今年は主人の父の新盆です。
去年の夏はいた義父が、今はいない…
離れていたせいか、いないという実感がどこか薄いのですが、お盆が
近ずくと、あーいないんだ!と義父のいないことが現実味を帯びて
寂しさに重なります。
明日は、無人になった主人の家を掃除して親戚をお迎えする準備です。
先日買った山折哲雄の本に「人間なら、生きていくうえで誰でも「死」
による別れを経験します。
むろん、誰もがいつかは死んでいきます。
人間の死亡率は100%。
みじんも誤差はありません。」と書いてありました。
当たり前のことなのに、文字で書かれるとハッとさせられるものが
あります。
そう、死ほど平等なものはないんですよね。
それなのに、どこか自分とは無関係のような気がしてしまう…
だから、こうやって生きていけるのかなー
後数カ月と言われていた義父が、本人は知らなかったのですが、
電話で「あんがい短いかもしれない」と言ったことが、今頃にになって
に思い出されます。
新聞日航ジャンボ機の墜落から25年ということで、墜落の寸前に
書いた219文字の遺書が載っていました。
死の恐怖の中で、死を受け入れ「本当に今迄は幸せな人生だったと
感謝している」という言葉を残して逝かれた、この方の遺書を読み
人間の崇高さを感じました。
お盆を迎える時ぐらい、死亡率100%の死について考えて
みようかと思います。
明日は、山折哲雄の「わたしが死について語るなら」を持って行こう。
去年の夏はいた義父が、今はいない…
離れていたせいか、いないという実感がどこか薄いのですが、お盆が
近ずくと、あーいないんだ!と義父のいないことが現実味を帯びて
寂しさに重なります。
明日は、無人になった主人の家を掃除して親戚をお迎えする準備です。
先日買った山折哲雄の本に「人間なら、生きていくうえで誰でも「死」
による別れを経験します。
むろん、誰もがいつかは死んでいきます。
人間の死亡率は100%。
みじんも誤差はありません。」と書いてありました。
当たり前のことなのに、文字で書かれるとハッとさせられるものが
あります。
そう、死ほど平等なものはないんですよね。
それなのに、どこか自分とは無関係のような気がしてしまう…
だから、こうやって生きていけるのかなー
後数カ月と言われていた義父が、本人は知らなかったのですが、
電話で「あんがい短いかもしれない」と言ったことが、今頃にになって
に思い出されます。
新聞日航ジャンボ機の墜落から25年ということで、墜落の寸前に
書いた219文字の遺書が載っていました。
死の恐怖の中で、死を受け入れ「本当に今迄は幸せな人生だったと
感謝している」という言葉を残して逝かれた、この方の遺書を読み
人間の崇高さを感じました。
お盆を迎える時ぐらい、死亡率100%の死について考えて
みようかと思います。
明日は、山折哲雄の「わたしが死について語るなら」を持って行こう。