ずいぶん昔、柳澤桂子さんが「後、何十年かしたら、人がなぜ信仰を
(広い意味での信仰と思われる)持つか、生命科学で解明出来る
だろう」と言われているのを読んだことがあります。
その時、それが解明されるまで生きていたいなーと、漠然と思いました。
私には、人が人と成り得た時に、もうすでに信じる心が備わっていた
ように思えるからです。
初女先生は、「素直な心が信仰の根源」と言われています。
心が素直になった時、人の心には信仰が生まれてくるのでしょうか。
柳澤桂子さんの訳の般若心経は、宇宙に繋がるものを感じます。
その柳澤桂子さんが、素敵なことを言ってました。
「愛はこだまする
人の心は、愛に感応する力を持っている。
我を捨てた人は、相手にも我欲を捨てさせる力を持つ
愛は、美しい音楽のように相手の心に浸透し、
さらに美しい音楽として送り返されてくる。」
この言葉を目にした時、初女先生のお姿が浮かんできました。
そしてふと、私達は母性という愛の種を持って生れて来ているのでは
ないかだろうか…
初女先生は、女性にも男性にも母性があると言っておられました。
その愛の種を育み、母性という愛にまで成長させることが
私達に課せられているお役目ではないかと…
(広い意味での信仰と思われる)持つか、生命科学で解明出来る
だろう」と言われているのを読んだことがあります。
その時、それが解明されるまで生きていたいなーと、漠然と思いました。
私には、人が人と成り得た時に、もうすでに信じる心が備わっていた
ように思えるからです。
初女先生は、「素直な心が信仰の根源」と言われています。
心が素直になった時、人の心には信仰が生まれてくるのでしょうか。
柳澤桂子さんの訳の般若心経は、宇宙に繋がるものを感じます。
その柳澤桂子さんが、素敵なことを言ってました。
「愛はこだまする
人の心は、愛に感応する力を持っている。
我を捨てた人は、相手にも我欲を捨てさせる力を持つ
愛は、美しい音楽のように相手の心に浸透し、
さらに美しい音楽として送り返されてくる。」
この言葉を目にした時、初女先生のお姿が浮かんできました。
そしてふと、私達は母性という愛の種を持って生れて来ているのでは
ないかだろうか…
初女先生は、女性にも男性にも母性があると言っておられました。
その愛の種を育み、母性という愛にまで成長させることが
私達に課せられているお役目ではないかと…