上での質問に対してなら、必ず応えてくれる人がいる。
是々非々とか計算づく、損得勘定を以て見詰めたり、問うたりしたならば相手もそれに反応するから、下品な駆け引きにしかならないけれど。
まあ、それ以前に、何をやっても生半可な知識や教養が邪魔をして、自身の目を曇らせてしまうんですけどね。
帽子一つだってそうなんだから、天下国家のことなんて「『世界は腹黒い』から、自分も腹黒くならなきゃ」、でなく、却って自身が「曇ってないか」ばかりを気にかけてじっと見つめることの方が大事なんじゃないでしょうか。
道義国家だなんだって言っても、実現させるのは我々国民の志なんですから。
日曜日だ。
だからなのかもしれないが、それにしても街がやけに騒々しい。
神戸堂帽子店のある方向を見ると、道路は車両通行禁止になっており、その上、何だか知らん両側の歩道縁に、ビニールシートを敷いて座り込んでいる人々が目立つ。見っともないことこの上ない。
「何だ、久しぶりに来てみたらこの騒ぎは」
と思った瞬間、気が付いた。
今日は神戸祭りの最終日で、パレードがあるんだった。
この元町の東側は、出発か終点だったか。
えらい時に来てしまった。
と言って、今日しかないし。
仕方がない。店が開いていれば御の字、としよう。
ハンチングばかりだったのが、やっとここ数年ハットに対する抵抗もなくなって来ていたので今回は一つ布帛製のハットをと思い、ブログに出ていたミストラルのを見に行こうと思っていた。
幸いなことに店は開いていた。
夏用の帽子が欲しいと店長に言い、そのミストラルのシリーズを見せてもらう。
夏用だから明るい色をと思っていたのだが似合う似合わないがあるだろう。それに関しては自分では思い入れや思い込みがあるから、なかなか判断がつかない。
で、いつも通りの「あなた任せ」でいくことにした。
「自分では能く分からないので、合いそうなものを。」
昔、服屋さんが話してくれたんだけど。
或る時、急いでいたのでネクタイをせずに出てきてしまった。
と言って今からネクタイを取りに帰るよりも、そうだ、デパートに行って適当なものを、と思ってデパートに行ったんだけど紳士物の売り場まで行くのは結構時間がかかる。
で、婦人物のところが近かったからそこへ行って、
「そのスカーフ。あ、値札は取って。そのままでいいから」
と受け取り、その場で畳んでアスコットスカーフの代わりに結んだ。
「デパートの子、『はぁ~』っと言ってビックリしとったわ。」
或る種、武勇伝なわけだが、センスに欠ける当方、こんな真似ができるようになるまでには相当の習練が必要だ。
というわけで・・・。
言ってみるものだ、出された帽子はやや濃いめのグレー。とてもじゃないが思っていた「夏」の風ではない。
もう一つ出されたのは薄い茶色だったが、やはりこちらの方が、と薦められたのはグレーの方だった。
「顔が赤黒いから、おさまりが悪くはないですか」
と聞くと、
「この色は顔色を明るく見せるから良いと思いますよ」
と言われる。
へぇ~、と感心するかしないかの間に、もう一つ能く似たのを出してきて、
「こちらの方が良いでしょうね」
「??」
どこが違うんだろう。
でも鏡に映ったところを見ると、確かに微妙に違う。顔が少し小さく見える。
つば(ブリム)の幅が、やや広めになっている。そのせいで、帽子が顔より大きく映るため、顔が僅かに小さく見えるらしい。
「ぼくらは肩幅と顎の形とのバランスを見て、つばの大きさを見るんです」
分かったようで分からない。
「(私の)肩幅は広い方なんですか」
「肩幅より顎が細い感じの人は、つばが大きいと帽子が目立つ(帽子に被られている)感じになるんです」
つまり、しもぶくれの顔で肩幅より顎の下辺りが目立つ者は、大きなつばにしてクラウン(帽体)は正面から見たとき、やや細めの三角形にすると、バランスが良くなる。
反対に顎が細い感じで、肩幅の方が目立つ者は、つばを小さくして顎が負けないようにする。その上で、クラウンはきっと逆で太めの三角形。
言われてみればその通り。肩幅より顔の大きさ(顎の形)の方が目立つ者には、帽子はつば広の、大きく見えるものでバランスを取る。
以前に書いたピアニストの、フラメンコダンサーが被ってるみたいな極端につばの広い帽子がやけに似合っていたのは、頭がでかいのではなく(確かにそれは遠因ではあるのだけれど)顔が大きい、顎の辺りが大きいからなのだ、と今になってやっと気が付いた。
ということは片岡千恵蔵の多羅尾伴内。あの大きな顔に何故あんなにソフトハットが似合うのかと思っていたのだけれども、あれもまた、幅広のブリムと細めの三角形になったクラウンの魔術だったのだ、ということになる。
頭の大きさ、というのは満更間違いではない。けれど、要は顔の形、それも帽子で隠れない部分の形が帽子の形を決めるというのが正しいのかもしれない。
何のことはない、洋服と一緒なんだ。撫で肩の人には肩パッドを入れ、脚を長く見せるために股上を深くする。後は見る人が勝手に誤解してくれる。
それも見る人の大方は
「何だぁ?騙しやがったな!」
とはならない。
「なるほど!お洒落だな」
と、騙されて感心している。
今回(も)、「顎の形と肩幅のバランス」という、考えようによっては当たり前過ぎることを、言われるまで全く気が付かなかった。
「秘事は睫」と言うけれど、肝腎要のところは身近にあり過ぎて、なかなか分からないものだ。
そういった肝腎要のところを分かる、「指先でなく、指す月を見る」にはどうしたら良いのか。
これは日本人の大得意なところだ。質問する前に、謙虚さを以て物事を見詰めていれば良い。その上での質問に対してなら、必ず応えてくれる人がいる。
是々非々とか計算づく、損得勘定を以て見詰めたり、問うたりしたならば相手もそれに反応するから、下品な駆け引きにしかならないけれど。
まあ、それ以前に、何をやっても生半可な知識や教養が邪魔をして、自身の目を曇らせてしまうんですけどね。
帽子一つだってそうなんだから、天下国家のことなんて「『世界は腹黒い』から、自分も腹黒くならなきゃ」、でなく、却って自身が「曇ってないか」ばかりを気にかけてじっと見つめることの方が大事なんじゃないでしょうか。
道義国家だなんだって言っても、実現させるのは我々国民の志なんですから。