8月6日が、今年もめぐって来ました。
小さい頃から8月6日の8時15分になると
家族でテレビの前に座り、平和公園の
鐘の音を聴きながら黙祷をしてました。
ヒロシマもナガサキも知らなかったけれど
父と母の真似をして手を合わせていました。
小学生の時に、東京であった”原爆展”に
父と行き、物凄く怖かったことを覚えて
います。
戦争を体験していた父は、事あるごとに
戦争というものを我が子に伝えようと
していました。
幼稚園の時に遊びに来た友達にまで
戦争の話をして、「直ちゃんの家に行くと
怖い話を聞かされるから、もういかない」と
言われたことがあります。
今年は戦後75年です。
若い女性が、「戦争体験を直接聴ける
最期の世代だと思う」と言ってました。
息子が生徒に「今日は何の日か知ってる?」
と、聞くと「誰かの誕生日?」という
言葉が返ってきたと言うのです。
教科書に1行しか書いてないそうです。
戦争体験者から受け取ったバトンを
どう伝えていくか…
このことは、自分には関係ない
誰かにお任せでは済まない、差し迫った
問題として、私たちに突き付けられています。
コロナ禍を体験し、当たり前と思っていた
日常が一変すると、日々の暮らしの大切さが
身に染みてわかります。
その日々の暮らしを、一瞬にして奪うのが
戦争です。
唯一の被爆国である日本が、核兵器禁止条約に
参加していません。
毅然として平和を希求していきたいです。
戦争につながるものは、どんな小さなものでも
摘み取っていかなければと、強く思います。