2015.04/26 (Sun)
できの悪い学生で、90分の授業をちゃんと聞く辛抱がなく、聞いている話も私には少々以上に難しい。
で、当然のように居眠りをする。それも「舟を漕ぐ」なんて芸当はできず、気づいた時は完全に土左衛門状態になっていて、教室の時計を見ると30分近く針が移動している。
何が情けないといって、それでも授業の時間はまだ三十分くらい残っていると気づいた時の情けなさときたら。恥ずかしいのと脱力感と絶望感が大挙して押し寄せてくる。
まあ、ほとんどの講義(まだ入学したてで、講読も演習もない)がそんな具合で、でも折角高い金払ってもらって来させてもらってるんだからちゃんとしなくちゃ、と殊勝な思いが頭をよぎり、そしてまた、講義についてゆけない頭は睡魔に容易く打ち破られ・・・・。
そんな中でたった一つ居眠りをしない、全く眠くならない講義があった。「歴史」という講義だった。(何もなし。ただ「歴史」)
内容はその先生の講演を冊子にしたもので、その本を一年かかって習う、というもの。そしてその冊子が「吉田松陰」について講演した(らしい)ものだった。
たった一回、一時間半かそこらで吉田松陰について概容を述べたものを冊子にした。それを一年かけてやる。何ともはや、な「歴史」、だ。
「大体そんなもの、一年もかかるわけないじゃないか。これはつまり、あれだな、書店に並ぶこともない本を数百冊だけでも教科書として買わせれば、それなりの収入になる、と。大学の先生の小遣い稼ぎか。」
いやらしい考えの持ち主である。先生が、ではない。自分が、だ。それは最初の講義の時に気付かされた。
できの悪い学生で、90分の授業をちゃんと聞く辛抱がなく、聞いている話も私には少々以上に難しい。
で、当然のように居眠りをする。それも「舟を漕ぐ」なんて芸当はできず、気づいた時は完全に土左衛門状態になっていて、教室の時計を見ると30分近く針が移動している。
何が情けないといって、それでも授業の時間はまだ三十分くらい残っていると気づいた時の情けなさときたら。恥ずかしいのと脱力感と絶望感が大挙して押し寄せてくる。
まあ、ほとんどの講義(まだ入学したてで、講読も演習もない)がそんな具合で、でも折角高い金払ってもらって来させてもらってるんだからちゃんとしなくちゃ、と殊勝な思いが頭をよぎり、そしてまた、講義についてゆけない頭は睡魔に容易く打ち破られ・・・・。
そんな中でたった一つ居眠りをしない、全く眠くならない講義があった。「歴史」という講義だった。(何もなし。ただ「歴史」)
内容はその先生の講演を冊子にしたもので、その本を一年かかって習う、というもの。そしてその冊子が「吉田松陰」について講演した(らしい)ものだった。
たった一回、一時間半かそこらで吉田松陰について概容を述べたものを冊子にした。それを一年かけてやる。何ともはや、な「歴史」、だ。
「大体そんなもの、一年もかかるわけないじゃないか。これはつまり、あれだな、書店に並ぶこともない本を数百冊だけでも教科書として買わせれば、それなりの収入になる、と。大学の先生の小遣い稼ぎか。」
いやらしい考えの持ち主である。先生が、ではない。自分が、だ。それは最初の講義の時に気付かされた。
つい一ヶ月ほど前までは高校生だったといっても、その人の風体、物腰、顔付きを見れば、或る程度のことは分かる。
年季の入った地味な背広に骨と皮だけのような痩躯を包み、口元には笑みを浮かべながらも小さな目はしっかり見開かれている。決して圧力に屈することのない迫力がある。数冊の本をいつも風呂敷に包んで抱え、一方の手には常にコウモリ傘が掛けられている。
講義で、この松陰のことを書かれた本はほとんど使われなかった。と言うより、数行読んだら後は先生の話を聞くだけだった。
「話を聞く」と言っても、吉田松陰は滅多に出てこない。先生自身の事、或いは四方山話で、特に「身振り手振り可笑しく」というわけではないのに話が実に面白く、いつも気が付いたら90分が過ぎようとしている。
別に落語や講談のような、「芸」といった感じの話しぶりでもない。ごく普通の、やや歯切れの良い話し方、程度なのに何故か惹きつけられる。
「近頃、肩凝りを感じるようになった。それは机に向かう姿勢が悪かったからだと思う。気を付けていたつもりでも、少しずつ悪いところが積み重なって『肩凝り』として出てきたのだろう。段々に気が緩んで来てるんですね」
「疲れてくるとやる気がなくなってきます。そんな時に、『これじゃいかん』と『えいっ』と気合を入れるんです」
「先生は雨が降ってもいないのに、何でいつも傘を持ってるんですか、と聞かれるんですが、講演などに行くと暴漢に襲われるかもしれない。そんな時にはこの傘で『えいっ』と突いてやるつもりなんです」
そういう話が面白く、全く講義を受けているという気がしない。
だからあっという間に時間が経ってしまう。何も習ってないような気がするんだけれど、何となく「やるぞ!」みたいな気持ちになっている。それでこの「歴史」の講義は人気があった。
でも、何故「歴史」なのに「吉田松陰」なんだろう。それにこんな薄っぺらい本一冊で、更にはそれをほとんど使わないで、何で「歴史」、なんだ?
だからと言って誰も文句は言いません。文句を言わないからと言って、「息抜きの時間だ」、と馬鹿にしているわけでもない。ただその先生の話を聞いて(おそらくは)、元気になって「やるぞ!」と思っている。そんな気がします。
あれから四十年。(どこかで聞いたフレーズですが)
今はそれが分かります。何故「歴史」、だったのか。何故「吉田松陰」だったのか。
・「暴漢が来たら傘で突いてやる」、って実際にするのではない。「(その)覚悟を以て生きる」ということです。
「傘で突くこと」ではなく、「覚悟」が大事で、自分はそれを通そうと思っている、と。
(それを実践し、その姿を見せる。まだ大して目の見えない若者には、だから話して聞かせる。)
・『これじゃいかん』と『えいっ』と気合を入れるんです。
(自分で自分を律するというのは難しいようだけど、こんな簡単なことでもしたことはあるのか。)
・「肩が凝るのはこれまでに積み重ねてきた悪い癖の故」
(普段の生活を見詰めないで(日常の研究作業をしないで)、外を批判するだけで、思う結果が出るだろうか。)
吉田松陰の生き方と重なって見えるのです。そして「歴史」とは、そういう目で、そういう生き方で以て見るのだ、と。
決して己の都合の良いように解釈したり、酷い場合、書き換えたり、するのではない。勿論、今の自分(現体制、現政府)を正当化するためのものではない。
「歴史」には「人の生き方」を学ぶべきであり、その実践は己の毎日(日常生活)にあるのだ。
その「感性」を、その先生は我々学生に教えて下さっていた。
「吉田松陰は偉大な教育者」、と評すべきでしょうか?
彼の辞世の歌(注)を見ると、歴史に学び、立派な日本人たらんと努めた一級の人、と私には見えます。
弟子は「彼の生き方」に感じて自らを育てようと努めただけなのだ、と。
注
松陰辞世の歌
「かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂」
「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」
年季の入った地味な背広に骨と皮だけのような痩躯を包み、口元には笑みを浮かべながらも小さな目はしっかり見開かれている。決して圧力に屈することのない迫力がある。数冊の本をいつも風呂敷に包んで抱え、一方の手には常にコウモリ傘が掛けられている。
講義で、この松陰のことを書かれた本はほとんど使われなかった。と言うより、数行読んだら後は先生の話を聞くだけだった。
「話を聞く」と言っても、吉田松陰は滅多に出てこない。先生自身の事、或いは四方山話で、特に「身振り手振り可笑しく」というわけではないのに話が実に面白く、いつも気が付いたら90分が過ぎようとしている。
別に落語や講談のような、「芸」といった感じの話しぶりでもない。ごく普通の、やや歯切れの良い話し方、程度なのに何故か惹きつけられる。
「近頃、肩凝りを感じるようになった。それは机に向かう姿勢が悪かったからだと思う。気を付けていたつもりでも、少しずつ悪いところが積み重なって『肩凝り』として出てきたのだろう。段々に気が緩んで来てるんですね」
「疲れてくるとやる気がなくなってきます。そんな時に、『これじゃいかん』と『えいっ』と気合を入れるんです」
「先生は雨が降ってもいないのに、何でいつも傘を持ってるんですか、と聞かれるんですが、講演などに行くと暴漢に襲われるかもしれない。そんな時にはこの傘で『えいっ』と突いてやるつもりなんです」
そういう話が面白く、全く講義を受けているという気がしない。
だからあっという間に時間が経ってしまう。何も習ってないような気がするんだけれど、何となく「やるぞ!」みたいな気持ちになっている。それでこの「歴史」の講義は人気があった。
でも、何故「歴史」なのに「吉田松陰」なんだろう。それにこんな薄っぺらい本一冊で、更にはそれをほとんど使わないで、何で「歴史」、なんだ?
だからと言って誰も文句は言いません。文句を言わないからと言って、「息抜きの時間だ」、と馬鹿にしているわけでもない。ただその先生の話を聞いて(おそらくは)、元気になって「やるぞ!」と思っている。そんな気がします。
あれから四十年。(どこかで聞いたフレーズですが)
今はそれが分かります。何故「歴史」、だったのか。何故「吉田松陰」だったのか。
・「暴漢が来たら傘で突いてやる」、って実際にするのではない。「(その)覚悟を以て生きる」ということです。
「傘で突くこと」ではなく、「覚悟」が大事で、自分はそれを通そうと思っている、と。
(それを実践し、その姿を見せる。まだ大して目の見えない若者には、だから話して聞かせる。)
・『これじゃいかん』と『えいっ』と気合を入れるんです。
(自分で自分を律するというのは難しいようだけど、こんな簡単なことでもしたことはあるのか。)
・「肩が凝るのはこれまでに積み重ねてきた悪い癖の故」
(普段の生活を見詰めないで(日常の研究作業をしないで)、外を批判するだけで、思う結果が出るだろうか。)
吉田松陰の生き方と重なって見えるのです。そして「歴史」とは、そういう目で、そういう生き方で以て見るのだ、と。
決して己の都合の良いように解釈したり、酷い場合、書き換えたり、するのではない。勿論、今の自分(現体制、現政府)を正当化するためのものではない。
「歴史」には「人の生き方」を学ぶべきであり、その実践は己の毎日(日常生活)にあるのだ。
その「感性」を、その先生は我々学生に教えて下さっていた。
「吉田松陰は偉大な教育者」、と評すべきでしょうか?
彼の辞世の歌(注)を見ると、歴史に学び、立派な日本人たらんと努めた一級の人、と私には見えます。
弟子は「彼の生き方」に感じて自らを育てようと努めただけなのだ、と。
注
松陰辞世の歌
「かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂」
「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」