映画「君の名は。」を見てきました。
映画を見てしばらくしてから、アニメ映画には「母親不在」が多いことに改めて気がつきました。
「君の名は。」も、主人公2人の母親は登場しません。
そう考えると、「天空の城ラピュタ」などの宮崎アニメも母親が登場しないことが多いですね。
または、母親との物理的な距離が遠かったり、一緒に暮らしていても母親にも自分の世界があって子どもと適度な距離感があるケースだったりします。
子どもに関わりすぎている母親の出てくるアニメ映画をあまり思い出すことができません。
(「ちびまるこちゃん」とか「ドラえもん」にはお母さんが出てきますけれど、けっして「関わり過ぎ」ではないですよね)
子どもたち、とくに思春期の少年少女は、この「適度な距離感」を必要としているのでしょう。
「自立」「成長」「冒険」「恋愛」にとって、母親の存在が「足かせ」や「ハードル」「壁」になってしまうことがあるのは、紛れもない事実なのだと思います。
映画における「母親不在」は、主人公が自由に活躍するための条件になっているといったらおおげさでしょうか。
映画の中で、子どもたちは、母親がいなくてもきちんと生活しています。
主人公の多くは、「幼い頃に必要なしつけをちゃんと受けた子ども」「親だけでない周りの大人たちにもきちんと叱ってもらって育った子ども」に見えます。
本当は、母親にとっても、「自分がいなくなった世界で、子どもが周りに迷惑をかけず愛されて生きていく」ということは、なによりも理想的ですし、ありがたいことです。
でも実際は、信じて離れて見守るのは難しくて、過干渉だったり、過保護だったりするんじゃないでしょうか。
思春期、親がほっといてくれたことが、私にとっても大きな力になった気がします。
離れていても「愛されている」という自覚と「いざという時は家族に支えてもらえる」という安心感を持って新しいことにチャレンジする自由がありました。
自立にも恋愛にも、「大人になる」過程の全てのことで、過干渉がなかったことに感謝しています。
だからこそ、「今度は自分がちゃんと子離れしないといけない」「自分が今までしてきた子育てを信じよう」、そう言い聞かせている今日この頃です。
余談ですが、映画の中の「母親不在」を、観客として「ありがたいなぁ」と思うことがあります。
どうしても「母親」が登場すると、「母親」の目線で映画を見てしまうきっかけになってしまうので、主人公に感情移入したいときは「母親不在」のほうがいいのかもしれません。
今回の「君の名は。」は「母親不在」だからこそ、楽しめた気がします。
映画を見てしばらくしてから、アニメ映画には「母親不在」が多いことに改めて気がつきました。
「君の名は。」も、主人公2人の母親は登場しません。
そう考えると、「天空の城ラピュタ」などの宮崎アニメも母親が登場しないことが多いですね。
または、母親との物理的な距離が遠かったり、一緒に暮らしていても母親にも自分の世界があって子どもと適度な距離感があるケースだったりします。
子どもに関わりすぎている母親の出てくるアニメ映画をあまり思い出すことができません。
(「ちびまるこちゃん」とか「ドラえもん」にはお母さんが出てきますけれど、けっして「関わり過ぎ」ではないですよね)
子どもたち、とくに思春期の少年少女は、この「適度な距離感」を必要としているのでしょう。
「自立」「成長」「冒険」「恋愛」にとって、母親の存在が「足かせ」や「ハードル」「壁」になってしまうことがあるのは、紛れもない事実なのだと思います。
映画における「母親不在」は、主人公が自由に活躍するための条件になっているといったらおおげさでしょうか。
映画の中で、子どもたちは、母親がいなくてもきちんと生活しています。
主人公の多くは、「幼い頃に必要なしつけをちゃんと受けた子ども」「親だけでない周りの大人たちにもきちんと叱ってもらって育った子ども」に見えます。
本当は、母親にとっても、「自分がいなくなった世界で、子どもが周りに迷惑をかけず愛されて生きていく」ということは、なによりも理想的ですし、ありがたいことです。
でも実際は、信じて離れて見守るのは難しくて、過干渉だったり、過保護だったりするんじゃないでしょうか。
思春期、親がほっといてくれたことが、私にとっても大きな力になった気がします。
離れていても「愛されている」という自覚と「いざという時は家族に支えてもらえる」という安心感を持って新しいことにチャレンジする自由がありました。
自立にも恋愛にも、「大人になる」過程の全てのことで、過干渉がなかったことに感謝しています。
だからこそ、「今度は自分がちゃんと子離れしないといけない」「自分が今までしてきた子育てを信じよう」、そう言い聞かせている今日この頃です。
余談ですが、映画の中の「母親不在」を、観客として「ありがたいなぁ」と思うことがあります。
どうしても「母親」が登場すると、「母親」の目線で映画を見てしまうきっかけになってしまうので、主人公に感情移入したいときは「母親不在」のほうがいいのかもしれません。
今回の「君の名は。」は「母親不在」だからこそ、楽しめた気がします。
母親は日常生活の象徴なのかもしれませんね。非日常を描く場合には登場させない方が良いのかもしれませんね。
逆にほっとする日常には母親が欠かせないのかもしれません。
なるほど、「日常生活の象徴」っていいですね。
母親べったりの時期が過ぎて、反抗期があって、自立する時が来る。
日常から抜け出せるチカラ、冒険するチカラを与えられる親になるって、なかなか難しいです。