今日は、姉と施設に入所
している母に会いに行きました
コロナで面会が出来なくなって
いたので母に会うのは半年振り
です。
15分という短い時間の中で
母が私達を思い出してくれる
だろうか…そんな思いを
抱えながら母を待っていました
母は私たちをぼんやりした目で
見て、何の反応もありません。
姉と私で、自分たちの名前を
大きな声で言い、「お母さんの
子どもだよ」と繰り返し
言っても、母は無反応
朝10時でしたが、眠い眠いと
そのことで一杯のようでした。
職員さんが「娘さんたちが
会いに来たのよ」と言うと
「有難うございます」という
母の消え入りうそうな声が
聞こえてきました。
短いような長いような15分の
面会は終わりました。
姉と泣かれるよりいいよね
と、変に納得して帰って
来ました。
そんな私を昨日読んだ
徳永進医師の
言葉がそっと包んでくれました
『老いて、思うように
食べられず、動けず、他人の
介助なしに一日が過ごせなく
なっても、その人独特の
優しい風貌があり、
生死についてのこだわりが
ゆるんでいる状態を、
老人性超越、と呼ぶらしい
アメリカインディアンの
古老の顔が浮かぶ。
当たっているとも思えるし
そうあって欲しいとも思う』
母は老人性超越の状態に
入っているのかもしれない…
死ぬことを怖がっていた
母から、その恐怖が消えて
いるように見えるのです。
確かに母も、頭に鳥の羽を
挿したら
アメリカインディアンに
なりそうな風貌です。
老人性超越か…
みんな超越して、あちらの
世界に還って行くのだろうか