12月12日(月)
珈琲店へ。今日は久し振りに一杯。ブレンド豆を100グラム。
店内を見るともなく見る。
カウンター席に何だか以前に見た覚えのある後姿があった。
派手なツイードらしいジャケットに、禿頭小太り。よく見ると後頭部の髪を括っている。
知り合いというのではなく、何度かここで見かけた客だ。
「こんな格好の人、って一体何をやってるんだろう。やっぱり『クリエイティブ』な仕事、か?」
確か以前に見かけた時も同じジャケットだった。
えらく派手なのに気負いも何もなく着ている感じで、その様子が似合っているとか何とかは度外視、実に自然だ。
神戸で職に就いて数年の頃、元町の商店街を歩いていたら赤いシャツにベージュのスーツを着た老人に何度か遭った。
赤いシャツなんて。それも爺さんが。田舎だったら奇妙なものを見る目で遠巻きに眺められるのがオチだ。赤シャツは「坊ちゃん」の昔から気障の象徴じゃないか。
しかし元町を歩いていた老人はあまりにも自然だった。
背筋の伸びたその姿に「流石に神戸は違うなぁ。あんなにかっこいい爺さんが普通に歩いているんだ」と、だからその都度感心していた。
後にそれが詩人の竹中郁だと知って、あの人が特別だったのかな、と思い直したけれども。
目の前の後姿は・・・まあ、とにかく自然だった。
連れらしい男の人と喋っているところに新しい客が一人、店内に。
思わぬ遭遇だったようで、連れらしい男に新しい客を紹介し始めた。
新しい男も連れらしい男も地味な背広で店の中に溶け込んでいる。派手なジャケットだけが照明に浮いている。
三人で話し始めたのが止まらない。合間に「豊岡の~」とか「校長になって~」とか「出世した」とか聞こえてくる。
どうも学校に勤めているような雰囲気の言葉が混じっている。
(ということは、この人たち、まだ60前ということか?)
彼らは大人然としている。
何だかもうすぐ七十になろうとする自分のことがガキっぽく思えてしまう。
でも、今これを書きながら思い返してみると、あの大人びた風采で、「仕事の出世が云々」を話しているのは、逆に世間一般からすれば随分子供っぽい感じもする。
まあ、彼らに更に十年足して七十近くになった奴が、革ジャン着てだいぶ草臥れたバイクに乗って珈琲を買いに来ている、なんてのは更にガキっぽいのだろうが。
そりゃ確かにレザージャケット着て機嫌よくSRに乗ってる爺さんは、見た目は別にして心はガキだ。
自慢なんかじゃない、正直恥ずかしいけど、「已むに已まれぬ大和魂」、じゃなかった「已むに已まれぬバイク乗り(魂)」だから。