CubとSRと

ただの日記

ミカタ

2022年08月08日 | 日々の暮らし
書評 BOOKREVIEW 
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 『美徳も度を超せば、悪徳に転化する』  
   外国がでっちあげたデララメ史観に日本はいつまで踊らされているのか

   ♪
 藤岡信勝『国難の日本史(新装版)』(ビジネス社)
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 自虐史観からの克服が、本書の基調にある。
 国史ゆえに物語は伊弉諾伊弉冉から肇まるのは当然だが、紙幅の関係で、この稿では現代史最大の争点のひとつ、日支事変に絞る。

 戦後の左翼史観の猖獗はまだ歴史学界にべっとりとした残滓がのこり、事変を『日中戦争』と呼ばせているが、宣戦布告を日本軍はしていない。あくまでも「事変」である。
 そもそも盧溝橋に日本軍が居たのは義和団の乱以後の治安維持のためのPKOだった。事件当夜、日本軍は実弾を装備していなかった。

 アメリカは戦後「太平洋戦争史観」を押しつけた。日本が命名した戦争は「大東亜戦争」であり、敵は英米だった。
 ならば、と左翼は『アジア太平洋戦争』と呼ぼうと言った。松本健一は「大東亜・太平洋戦争」ならどうかと真顔で言っていた。「十五年戦争」と言い方もあるが、戦争は十四年でおわるから矛盾する。言葉の遊びでしかない。
 あくまでも大東亜戦争と呼びたいが、それが論壇で受け入れられないのなら最後まで「第二次世界大戦」で通したのは上山春平だった。
 「戦争の呼称には、その國の国民のアイデンティティがかかわってくる」(210p)と本書では大事な指摘がある。
 GHQが「太平洋戦争」と呼び変え、それを押しつけた。何しろ「憲法」も押しつけたのだから、日本の歴史の抹殺を狙っていたのは明らかである。
 これらをいかに克服するか、それが「あたらしい歴史教科書をつくる会」の運動となった。

 1935年にコミンテルンの第七回世界大会が開催され、アジアにおける国際共産主義の謀略が開始される。翌36年には西安事件がおこり、蒋介石は抗日戦争に力点を注ぐように路線転換、つまり中国共産党は壊滅寸前だったのに張学良の短慮の所為で生き残った。
 蒋介石の抗日への転換は、コミンテルンにしかけられた謀略の結果であり、そして翌年に盧溝橋事件。日本を戦争に巻き込むのである。
 「コミンテルンは日本軍と国民党軍を戦わせ、両者をともに疲弊させ、弱体化させることによって、中国共産党に漁夫の利を得させようと考えたからです。そうしてアジア全域を共産化しようという遠大な基本戦略を描いていた」(226p)。

 日本は懸命な和平努力を積み重ね、戦争を回避する方向にあったが、共産党はなんとしても日本を戦争にひきづりこみたい。残虐きわまりない通州事件をひきおこし、日本人居留民二百数十名を虐殺し、日本国民を激昂させた。しかしなお日本は和平への道を探っていた。
 まさしく「美徳も度を超せば、悪徳に転化する」のである。

 本格的に日支事変が始まるのは、1937年8月13日、上海での出来事だった。海軍陸戦隊わずか2200名、ここに五万の国民党軍が襲いかかった。しかも国民党は「日本軍が攻撃を仕掛けてきた」と外国人記者に説明したが、すぐにデマとバレた。外国人租界にも蒋介石軍は爆撃をしかけ三千六百を死傷させたが、その犠牲者の中にはライシャワーの実兄も居た。
 応援隊を含めても日本軍は少数。それが10倍の敵戦力と闘い、二ヶ月にわたった戦闘で蒋介石は日本軍に勝てないことを知り、以後、宣伝戦争を仕掛けるのである。外国人記者やスパイを駆使し、南京大虐殺などをでっちあげ、英米の支援をまんまと獲得した。

 このパターンを、ロシアとウクライナ戦争に掛け合わせていくと、宣伝戦争でロシアをはるかにしのぐゼレンスキー大統領側に、欧米から250社もの戦争広告代理店の活躍があること、いずれ「虐殺」「学校、病院爆撃」などの真相は明らかになるだろうが、現在のロシアウクライナの背後で英米欧がいかなる謀略を仕掛けているのかも、日支事変におけるコミンテルン、蒋介石と外国人記者団、宣伝戦争のパターンを考慮に入れて再評価しておくべきだろう。 


「宮崎正弘の国際情勢解題」 
      令和四年(2022)8月2日(火曜日)
          通巻第7420号 より

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 味方が多くなれば勝つ。味方は見方で変わる。
 情報戦はそのために使われる。「嘘も百回吐けば真実に」はその最たるものだろう。ウクライナの全てが正しいわけではないし、ロシアの全てが間違っているわけでもない。それでも社会と社会のぶつかり合いである以上、戦争はどっちが正しいか決めなければ終わらない。そして、鵺のような「情報戦」がそのカギとなる。
 つまり、負けた国=悪い国というのはナンセンス。でなければ、日本は未来永劫悪い国ということになる。
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思い通りにはいかない

2022年08月07日 | 日々の暮らし
 7月25日(月)

 午前6時半過ぎ。
 生活ゴミを捨てに行く。

 体調は悪くない。「悪くない」より、「良い」くらいだが、この数日で急に体重が数キロ減っている。最近は油断すればすぐ67キロ近くになるのに、63キロを割ることもある。やっぱり腎機能低下?腎臓病予備軍?
 先日の日記に書いた通り、ちょっと気にすることにする。
 酒は毎日から三日に一度にして、二年半くらいになる。が、甘いものも好きで、こっちは自制が足りないように思う。
 となると、まずは腰痛の心配はほぼなくなったので、ちゃんとした運動から、かな。

 それは置いといて。
 これなら、と、昼過ぎSRで出る。
 間の悪いことに市街地を抜ける前に、クレーンの付いたトラックの後ろにつくことになった。
 下手に追い越しはできないな、でも右折予定地点まで我慢するだけだ、と辛抱していたら、彼も右折した。
 更に辛抱することになるけど、これは途中の建材会社に向かうのだろう、と思い、黙ってついていく。
 トラックは建材会社に入って行かない。ずっと先の重機のレンタル会社?
 そこにも入らない。

 ついに峠を越えて、左折予定地点までゆっくりと丁寧に先導してくれた。
 やれやれだ。でも、これから先は・・・と思ったのだが。
 信号が青になり、直進するトラックとやっと離れたと思ったら、今度は青になる寸前に横切って行ったミニバンや軽自動車が数台、ゆっくりと先導してくれる。
 とうとう帰路に入ったが、先導は続く。途中の丁字路からの流入もその都度数台。みんなゆったりと走る。
 あまりの遅さに業を煮やしてダム湖の駐車場に退避。持って出た水筒のスポーツ飲料を三口ほど飲む。数分の間があればゆっくり走ることができる。

 予想通り、道路に戻ってみると前方に車の姿はなかった。
 再び、やれやれと思って今度は自分のペースで走れると思っていたら、ハンドルミラーに、さっき駐車場にいた改造車が相当なスピードで迫ってくるのが見えた。前には既にさっきの御一行様の最後尾の車が小さく見えている。
 しょうがない。詰められる前に車間距離を詰めよう。そうすれば、追いつかれても詰められることはないだろう。

 間が悪い。信号で止められた。大名行列は行ってしまった。
 スタートライン、SR。後ろに改造車。

 スタートで引き離してしまえば、煽られることはないと観念して、クラッチをつなぐ。少し遅れて大きな排気音が聞こえたが、これなら引き離せる。
 スピードがのったところでミラーを一瞥すると、改造車がコンビニに入って行くのが見えた。三度目のやれやれ、だ。

 しっかり充電したカメラと、スポーツ飲料の入った水筒を持って出たのだが、予想はしていたものの今日は入道雲の湧くような空ではなかった。
 でも、元々今日は「何の用もなく出歩く」ということだったから、と負け惜しみを言ってみる。

 カメラを出すこともなく、思わぬ大名行列の殿軍を務め、揚げ句に煽られるかと心配しながら走る。
 残念な一日だった・・・のかな?

 困ったことに時間が経つとそれはそれで面白かったと思ってしまう。
 で、またフラフラと出歩いてしまう。進歩がない。
 
 


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メモ書き その3 「小さい景色」

2022年08月06日 | 日々の暮らし
 24日(日)。
 初めはSRで出ようか、と思っていた。
 入道雲の写真を撮れたら、とカメラを持って出ることにした。
 バッテリーが半分ほどになっている。
 これでは心配、と充電をし始めたけど、テレビを見ていて遅くなってしまう。
 半分は残っているのだから、ほんの少し充電すればいい、と思ってのことだったのだが。

 結局、SRで出るのは中止。金曜日にするつもりだった資源ごみ処分のため鈴蘭台の生協へ行くだけ、になる。そうなるとカブの出番。

 先日から、バイパスを通らず行けるコースとして北鈴駅から線路沿いに南下、シャトレーゼ前に出て鈴蘭台の生協へという道を通っている。
 見通しは良くないのだが、対向車に遭うことは滅多になく、速度さえ抑えていれば却って安全な道というのは確かにある。

 何よりも良いと思わされるのは、道の高低差が短距離の間に結構あって、それが主因となって、なのだろう、見通しが良くない代わりに空が色んな表情を見せてくれること。
 道の先に見える景色が狭いから、坂を上る間に正面の空が一気に広がったり、極端に小さくなったりする。小さな雲の流れるさまだって、こんな景色の中では大きな刺激になる。

 北海道の広大な景色の中を中型以上のバイクでそれなりのスピードで走るのもいいけれど、こんなあまり見通しの良くないところをカブで淡々と走るのもいい。

 昔、足利義満に明の使いが「貴国は小さな国と聞いていたが、大河の中に大きな島が数多浮かんでいるのを見て驚いた」と言ったという。
 瀬戸内に浮かぶ島々を見て瀬戸内海を河だと思ったらしい。・・・と本当に思ったのか、それとも、わざと早合点した振りをして「箱庭みたいなちっぽけな国だ」と揶揄ったのか。
 義満は目を白黒させただろうけど、明の使いもそこまであからさまに陰険な物言いをする、つまり日本を笑いものにするような人間では大使の大任を果たせない。
 下手をすれば元の二の舞になるし、当時、島国とは言え、世界でもその名を知られた黄金の国「ジパング」。金のなる木みたいな国と国交断絶なんて賢いやり方ではない。
 でも、この話を聞いたときは子供心に「きれいだけど小さな国」より、多少大雑把でも「広大な国」の方が力があって発言力もあるよな、と悔しく思った覚えがある。
 今は違う。小さい大きいはどうにもならないけれど、きれい・大雑把は努力次第。「神は細部に~」、だ。
 「マザームーン」の一言で大騒ぎするより、国会内でごく自然に横を向き、口元を隠して水を飲んでいる議員の性根を見詰めよ。

 さて。
 明日は本当に、何の目的もなく出歩いてみるか、と思う。
 勿論、どちらにするかなんて決めるのは、明日になってから、だ。
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メモ書き その2 「チャイニーズダンス」

2022年08月05日 | 日々の暮らし
 昨日(7月23日土曜)は、夕方近くになってから、カブでハーバーランドの書店まで。
 わたせせいぞうの「ハートカクテル」の中のどれか一冊を買うためだけに出た。
 
 が、帰りに惣菜店で焼き鯖、サラダ、鶏のステーキ等を買う。気が向けばそうするつもりだったので、問題ない。
 帰ってからツイッターで見た「雷豆腐」とやらを作り、併せて酒の肴に。

 この日も、往きも復りも良い天気。
 でも、天王谷ダムに向かう六甲山のV字峡谷にしがみつくようにして北上している有馬街道を通るから、空の様子は全く目に入らない。
 街中、ハーバーランド周辺は交通量が多いから、空を見る余裕はない。

 ああ、そういえば、休日はいつも何かしらやっている松方ホールのあるビルの入り口。何だか一昔前、いや数十年前のダンスミュージックみたいなのに合わせて、これまた数十年前の雰囲気の人々が踊っていた。ダンス競技の雰囲気ではない。
 「何だろう、どこかで見たような」とちょっと考え、気が付いた。
 これは上海辺りの、早朝から公園でやっているいろんなサークル(ラジオ体操とか太極拳とか囲碁、麻雀等々)の一つ、ダンスサークルの踊り方だ。

 そうか、そんなものまで上陸してきたのか。
 ・・・なんてことを思って、この時は余計に空の様子なんて目に入らなかったんだな。
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メモ書き その1 「気持ちの良い空」

2022年08月04日 | 日々の暮らし
 22日(金)は、雨ももう大丈夫ということで、SRで買い物に出た。
 と言っても、買う予定の物は僅か。
 土生姜とコーヒーフィルター。あとは気分次第、成り行き任せ。

 バス道へ出て、折れ、丁字(ていじ)路に向かう。真正面に入道雲が見える。
 入道雲と言えるほど迫力のある姿ではない。小坊主程度。
 でも、彼の名誉のために書いておくと、小さいながらも光を強く反射するその姿は、確かに夏空の入道雲。
 ただ、雨を降らせるような崩れ方をするのは、まだ5~6時間先のことだろう。

 夏空の入道雲はエネルギーに満ちた何とも力強い形をしていて、こちらも力が湧いてくるような気がするものだが、発達し切っていきなり上辺が水平に崩れ、金床雲と呼ばれる陰気な暗灰色の全く立体感のない雲になると、もういけない。
 「まずいぞ、これはまずい」と慌てながらも雨宿りの場所を探すのだが、そういう時は見晴らしの良い景色の中を気持ちよく走っている最中だから、そんな都合の良い場所なんて、まずない。
 そして急に冷たい風が吹き、ぽつりと雨粒が顔に当ったような気がする。

 いきなり大粒の雨が顔に当たれば、更に慌てて雨具を着る場所を探すのだが、ヘルメットのシールドに二、三滴着いただけで、気のせいかと思わせるように一旦止んだりすると、その機を逸してしまい、えらいことになる。

 まあ、入道雲が見る見るうちに大きくなって金床雲になったとしても、その頃には夕暮れが近づいて、雲も何となく弱まって夕闇に溶け込んでいってしまったりするのだが。

 
 ダム湖の駐車場に近づいた辺りから、何か 雨粒が当たるような僅かな感触があった。
 「気のせい」と思い込もうとしながら、進行方向の上空を見る。濃い灰色の雲が流れている。
 降るかもしれない。「引き返すなら今しかない」。
 そう思いながら、いつものことながらその厚い雲の下の、雨雲の攻勢に抗おうとしているような青空を信じようとする。そして大概は雨に降られる。

 で、この時も「先の方は青空が見える。まだ分からない」、と。
 結局、御坂(みさか)あたりまでの十数分間、何度シールドを拭ったことか。
 幸い、以降は青空が雨雲に勝った。

 道の駅で野菜を千円足らず、買った。
 いつもの通り「千円になったらもう一つポイントが付くんですけど」、と言われる。
 「いや、これで結構です」と清算をする。

 買ったものを手持ちの袋に入れて、十数歩のところに停めているSRに向かいながら、「あ、土生姜、忘れた」。
 珍しく「いや、今日はこれで」と即答したのに。生姜を買ったら間違いなく千円超えるのに。今日の目的の大半は「土生姜を買うこと」だったのに。

 断った端から生姜一個持って「さっき買ったのと併せられますか?」と聞く。快く応じてくれたけれど、昔なら恥ずかしくて絶対言えなかったことだ。
厚顔。いや、老顔。

 この日は往きの僅かな雨を除けば、久しぶりに何とも気持ちの良い空の下に居られた。やっぱりこんな日はバイクがいい。  
 
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