CubとSRと

ただの日記

替えはないのだから丁寧に

2022年12月08日 | 日々の暮らし
 11月30日(水)

 月曜の、久し振りの出石往復で、昨日は疲れが残っているかもしれない、そうだったら「朝早くから雨」というのが理想だったのだけれど、なかなか思い通りにはいかない。
 朝4時。雨の降り始める時間はもっと後になる雰囲気。仕方なしに(でもないけど)散歩に出る。

 25日(金)から思いついて站椿(たんとう)をやっている。
 と言っても僅か3~5分だが。
 毎朝、一時間やっていたのは三十歳前後のことだから、もう四十年も前のこと。
 事情あってちょっと休憩、としてから気が付けば四十年(は大袈裟だが。まあ、似たようなもの)。そう考えてみれば、そのいい加減さから、最近になって片足立ちでさえままならなくなって来ていたのは自業自得と知れる。

 25日は僅か一分がふらついて愕然とした。翌日は2分、翌々日は3分、ときて一昨日から5分になったか。この間、びっくりするくらいバランスが悪くなっていたのを実感する毎日だったが、自転車じゃないけど、やはり全く忘れてしまっているということはないらしい。

 これは場合によっては散歩よりもはるかに効果があるんじゃないかと思う。何しろ思いついたらどこでもできるので、台所で薬缶に湯が沸くまでの十分足らず立ってみる、なんてのも意外にあり、かもしれない。

 「湯、沸かしながら他のことをするのは当たり前じゃない?」ということで、これまでは料理の下拵えや他の準備をしていた。けど、他の準備をしている途中で湯は沸いてしまうことが多い。当然他の作業は中断して火を弱める(或いは止める)ためにガスレンジに向かう。たかが一秒の空白。
 一本の線香が燃え尽きるまでするのが座禅の基本らしいが、その間「たかが一秒」、と休むか?
 湯が沸く時間だけでも意識して「呼吸を整え」「身体を調える」工夫をしたって良いんじゃないか。

 さて。
 散歩から帰って来ても雨は降らない。
 実際に降り出したのは予報よりかなり遅れた朝8時頃だった。それから後はとにかくずっと雨。南からの横殴りの風雨で、欄間障子の一番西の一枚が雨漏りで濡れ始めた。慌てて雑巾を敷き、落ちてくる雨漏りを受ける容器を置く。

 結局、一日雨で、当然外出はできず、ある物で酒を飲む。飲んだ量はいつもの通りだったのだが、食べ過ぎたせいか調子が悪く数年ぶりに吐きそうな気がしたのでトイレに二度ほど籠城する。
 吐けばすっきりするが、代わりに疲れが残る。指、突っ込んで吐いてすっきりするか。だましだましで耐えるか。後者を選ぶ。

 何とか収まったが今朝も調子は悪い。腹が何となく痛い。体内というより、背中から両脇腹にかけて。腎臓か?と思ったがよく似た痛みを経験していたことを思い出した。以前に胆石の手術を受けた時、麻酔が切れてから背中を木刀で打たれたような痛み。腎臓じゃない。

 痛む箇所が移動している。腹痛ではなく筋肉痛のようになり、場所は左右脇腹の背中寄り。
 ということは、これ、二日ほど前からやっている脚上げのせいか?
 そう思いついて今やってみた。痛いところは確かに重なっていた。
 何だ、そうだったのか・・・ということになるかどうかは、数日たって見ないと分からない。
 
 
コメント
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