CubとSRと

ただの日記

よく分からん

2023年12月27日 | 日々の暮らし
 12月3日(日)

 今朝は天候が良いのにちっとも冷え込まなかった。
 どうなってるんだ、と思いながら5時25分から55分まで散歩。

 散歩から帰って、改めて空を見る。
 あれっ?と二度見するくらい、空はいつの間にか薄雲で覆われている。
 薄雲なのに、外はいつまで経っても明るくならない。
 明るくならないどころか段々に暗くなっているように見える。

 ネットの天気を見ると「全くの晴天」と書かれていて、じゃ、この雲は何なんだ、と説明文を見ると雲が多い昼前には雨が降るかも、と。
 「全くの晴天」はどこ行った?

 そうこうするうちに隣家の屋根がそれなりに濡れていたのに気付く。夜が明けるだいぶ前に小雨が降ったのだろう。

 風がないから、結局は出歩いたのだが、夕方になって良い天気に。
 とは言え、昨日ほどではない。

 明日辺り炬燵を出そうかな、とふと思う。
 でもテレビが故障していると、本当に炬燵のある場所なんて必要ないな、と実感する。

 天気が良ければ月初めの洗車に行くか。ついでに少し走るのもセットで。
 腰が痛くなければ、の話だが。
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冷血

2023年12月26日 | 心の持ち様
 前回のことに続いて。
 【大久保利通を評する「冷たい血を豊富に持っている」という言葉を思い出す。冷静ではあるが冷酷ではない、目的に向かうために立てた筋道を鉄の意志で情に流されず貫き通す。 】
 これ、以前に大久保利通について書いたことの再掲です。
      ↓
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
大久保利通は冷血漢?
2020年02月08日 | 心の持ち様

2011.08/27 (Sat)

 大久保利通について書いてきました。
 その中に、「冷血」として
 「大久保は政治家に必要な冷たい血が豊富にある人だった、と評した政治家がいる」
 ということを挙げ、
 「大久保は青い血が流れているようで好きになれない」
 という観光客の言も挙げました。
 「青い血」「冷たい血」と並べて、何だか「冷血漢」という言葉のみ、思い出して書いたのですが、あれ以来、「これ、ちょっと違うんじゃないかなあ」と思い始めています。

 「熱血漢」と言えば、その反語は「冷血漢」。
 でも、「血も涙もない奴」に対して「熱い血」はともかく「涙がある奴」とは、あまり言わない。先日、経産相が号泣した件について、あまり好意的な意見はありませんでした。何で?
 「総理と、自分の国を思う気持ちの板ばさみにあって泣いてしまった。いかにも日本人らしい純粋さである」とか何とか擁護する人が居てもいい筈なのに。
 「政治家というのは、他人のために泣くのはいい。しかし、自分のことで泣いちゃ駄目だ。あれで評価を落としたな」と厳しい意見を述べる人もありましたが。
 西郷隆盛などは熱血漢であり、この「板ばさみ」にあってよく泣いていたそうですが、周りの政治家(大久保を含む)は西郷は泣き虫だと言いながら、それを批判的には言ってない。

 「あれ?やっぱり勘違いをしていたのかもしれない」と思ったのは、最初に書いた言葉と、経産相の涙とを並べた辺りだったでしょうか。
 あの言葉。
 「大久保は政治家に必要な冷たい血が豊富にある人だった」
 「冷たい血」に目が囚われて肝腎なことを見落としていたのではないか。
 それも、二つも。
 「大久保は冷たい血が流れている人だった」、じゃない。
 ①「政治家に必要な冷たい血」
 ②「冷たい血が『豊富』にある」



 「血」と言えば、「熱血」のみ、「正」と思ってしまいますが、「熱血漢」と言うと、時に社会のルールを破って激情のままに独走する人のことを言います。
 別言すれば、「(社会にとっては)些か困った人」。
 けれども、「血も涙もない奴」は、人の気持ちの分からない利己主義者のことであって、「熱い血」「冷たい血」はそれとつながらない。
 それ以前に「血がない」から、人の気持ちが分からない。熱い、冷たいは関係ない。ましてや大久保の場合は「冷たい血が豊富にある」と言われ、更にはその「冷たい血」は「政治家に必要」とまで言われているわけですから、「人間の感情が薄い、酷薄な奴」、という意味の「冷血漢」は、あてはまらないでしょう。

 つまり、「血」とは「(他人を思う)気持ち」と考えて良いのではないでしょうか。
 だから、「血も涙もない奴」は、「人の気持ちなんか分からない」、「涙がない」、は「利己的な」奴。

 「熱い血」が他人のことを感情的に思いやるものだとしたら、
 「冷たい血」は他人のことを理性的に思いやるものだと言えそうです。
 そうなれば、
 「大久保には政治家に必要な冷たい血が豊富にあった」
 というのは
 「他人のこと(国家、国民のこと)を理性で以って思い遣る、政治家として大事な心を持っていた。それも豊富に」
 となります。
 これなら、家では子煩悩であったということと、完全に重なる。

 常に
 「次に何をするか」
 でなく、最初から自身の立てていた計画の中から
 「次に何ができるか」
 と考えていた大久保利通。
 彼はその場での思いつきで行動することはなかった。
 そして、「冷たい豊富な血」で以って「敵、千万人と雖も我征かん」を貫き通した。
 やっぱり大変な思い違いをしていたように思います。
 

 ちょうど菅総理が、代表を辞任すると初めて表明しました。

 大久保と菅・・・・・・。

 これ以上、書くこともないでしょう。








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考え方(道筋)

2023年12月25日 | 心の持ち様
 ただ「焚書」だとか「坑儒」だとかいう言葉を見ると、始皇帝は冷酷非情の権化、としか見えないし、実際そう習ってきたように記憶している。
 しかし、秦は「法(という考え方)による新たな社会体制」で以て新たな国づくりを目指した。
 大久保利通を評する「冷たい血を豊富に持っている」という言葉を思い出す。冷静ではあるが冷酷ではない、目的に向かうために立てた筋道を鉄の意志で情に流されず貫き通す。

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樋泉克夫のコラム
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(知道中国 2617)   
  ──習近平少年の読書遍歴・・・「あの世代」を育てた書籍(習283)

   △
13歳で王位に就いた始皇帝は奴隷所有階級出身の重臣を退け、「韓非子が説く法治理論を十二分に重視し、法家を周辺に置いて重用し」たうえで政治を行った。全国を統一した後、中央集権政府によって「引き続き農業を重んじ商業を抑える政策を進め、辺境を開発し、水利事業を興し、農業生産を奨励し、工商奴隷所有勢力に徹底して打撃を与えた」。同時に度量衡・貨幣制度・文字を全国的に統一し、「統一国家の基礎を強固にし、各地区・各民族間の経済や文化の発展を促した」。
ところが、時代に取り残された奴隷所有階級と儒家が結託し、様々な策動を試みるのであった。

 始皇帝の側近に紛れ込んで「古代の制度は変えることが出来ない。郡県制度を廃して封建制に復すなら、千万代の後まで秦は栄えます」と吹聴するばかりか、都の咸陽で密かに私学を経営し反政府活動を企てる不届き者もいたほどだ。
 そこで始皇帝は「一、私学開設を禁止。二、国立図書館を除き、個人による儒教関連書籍の所有禁止。三、儒教関連書籍を使って政府を批判する者は斬首」との法令を下す。かくして国立図書館所蔵以外の個人所有の儒教関連反政府書籍が摘発され焼却処分となる。

 だが「これで認識における闘争が幕を閉じたわけではない。
革命である以上、一握りの反動儒家の反抗は続く」。彼らは地下に潜行し徒党を組み、秘かに武装蜂起を企てる。そこで彼らを逮捕することになるが、都への護送途中、沿道から「こいつらゴキブリを埋めてしまえ」「あの世の孔子のところに送り届けてやれ」などと怒声が飛び交う始末だ。

 だから焚書は後世に広く伝えられているような学問・言論の弾圧ではなく、坑儒は反動儒家に対する庶民の憤怒に従ったものであり、決して人権を否定したものではない。
『始皇帝的故事』は、焚書坑儒を奴隷制社会への回帰を企む反動勢力に対する「当時の人民の賛成と支持を受けた」始皇帝の正しい措置であり、社会を前進させるうえでの大いなる功績と位置づける。だから「広範な人民の要求と願望、前進しようとする歴史の趨勢に合致」しない学問・思想を存在させてはならないばかりか、自らに不都合な学問・思想を徹底弾圧することは正当な行為だというリクツが成り立ってしまうことになるわけだ。

 (以下略)

 「宮崎正弘の国際情勢解題」 
    令和五年(2023)12月24日(日曜日)
        通巻第8065号より 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 「焚書は時代に取り残された奴隷所有階級と儒家が結託し、様々な策動を試みるのを阻止するため→だから弾圧ではない」
 「坑儒は地下に潜行し徒党を組み、秘かに武装蜂起を企てる彼らに対して庶民の憤怒が抑えきれなかった結果」・・・・。
 
 始皇帝は「新たな社会体制による新たな国づくり」を目指したのだけれど、中国共産党は?「共産主義による国家統一」。
 似ているようで全く違う。
 始皇帝は法によって(しっかりとした考え方で以て)それを行おうとし、中国共産党は「共産主義」と書かれた旗を拝むように命じた。

「新たな社会体制による国家統一」という面だけなら中国も同じ。だが、中国共産党が自らを法家を遵奉しようとした秦(始皇帝)になぞらえるのはいくらなんでもおかしいだろう。「新たな考え方」ではなく共産主義という旗を押し立ててそれに盲従させようとしているだけなのだから。
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今日の天気と目

2023年12月24日 | バイク 車 ツーリング
 12月2日(土)

 朝、散歩に出る時、相当西に傾いたオリオン座が能く見えた。
 それだけ天気が良いということだ。空はまだ真っ暗。
 出たのは5時20分。
 5時50分帰宅。冷える。
 帰って来ても山際が少し明るくなった程度。

 今日は10時45分から午後1時30分までSRで西脇までの往復。
 もっと早く出れば良いようなものだが、初冬の山間部(というより内陸部か)に朝(7~8時)から向かうにはそれ相応の準備をしなければならない。
 その分、昼近くになると少々以上、暑さに辟易することになる。

 しかし、雨の全く降らなかったのは珍しい。
 今回は西脇まで行っただけ。それも酒の肴を買いに、だけ。

 空振り覚悟だったがこの日は串焼きの店が開いていた。
 店の主人の話では、ここしばらくは高源寺(紅葉の名所)へ行っていたらしい。紅葉が終わったのでこれからはこっちだ、とか。

 今回は酒の肴購入が主だが、同じくらい大事なことが「新しくした眼鏡の具合を確かめる」こと。
 眼鏡を替えたことで疲れは明らかに少なくなったが、やはり帰りには目が疲れてきたのがはっきりわかる。乱視がマシにならねばこれから長距離は走れなくなる。

 何年ぶりかでクシタニの全天候型ブーツ。・・・と言っても、20年くらい前の物だから今ははるかに良いものが出回っていることだろう。
 グローブは3シーズン用で不都合はなく、念のために冬用のも持って行ったのだが、使うことはなかった。

 往復で3時間弱。100キロメートルほどでしかなかったが、目の疲れを別にしたら、最近でこれだけ気持ちの良いショートツーリングは他に思い出せない。

 勿論、晩酌は買って帰った串焼きを肴に。
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月初参り

2023年12月23日 | 日々の暮らし
 12月1日(金)

 5時5分に出て、月初めの参拝。帰ってきたのは6時過ぎ。
 少し汗ばむくらいだったが、今日はすぐ冷える。
 シャワーを浴びて、後は大人しくしていた。

 気が付けば今日から師走。なのにどうしたことか、この冬はまだ炬燵を出してない。こんなのは初めてじゃないか。
 確か、今年炬燵を片付けたのは6月・・・。6月?!
 なんて怠け者!と我ながら驚くが、実際「梅雨冷」なんて言葉もあるからね。そういうこともある。な、何しろ山岳地帯だから!

 2時を回ってクロレラCと卵を買いにスーパーマーケットへ。

 夜になって風が強くなってきた。

 明日、天気が穏やかになればSRで西脇へ?
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