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CubとSRと

ただの日記

コンドラチェンコ→ロシサラテンコ??(人を見て法を説け)

2020年06月30日 | 重箱の隅
2015.12/14 (Mon)

 先日、久し振りに書店に行ったら、この間から時々名前を見掛けていた、 
「習近平よ、『反日』は朝日を見倣え」(高山正之) 新潮社刊
 が目に留まった。
 早速、手にとってみる。書評にあった通りの痛快な文章だ。

 これまでに産経新聞の論評コラム「正論」で、「歯切れのいい文章を書く人だなあ」、とは思っていたんだけど。何でも元産経新聞の記者なんだそうだ。
 この「変見自在」というシリーズは週刊「新潮」に連載されているもので、何とこの本は、そのシリーズ十冊目なんだという。
 週刊誌、読まないからなぁ~~。病院にも「文春」はあったように思うんだけど。

 知らなかった。これはすごい。「快刀乱麻を断つ」というのは、こんなのを言うんだろう、とふと思った。
 これまで「快刀乱麻」なんて言うと、とにかく切れ味のいい刀で「当たるを幸いにばっさばっさと薙ぎ倒す」というイメージしか持ってなかったのだが、考えてみればそんなことをすると、もうそこら辺は破壊し尽くされてぐちゃぐちゃになってしまってちっとも美しくないだろう。
 けど、「快刀、乱麻を断つ」というのは、そんな破壊活動じゃなくて、複雑に絡み合ってしまって何が何だか分からなくなってしまっているのをバッサリと切ってしまうことで整理の糸口を明らかにし、とにもかくにも片づけてしまうということなんじゃなかろうか、と思い始めた。

 これまで自分が習ってきたこと、調べてきたこと、そして考えたこと、で、とにかくは
 「自分の考え方で物事を見る。『木を見て森を見ず』ではなく、『木を見て森を忘れぬ』ことこそが大事なのだ。常に森を心に置き、木を見詰める。自分の考え方で考えなければ『自分自身が分かる』ことはない」
 、といったようなことを繰り返し書いてきた。

 けれども、それに加えて高山氏は学校では習わなかったことを提示しつつ、氏の考え方でそれを説く。
 本当に久しぶりに目から鱗が落ちる思いだ。「夕刻の備忘録」氏の真っ直ぐな考え方から出てくる論展開、そして結論が、高山氏の文章ではより鮮明にされるような気がする。

 というわけで、何回か、また転載してみようと思います。
 今回は前書きである「はじめに」から、少し。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
                     (略)

  ~かくて北京支局が開設され、その他の禁令も解けた。で、こちらは早速、日露戦争の古戦場旅順を旅してみた。戦跡の多くは中国人の商業主義に犯され、醜悪な変貌を遂げていたが、とりわけ東鶏冠山は酷かった。
 日本側はここを落とすためにお台場から運んできた28サンチ榴弾砲を撃ち込んだ。その一弾が敵司令官コンドラチェンコ少将を即死させた。
 戦い済んで乃木大将は少将の健闘を称える顕彰碑を現場に建てた。
 その地を訪ねると碑は昔と同じ場所に建っていたが碑文が異様だった。「ロシサラテンコ少将戦死之所」とある。文革のとき紅衛兵がここにきた。碑を倒し、碑文をわざわざ削り取った。それが日本の観光客を呼べると分かって急ぎ建て直し、碑文も適当に彫り直した。実にいい加減な民族だ。
 もっと驚いたのが中国人公認ガイドの説明だった。「日本軍は苦しめられた敵将軍の名を彫ってここに建て、石をぶつけて恨みを晴らしました」。
 いや、それは違うとつい口を挟んだ。日本にはそういう風習はない。敵ながら立派に戦った、それを称えるための碑だと説明してやった。
 しかしガイドは首を振る。「いえ、それは違う」「だれが敵を褒めるか」と言い張る。
 中国では例えば汪兆銘とか南宋の秦檜(しんかい)とか、許されざる者がいると、わざわざ像までつくって石をぶつけ、唾を吐きかける。でも、そうでない世界もある、日本には日本人の考え方があると説いたが耳も貸さなかった。
 中国の旅はそれから何度か行った。北の黒河も南の拉孟も訪ねたが、どこで会う中国人も自分たちの価値観がまずあって、それ以外は何もない感じがした。
 歴史を見ても然り。近代に入って彼らは太平天国の乱、日清戦争から義和団の乱、さらに朝鮮戦争と様々な戦いをしたが、一度として捕虜を取ったためしがない。それにどんなに時代が変わっても捕虜はみな残虐に殺してきた。
 中国はいま南沙に出て東南アジア諸国を脅し、東シナ海でも日本を威嚇する。そのくせ習近平は「我々は平和を愛する民族で、我々の血には他を侵略し、世界に覇権を求める遺伝子はない」(2014年5月15日)と語る。
 ベトナムを侵略した中越紛争や今まさに進行中のウィグル、チベット侵奪は、では何だというのか。
 朝日新聞は(括弧内要約)
(安倍総理の「日米同盟と周辺諸国との連携強化で中国への抑止力を強めたい」というのは、危うく現実的でない。それよりも)
 中国と話し合って「中国との信頼醸成を図るのが現実的ではないか」という。
 中国人に話し合って折り合う、あるいは理解する能力がないことは習近平の傲慢な平和民族説でも分かるだろう。あの国と話し合い信頼を築こうということの方がはるかに非現実的と普通は考えるものだ。
                     (以下略)
                                 転載了

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 「敵将軍の名を彫った石碑を建て、石をぶつけて恨みを晴らす」??????
 まさか、そんな、と思う。
 「敵の大将たるものは古今無双の英雄で~(抜刀隊の歌)」、というのが日本ですからね。
 もしかしたら「石、ぶっつけてやろうか」くらいは思ったかもしれない。
 「でも、それを実行するのは恥だ、俺たちはそんな卑しいことはしない」
 「能く戦った強敵に敬意を表する、というのが日本人のあるべき姿だ」
 、と我々は何となく思っている。
 剣道や柔道の試合を見れば、また、「礼に始まり、礼に終わる」という言葉を知っていれば当然のことですよね。
 子供の頃だってケンカする時に物を持ったり、倒れている相手を蹴ったりするのは卑怯だ、という暗黙のルールがあった。考えてみれば、これも日本だけなのかもしれない。

 先日来見ている、サンテレビのドラマ「淵 蓋素文」に、こんな一話が。
 高句麗の戦勝記念碑である「京観」の下には、敗れた「隋」兵の遺骸が埋められていた。それに対して唐から「朝貢国となったのだから慰霊祭を行わせろ、「京観」は破壊して、遺骨を唐に持って帰ることに同意せよ」と厳命される。

 どこかの知事が市長時代、属国の証の四本爪の龍柱を税金を使って建てることにしたことを思い出したが。
 「戦勝の証なら、顕彰碑であれ、記念碑であれ、建てたけりゃ建てたらいいけど、それはともかくとして戦死者の遺骸の上に、とは一体どういう料簡なんだろうか」。
 そう思いながら見ていた。しかし、これが朝鮮、シナに限らぬ、世界の料簡のようだ。このドラマは今の朝鮮で作られたものなのだから、今の捉え方も全く変わっていないということになろう。

 だから世界は平和への一歩を踏み出すことができない。アホ、である。
 そんな連中相手に「平和、平和」と唱えてりゃ、「九条守れ」と言ってりゃ、平和になるというのは、だから同じアホ、である。



 「淵 蓋素文(エン ガイソブン)」
 (朝鮮の発音では「ヨン ゲソムン」。高句麗末期の名宰相。日本書紀には「伊梨 柯須弥(イリ カスミ)」と記載されている。) 
 
 
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先日、父の一周忌の法事で

2020年06月30日 | 心の持ち様
2015.12/05 (Sat)

 先日、父の一周忌の法事で、旦那寺の住職(浄土真宗だから「御院家さん」という)に御経を読誦していただいた。
 その後の法話で聞いた話。

 「永眠されました」とか、「安らかに眠って下さい」とか言うけれど、浄土へ行き、仏に成るということは「目覚めた」ということだ。
 目覚めていない、分かっていない状態を「眠っている」というのであって、「仏に成る(成仏する)」の対極にあるのが我々だ。
 我々こそが眠りから「覚めて」いないのだ、と。
 また、
 「御冥福をお祈りします」と言うけれど、「冥福」というのは「冥土での幸福」ということで、「冥土」というのは光のない闇の世界。そこでの幸福などというのは一体どんなものなんだろうか。全く見通しの利かない世界を、幸福だなんて言うのだろうか。仏に成る、というのはそんな世界に住むことを言うのだろうか?阿弥陀様の浄土は、全くそんな世界ではない。

 大体こんな内容だった。頷きながら聞いていた。
 実はこの話、先代の御院家さんから一度聞かされていた話だったからだ。
 だからと言って
 「それ、前に聞いたって。知ってるよ!」
 などと憎まれ口を叩いているのではない。頷きながら聞いていたのは、寧ろその正反対で、二度目を聞くと全く同じこと(当たり前だけど)ながら以前に聞いた時より浸み込んでくるような気がしたからだ。
 それはおそらく理解云々ではなく、心境、境地を示す話だからなのだろう。「感じ」として、以前より「分かる」。

 ネットを見ると、これ(「永眠」とか「冥福」とか)を言わないのは浄土真宗だけで、あとの宗派はみんな使うといったようなことが書いてある。
 しかしそれはおかしい。
 大体が仏陀というのは「覚醒した者」という意味じゃなかったか。「釈迦が悟りを開いた」というけれど、「悟りを開く」、「悟った」、「大悟した」というのは、「覚醒」と同義だ。
 だから、「悟った者」を「大悟者」とも「覚者」とも言う。そこから「覚悟」という言葉も生まれている。

 「冥福」も同じく、仏典にある方便(「喩え(たとえ)」を使う説明法)として「冥土」の存在を説いているのであって、これは飽く迄も「心」の問題。(勿論、「身心一如」なのだけれど)現実に目に見える「冥土」の実在を肯定しているものではない。そんなことは宗派は関係なくみんな了解していることだ。
 要はそうやって「分かりやすくしよう」、「得心させよう」とする布教者の苦心の結果を、信者が分かるか否か。いや、分かろうと努力し続けるか否か、だけのこと。

 そうやってみると、巷に「永眠」、「冥福」といった言葉が頻繁に見られるということは、布教者の苦心の産物である「方便」を人々は全く分かってない、分かろうと努力していないということになるのかもしれない。テレビも新聞も先日の水木しげる氏の急逝に対し、「御冥福」「永眠」「お休みください」のオンパレードだったからだ。

 氏の場合は妖怪の世界へ行くんだから「冥福」、でいい?
 いやいや。「冥土」じゃ暗過ぎて、妖怪の姿も見えないだろう。
 氏も絵の描きようがないだろうし、描いたってやっぱり暗過ぎて見ることもできない。

 「夜目が利くから大丈夫!」というのなら、そんなの「冥土」じゃないでしょう?
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「もう一歩、前に出れば勝てる」

2020年06月30日 | 心の持ち様
2015.11/23 (Mon)

 新嘗祭のことを書いて、一週間ほど日記は書かないつもり(書けないんですけどね、事情あって)だったんですが、その後に北の湖理事長の訃報。びっくりしました。で、予定変更。
 
 昔は60歳と言えばお爺さんだったんですよね、歌にもある。「村の渡しの船頭さんわぁ~今年六十のお~じぃさ~ん~」って。
 平均寿命を見るまでもなく、昔の60歳は今の70歳より老けて見える。
 だから北の湖が62歳で亡くなる、なんていかにも早い。

 大体、磯野波平さんは50代ですよね、確か。それも前半じゃなかったかな?
 あんな大人びた(?)50代、なんて、今どこさがしたっていない。反対にどう見たって40代にしか見えない60歳だったら、いくらでもいる。
 そんな中にあって、相撲取り、ってのは(喋らなければ)今でも随分大人びている。というか、しっかりして見える。

 何故なんだろうと思ったら、これはやっぱり一つ事に真面目に真正面から取り組んでいるからなんじゃないのかな、と。
 「勝負」への取り組み方ということも大事なんだと思います。でも、例えばボクサーの「真正面」、と比べたら、何か違うでしょ?
 また、同じ相撲取りだって、真正面と、投げ中心とは何かが違う。
 やはり、「押さば押せ、引かば押せ」という「相撲の極意」と、どこまで向き合うか、なんじゃないかと思います。
 「極意」というより、「極位」、かな?

 昨日の日記に書いた北の湖の本、さっき探してみました。
 ゴマブックスから、昭和60年だから今から三十年ほど前に出版された新書。
 「もう一歩、前に出れば勝てる」

 昨日日記に書いたことに関しての本文を転載して、「北の湖の真面目さ」をもう一度見直してみようと思います。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 「もう一歩、前に出れば勝てる」

 《「土俵に転がったときは、みじめというか、恥ずかしいというか・・・だから私は、自分が勝ったときも倒した相手に手をかして助け起こしてやる気持ちにはなれなかった・・・・。

 >負けたときは、悔しさよりも恥ずかしさが先に立つ
 
 勝負に負けたときは、一瞬、「しまったッ」と思うと同時に、つづいて恥ずかしさが襲ってくる。何千人もの観客の見ている前で、天下の横綱が負けるのである。こんな恥ずかしいことがあろうか。
 とくに相手の投げが決まって、土俵の上に転がされたときなど、その恥ずかしさが余計出る。土俵の上では、礼に始まり礼に終わるといわれるが、負けたときは、何よりも恥ずかしさが先に立つ。
 だから私は土俵の上で横たわっても、その恥ずかしさをふり切るよう、すぐにパッと立ち上がり、さっさと土俵から降りるようにしていた。
 負け残りになると、その恥ずかしさはひとしおだった。土俵下に降りたら、わきめもふらずパッと座ってしまう。そして、顔をあげないようにして、黙っている。
 知人と道ですれ違うとき、知っているのに知らん顔をするときのような、なんともいいがたい感じである。内容のあるいい相撲を取って負けたのならまだしも、投げであっさりと転がされたときなど、ほんとうに恥ずかしくてならなかった。
 勝負に負けて悔しいかと言われたら、悔しさより恥ずかしさが先に立つ。悔しさが出てくるのは、横綱同士の対戦のときくらいだ。横綱同士なら負けても勝っても、同じレベルの相手との勝負だからだ。
 相手が横綱なら、それだけの成績を残して上へあがってきているのだから、思い切ってぶつかっていって負けたって、恥ずかしいことはない。力が同じ者同士なのだから、負けることもある。だから横綱相手の勝負に負けたときは、恥ずかしいというより、むしろ自分の力が及ばないことに悔しさを覚えるのである。


 >何故私は、倒した相手に手を貸さなかったか

 私は、土俵に転がった相手が起き上がるとき、決して手を貸さなかった。そのことについては、周囲から「なまいきだ」「敗者をいたわる心がない」など、何かと批判的な声が上がったこともある。
 しかし、私は信念をもって、手を貸すことを拒み続けた。私が負けた相手に手を貸さなかったのは、自分が負けたときに手を借りるつもりがなかったからである。
 負けたときに、手を借りるのはみっともないし、恥ずかしい。疲れて息が切れ、起き上がれずに、相手に手を引っ張ってもらって起きるなど、そんな惨めで情けない姿は我慢できなかった。
 そして、長い力士生活で土俵に転んだときに自分の力で起き上がれなくなったら、もう相撲はとれないと思っていた。だから、私は負けたときは、手を借りずになるべくさっさと起き上がって、土俵を降りるようにしていた。
 勝負の世界では、負けが恥ずかしいと思う気持ちが、精進する気持を生むのだ。負けた相手に手を借りて恥ずかしくないようでは、力士をやっている資格はないと思っていたのである。
 このような考え方は、私以外の力士とて同じだと思う。負けて恥ずかしいと思わない相撲取りなどいないはずだ。そう思うと、私は土俵上で相手を土俵にたたきつけて勝ったとき、相手に手を貸して、抱き起す気持には、とてもならなかった。
 私には、敗者に手をさしのべることのほうが、よほど傲慢なやり方だと思えたのである。


 >妻に相撲中継のテレビを見せない

 ~自分が真剣に勝負している姿を、身内のものには、絶対に見てほしくはなかった。自分の相撲を、女房にのんびりテレビなんかで見られるようになったら、自分も相撲取りとしてはおしまいだと思っていた。この気持ばっかりは、相撲を取った者だけにしかわからないだろう。
 これと同じで、本場所が始まってから、身内の者や親しい者に相撲を見にこられるのも嫌だった。とくに優勝がかかった一番のまえなど、「がんばってくれ」などと、顔を出されたりすると、嫌な気持になる。
 勝負に向かって気合いが盛り上がってきたのが、いっきになえてしまうような感じになるのだ。気抜けするのである。
 そんなときは声をかけられても、「うん、うん、うん」といった調子で、こちらはうわの空である。
 自分でも、何を言ってるのかわからない。相手の言うことにいちいち真面目に応えてはいられないのだ。
 声をかけにくる相手は、けっして悪気でくるわけではない。善意ではげましてやろうということでくるのは、私もわかっている。それでも我慢ならなかった。勝負をひかえて、緊張が最大限に張りつめているときに、ホッと気を抜いてしまったら、元に戻そうといっても、そうかんたんに戻るものではない。
 だから、私は妻にかぎらず、自分の両親を相撲に呼んだこともない。気合いが抜けるのが嫌だったのだ。ところが一度、私の父が仕事のついでに、本場所にやってきたことがあった。
 そのとき私は、思わず「何しにきた」との言葉を父親に吐きかけていた。わざわざ北海道から出てきたのである。それに対して「何しにきた」はないだろう。いまとなってはそうも思えるが、当時の私に、やさしい言葉をかけてやる余裕もなかった。


 以上で転載終わり、です。
 最後の、「何しにきた」、はびっくりされるかもしれません。呆れた、という人もあるかもしれない。
 でも、「何となく分かる気がする」、と共感される方もあるかも。
 真面目で一所懸命生きた横綱、ひたむきな力士だったんだ、ということは、これだけでも十分に見えてくる。
  
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手さぐりで「相撲の道を歩く」

2020年06月28日 | 心の持ち様
2015.11/22 (Sun)

 一昨日、夜。ネットを見ていたら、北の湖が亡くなった、という文字が見えた。
 「えっ?まさか」
 そう思ってネットのニュースを見ると、本当の話だった。確か同い年だから62歳。

 現役時代、「憎たらしいほど強い」とか「態度がふてぶてしい」とかいう批判を聞くことが多かった。
 実際、見てくれが悪い。太い腹。これまた太くて短い手足。いつも機嫌の悪そうな表情で、それが勝っても負けても踏ん反り返って引き揚げていく。愛嬌なんかどこを探したって、ない。笑顔なんか見せた事が無い。松鳳山みたいに、土俵上では何ともこわそうな顔してても、土俵を下りて見せる笑顔は何ともほんわかしてる、みたいなのが普通の力士だ。
 北の湖はそうでない。いつも仏頂面している。仏頂面のメイク、してんじゃないか、と思うくらいだ。

 それが或る時。
 取材のマイクが珍しかったらしい。風の音を拾わないように、全体にファーのようなものを被せた大きなマイクに、長い棒がついているやつだ。一般にまだ馴染みがない頃で、ちょっとユーモラスな形をしていた。モスラが暇つぶしに作った繭玉、みたいだった。
 それを、北の湖、いきなりつかまえて自分に引き寄せた。マイクの係りの人は慌てただろうけど、北の湖は構わず、
 「何だ!これは!」
 みたいなことを何度か言いながらさらに引き寄せて
 「何だ、これは!あ~っ!」
 とふざけて見せた。
 勿論、笑顔じゃない。いつものあの仏頂面だ。真面目くさってやるもんだから、笑いが起こるはずもない。

 でも、見ているこちらとしては 「あれ?意外と剽軽なのかな?」となる。
 果たして、徐々に土俵上の様子と違い、意外に人懐っこい性格らしいということが聞こえ始めた。

 「憎たらしいほど強い」北の湖も段々に衰え、あっけなく土俵を割るようになる。
 そうなると
 「あれが北の湖か?いや、そんな筈はない。きっと調子が悪いんだ」
 みたいな声が聞こえて来る。こんなに北の湖のファンがいたのか?

 引退後、おそらく話した言葉をまとめたのだろう、新書が出された。
 「もう一歩、前へ出れば勝てる」
 そんな気はなかったのだけれど、立ち読みの途中で、つい買ってしまった。

 横綱のくせに、土俵下に落ちた力士に手も貸してやらない。さっさと自分の仕切り線に戻ってしまう。
 反対に自分が負けて手を差し伸べられそうになったらさっと立ち上がって土俵に戻る。
 手を払い退ける事はあっても、手を借りるなんてことは絶対にしない。全く可愛げがない。
 ところが、これはこういう理由なんだそうだ。
 「負けたらくやしい。だから一刻も早くその場から逃げ出したい。とてもじゃないけど手を差し伸べられるのを喜ぶ気にはなれない。そんな風に思っているから、勝って手を差し伸べるなんて、相手に対して失礼なような気がする。」
 場所に親を招待することはなかった。必死になって仕事に取り組んでいるのだから、見てもらおうなんて考えたこともなかった。

 そんな話を読んでいくにつれて、彼の「一所懸命」を全く見ていなかったのだな、と思うようになった。
 相撲の「技の稽古」ではなく、「相撲道」を歩もうとしてきた横綱だったと分かる。
 その意味で「憎たらしいほど強い」は、皮相的な見方だったと思う。
 技術で、取り組みで、強い力士はいくらでもいる。白鵬なんかもそうだろう。

 けど、一所懸命、それもほぼ手さぐりで相撲の道を歩こうとしていたのは、ただ北の湖一人、なのかもしれない。

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「階級」という価値観(永久に謝らなければならない ) ③

2020年06月28日 | 心の持ち様
2015.11/12 (Thu)

 「華夷秩序(宗主国と属国で成り立つ)」から見るに、「化外」だから「日本」は国ではない。
 国ではないところの住人は人間でさえ、ない。
 だから「」という最下層の「階級」にも含まれない。
 本来なら「奴隷」であるが、「世界」の外に居るのだから、「奴隷」以下の存在である。
 ここまでが①
 
 滅亡した百済から流れ着いた韓民族のなれの果てが日本である。
 だから、折々に先祖の恨みを晴らすために反韓的な振る舞いに及ぶ(のであろう)。
 故に、「奴隷(倭奴)」、「犬」と言い続けるのは当然のこと。
 礼を尽くす相手ではない。
 ここまでが②

 だから室町期、八幡船で貿易に来た日本人が、騙され、或いは裏切られて、怒り狂って海岸部を荒らし回ったことには、ただ恐怖を感じるばかりで肝腎な「自省」の念は遂に持つことがなかった。
 
 ここまでで分かることは、(これは以前から言われていることですが)これらの思考の特徴は儒教(朱子学)が導入された時から顕著になっている、ということです。
 朝鮮での学問は儒教の「心持」を研究するのではなく、「礼楽」という「形式」の追求だけがなされた、と言えるでしょう。
 それも学問は一割を占める両班階級のみ、で、世宗王が朝鮮文字を作らせてからも残り九割の国民は読み書きができなかったというのですから、「歴史を鑑みて」とまではいかずとも「歴史を直視して」物事を考える、などということは不可能だったと言わざるを得ない。日韓併合時、「悪いのは誰だ」と考える力を持ち始めたのだけれど、いかんせん、文字の読めなかった国民が過去を見ようとしても、闇は深過ぎて、全く手に負えなかった。
 彼らだけではない。宗主国たるシナだって、儒教は「礼楽」の形式を追求することで社会の仕組みを維持する、という「実利」しか求めなかった節がある。
 考えてみれば当たり前のことなんでしょう。
 我々日本人が
 「儒学の中心は心持にあるのだ。ちゃんと論語に書いてある。まずは『仁』、そして『仁』とは『忠と恕』なのである。」
 、などと研究し、解析するのは、彼ら華夷秩序の世界の住人には「?????」でしかないのでしょう。
 儒学は「儒教」なのであって、「礼楽」によって国を治める政治術。「論語」みたいなものは、儒「学者」の勉強すればよいこと。
 そうであるから
 「だから、化外の生き物は困る。何もわかっておらん。何が『心の持ち様』、だ。社会を治めるための術こそが学問なのだ」
 、などと、今でも思ってるのかもしれない。それでなければ「孔子学院」、なんて名前、絶対につけないでしょう?

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 「韓国と『国交断絶』の覚悟」   西尾幹二


           (略)

 六月二十三日放送のBSフジ「プライムニュース」で自民党衆議院議員の逢沢一郎氏が「アジア女性基金から支払われた金銭の受け取りを、挺対協の介入もあって韓国側は拒否したではないか」と津田塾大学准教授の朴正鎮氏に質した。
 その時、朴氏は「お金は問題じゃないんだ」と述べた。
 すると逢沢氏はハッとした顔をして、「またそんなことを言うのですか。いつもそういうことを言う。それならどうすればいいのですか?」と訊いた。
 それに対して朴氏は言い淀み、黙っていた。
 そのやり取りをテレビで見ていた私は、韓国は合理的とか現実的な解決など一切求めておらず、ひたすら精神的なことだけを求めていると感じた。
 精神的なこととは要するに日本が地べたに頭を擦り付けて謝り続けることである。韓国が求めていることはその一点なのだ。
 それが根幹にあって、その証拠に、遂には李明博前大統領が天皇にまで土下座を要求したではないか。
                         
                       ( 転載了 )
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 すいません。
 多いと思ってたけど、今回、西尾氏の文からの引用はここまでです。

 考え「方」がないので、どうしたらいいのか、どうやって「結着」すればいいのか分からないのではないか。
 だから、ただひたすら「要するに日本が地べたに頭を擦り付けて謝り続けること」、だけを言い募る。
 言葉にできないもどかしさ、と言うんでしょうかね。とはいえ、金は欲しい。
 それは間違いない。でも、「金で解決なんかできない」、とも思っている。
 「考え方」がないから、李朝以降、今に至るまで「考えの進展」はなく、ただあるのは「華夷秩序」と「事大主義」と「日本は化外の地。日本人は本来、奴隷以下」という固定観念。

 「分かろうとしなければ分からない」「聞こうとしなければ聞けない」

 つい先日も似たようなことがありましたね。慰安婦問題に関し、日本が解決策を問うたところ「それは日本が出すべきだ」って。
 「喧嘩売ってんのか」と思ったけれど、あれ、追い詰められている、ってことかもしれません。自分には何も案がない、ということです。言ってみれば結着の青写真なんか初めっから持ってない。考えたことすらない。政治は結果だから、青写真なしに取り組もうということ自体、何ともとんでもない話なんですが、そんなだから、「摺り合わせ」、なんて外交、内政共に基本中の基本であることを考えようともしない。

 そんなことを思っていたら、今朝の宮崎正弘氏のメールマガジンに、またもや「成る程」と思わされる投書が。
 では、それを転載。

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(読者の声2)
【韓国には歓迎会はあっても送別会はありません】
 日中韓3か国会合の折に開かれた安倍・朴首脳会談後、韓国側から昼食を誘われず、安倍総理は街中のレストランに焼き肉を食べに行かれたことが話題になりました。
しかし、韓国に駐在経験のある日本のビジネスマンの間では昔から「韓国には歓迎会はあっても送別会は無いのが普通」と言われてきました。つまり赴任当時は自分たちに便宜や利益を齎すよう歓迎会はしてくれますが、離任と云う事がわかると、もういくら接待してもしょうがない、と云う事らしく送別会は大体催してくれないのです。
彼等がノーベル賞がもらえないのはロビー活動が足りないからだというのと発想は同じですし、赴任中の韓国側への貢献に感謝の念などは抱かないのが彼らなのだとわかって、大体の駐在員は嫌韓になって帰国します。
しかるに何事につけ「完全かつ最終的に決着する」よう日本が求めても、それはその時点だけでの「完全かつ最終的な決着」であり何度でもそれが繰り返されても彼らはおかしいとは思わないのです。
(SSA生)


「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成27年(2015)11月12日(木曜日)
         通算第4724号 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 「赴任中の韓国側への貢献に感謝の念などは抱かない」から「歓迎会はあっても送別会は無いのが普通」

 「ノーベル賞がもらえないのはロビー活動が足りないから」

 これを見ると、「日本に感謝の念などは抱かない」のは理の当然、ですよね。
 日本以外の国にだって実利のみ、をロビー活動で求めるだけのようですから。


          (これで終わりです)
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