昨日は8月15日、終戦記念日でした。
初女さんは、終戦と言わず敗戦と言ってました。
あの戦争が、自分が歳を重ねるとそんなに昔の
ことと思えなくなりました。
新聞に新聞社が募集した”平和の俳句”が載って
いました。
コロナ禍を体験して、何気ない日常の大切さを
感じます。
平和の俳句が響きます。
”ひざの上猫の頭にご飯粒”
”現行の憲法ありて安眠す”
子どもたちの俳句もありました。
”ありがとうと言ってくれてありがとう”10才
”へいわとはにんげんにだけできること”14才
昨日、綾瀬はるかさんが戦争体験を聴く
番組がありました。
その中で、被爆者の方が自分はすごい差別を
受けてきたけれど、このコロナでまた差別が
起きていることを感じていると言って
ました。
重い言葉です。
ダライ・ラマ法王は、平和とは
”ひとり一人の心の平安から”と言われて
いたのを思い出しました。
今日は、コロナで8月の結婚式が延期に
なった息子たちの前撮り写真の日でした。
初めて見る紋付袴姿の息子に、
なぜかこちらが照れてしまいました。
初女さんがいらしたら、どんなに喜んで
下さったでしょう…
初女さんと出合った時、小学生だった息子
ブランコに乗せにイスキアに連れておいでと
言われたのに、行かないうちに大人に
なってしまいました。
高校生なった時、初女さんが「自然に
よく育っているね。」言ってくれました。
小学校3年で、突然大好きだった兄を亡くし
大人でも耐えられない悲しみを、
よく乗り越えてくれたと思います。
初女さんを見ていて、本当の優しさは
強さに裏打ちされたものだと知りました。
息子は、料理もできないし、生活面では
まだまだですが、彼の優しさは強さと共に
あるように思えます。
お兄ちゃんの死によって育てられた
優しさだと思います。
深い悲しみを知っていると、心が深くなる
そんな気がします。
『明るく愉快に家庭生活を送っていると
まわりの人たちにも楽しさが伝染します。
世界中の人々がみんな仲よく平和に暮らす
それは小さな家族の和から始まって
いるのです。
佐藤 初女 』
昨日のブログに内山興正老師の
「われわれが一生を生きて行く上で
一番大切なことは、まず何より
『生きることだ。『生命』だ。」という言葉を
載せましたが、初女さんも病んでいた時に
自分に「生きよ、生きよ」と言っていたと
聞きました。
内山興正さんは、「生きることの目的は
生きること」であることをハッキリ認識して
おかなければならない!と書いてます。
ほどほど健康だと、この認識は皆無です。
でも、野生動物を見ると動物たちは
生きるために生きていることが、すべてだと
思えます。
生きることを認識しているか、
していないかで、生きる姿勢が
変わってくるのかもしれません。
そして、興正さんは、スミレにはスミレの
花が咲く…
つまりスミレの目的はスミレの花を
せいいっぱい咲かせるということです。
と、言われています。
この精一杯が大事なんだと思います。
初女さんは初女さんの花を精一杯咲かせた。
樹木希林さんは樹木希林(内田恵子さん)の
花を精一杯咲かせた。
興正さんは「世間なみを気にしない」
「自己自らの生命力で生きる」
これが人間の、生きものの、
本当の生き方です。と言ってます。
私は私の花を精一杯咲かせる!
それが、いのちが一番喜ぶこと
いのちが一番生き生きすることなんですね。
生きるとは、本当にシンプルで
シンプルすぎてわからなくなり、
スミレにバラの花が咲くことを願って
自分自身がわからなくなったり
我が子がみえなくなったりします。
私は私の花を…なんだ
目の前のことを一生懸命やることが
私の花を咲かせることなんだ!
これが私を生きるということなんだ!
今日は、かなりショックなことがあり
落ち込んでました。
これでは、いかん!と心を落ち着かすために
30分坐りました。
でも、昼過ぎの為かふっと眠気に襲われ
カタチばかりの坐りになってしまい
心は落ち込むばかり…
その時、読みかけの本を開いたら
内山興正老師の言葉に活!を入れられ、
涙が止まらなくなりました。
少し長いですが、その個所を記します。
『われわれが一生生きて行く上で
一番大切なことは、まず何より
「生きる」ことだ。「生命」だ。
「生きることの目的は生きること」であり
「生命の目的は生命」です。
これが事実です。
ここのところをハッキリと認識して
おかなければならない。
もう少し具体的にいいかえると
「スミレはスミレの花が咲く」
「バラはバラの花が咲く」ということです。
つまりスミレの生きる目的はスミレの花を
せいいっぱい咲かせるということです。
これはもっとも平易にして、
もっとも厳然たる
動かすべからざる事実です。
内山興正 天地いっぱいの人生 』
8月8日は息子の結婚式でしたが、
このコロナで来年に延期となりました。
本当に先のことはわかりません。
暑い季節は、感染は収まると言っていたのに
増え続けているのですから…
そして今、もう一つの問題は、
コロナによる差別が激しくなってきてる
と、いうことです。
先日、歌手のミーシャさんが「人と人との
距離が離されると、心と心の距離も
離される気がする」と、言ってました。
現実に、そういうことが起こっている気が
します。
人は一人では生きられないのに、
感染防止ということで、分断が深刻になって
来ています。
でも、視点を変えればコロナから気づきや
コロナから生まれた愛の行動もたくさん
あるはずです。
”われ以外、皆コロナ””の視点で見ていたら
差別しか生まれてきません。
初女さんの言葉が思い出されます。
『苦しみから立ち上がるには、
人のために働くことです。
喜びに満たされるときも、
人のために働くことです。
人のために働き、人に喜んでもらえると
なんにも代えがたい、
深い感動に満たされます。
それは、誰もが持つ天性です。』
誰もが持つ天性…
このことを忘れてました。
そして、私たちの中には愛があると
いうことを…
不安で心がしぼんでいただけ…
自分を信じる
私の中にある愛を信じる
誰もの中にある愛を信じる
愛は差別に勝つんだから!
今日は8月9日
長崎平和式典での、女子学生たちの歌声が
心に響きました。
テレビでは「この世界の片隅で」が
放映されました。
私は、この映画を観るのは4回目ですが
コロナ禍の中にいるからでしょうか。
今回ほど、あの戦争の時代を近くに
感じたことはありませんでした。
当たり前の日々の暮らしの大切さが、
コロナで体験したからでしょうか…
詩人の谷川俊太郎さんが、「若い頃は
戦争はなくすことができるってどこかで
思っていた気がするんですけど。
ある時期から戦争ってのはなくならないと
いうふうに確信するようになったんですよ。
戦争の原因というのは、突き詰めれば、
人間の一種の欲望みたいなものだろうと」
と、言ってました。
谷川さんは、戦争を起こさないためには?
という問いに「地道に毎日の生活をちゃんと
続けていくってことが平和だということだろう
と、思います。
基本的にそういう人間の普通の生活を
信じて、それを守るということしか
戦争反対の道はないという気がするんです。
それが、たった一人であってもね。」と
語ってました。
コロナ禍で知った、日々の暮らしの大切さ
それが、平和なんですね…
平和
谷川俊太郎
平和
それは空気のように
あたりまえなものだ
それを願う必要はない
ただそれを呼吸していればいい
平和
それは今日のように
退屈なものだ
それを歌う必要はない
ただそれに耐えrればいい
平和
それは散文のように
素気ないものだ
それを祈ることはできない
祈るべき神がいないから
平和
それは花ではなく
花を育てる土
平和
それは歌ではなく
生きた唇
平和
それは旗ではなく
汚れた下着
平和
それは絵ではなく
古い額縁
平和を踏んづけ
平和を使いこなし
手に入れなければならぬ希望がある
平和と戦い
平和にうち勝って
手に入れねばならぬ喜びがある
ラジオでコロナで家庭内感染を防ぐために
家の中でもマスクをし、出来るだけ話さない
ようにし、用事のある時はメールをするという
方のお便りが読まれ、驚きました。
何かが変…
家庭内感染が広がっているのだから…と、
言われても心に残った違和感は消えません。
コロナに感染しなくても、心が感染
してるんだと、言った人の言葉が
思い出されます。
不安に包まれて、自分を失ってないかしら…
そんな時、長田弘さんの「最初の質問」を
自分自身に問うてみると、心が落ち着いて
来ます。
心の感染をしない為に…
自分を取り戻す為に…
最初の質問
長田 弘
今日、あなたは空を見上げましたか。
空は遠かったですか、近かったですか。
雲はどんなかたちをしていましたか。
風はどんな匂いがしましたか。
あなたにとって、
いい一日とはどんな一日ですか。
「ありがとう」という言葉を、
今日、あなたは口にしましたか。
窓の向こう、道の向こうに、
何が見えますか。
雨の雫をいっぱい溜めたクモの巣を
見たことがありますか。
樫の木の下で、あるいは欅の木下で、
立ちどまったことがありますか。
街路樹の木の名を知っていますか
樹木を友人だと考えたことがありますか。
このまえ、川を見つめたのはいつでしたか。
砂のうえに座ったのは、
草のうえに座ったのはいつでしたか。
「うつくしい」と、
あなたがためらわず言えるものは何ですか。
好きな花を七つ、あげられますか。
あなたにとって
「わたしたち」というのは、誰ですか。
夜明け前に啼きかわす
鳥の声を聴いたことがありますか。
ゆっくりと暮れてゆく
西の空に祈ったことがありますか。
何歳のときのじぶんが好きですか。
上手に歳をとることができると
おもいますか。
世界という言葉で、
まずおもいえがく風景はどんな風景ですか。
いまあなたがいる場所で、
耳を澄ますと、何が聴こえますか。
沈黙はどんな音がしますか。
じっと目をつぶる。
すると、何が見えてきますか。
問いと答えと、
いまあなたにとって必要なのはどっちですか
これだけはしないと、
心に決めていることがありますか。
いちばんしたいことは何ですか。
人生の材料は何だとおもいますか。
あなたにとって、
あるいはあなたの知らない人びと、
あなたを知らない人びとにとって、
幸福って何だとおもいますか。
時代は言葉をないがしろにしているー
あなたは言葉を信じていますか。
8月6日が、今年もめぐって来ました。
小さい頃から8月6日の8時15分になると
家族でテレビの前に座り、平和公園の
鐘の音を聴きながら黙祷をしてました。
ヒロシマもナガサキも知らなかったけれど
父と母の真似をして手を合わせていました。
小学生の時に、東京であった”原爆展”に
父と行き、物凄く怖かったことを覚えて
います。
戦争を体験していた父は、事あるごとに
戦争というものを我が子に伝えようと
していました。
幼稚園の時に遊びに来た友達にまで
戦争の話をして、「直ちゃんの家に行くと
怖い話を聞かされるから、もういかない」と
言われたことがあります。
今年は戦後75年です。
若い女性が、「戦争体験を直接聴ける
最期の世代だと思う」と言ってました。
息子が生徒に「今日は何の日か知ってる?」
と、聞くと「誰かの誕生日?」という
言葉が返ってきたと言うのです。
教科書に1行しか書いてないそうです。
戦争体験者から受け取ったバトンを
どう伝えていくか…
このことは、自分には関係ない
誰かにお任せでは済まない、差し迫った
問題として、私たちに突き付けられています。
コロナ禍を体験し、当たり前と思っていた
日常が一変すると、日々の暮らしの大切さが
身に染みてわかります。
その日々の暮らしを、一瞬にして奪うのが
戦争です。
唯一の被爆国である日本が、核兵器禁止条約に
参加していません。
毅然として平和を希求していきたいです。
戦争につながるものは、どんな小さなものでも
摘み取っていかなければと、強く思います。
朝、坐っていると蝉の声が一段と勢いを増して
きているのを感じます。
蝉は地上に出て1週間ぐらいの寿命と
聞いていましたが、それは俗説で1か月位は
生きているようです。
それでも、私たち人間から比べたら
何と短い一生でしょう
ふと、蝉は(蝉に限りませんが)自分の寿命を
知っているのだろうかと思ったのです。
日野原先生が
『人間は自分が死ぬということを
あらかじめはっきりと知っている
生きものである』と、言われているので
恐らく人間以外の生きものは、
知らないのかな?という気がします。
いのち一杯鳴いている声を聴くと、自分は
いのちに限りがあることを知っているのに、
何とチカラの出し惜しみをして生きて
いるのだろうと、つくづく思います。
初女さんは、いのち一杯生きていました。
講演会の後のサイン会が、1時間では
終わることがありませんでした。
ひとり一人に、丁寧に書かれるので…
ある会場で、会館の使用時間が過ぎてしまい
初女さんは、それでもサインを続けるので
最期は、通路に移動し、私たちは
初女さんの周りをふろしきやストールで
囲んで風よけをつくり、その中で初女さんは
サインをし続けました。
何でそこまで…と思ってしまいますが
初女さんは、「本を買って下さった方に
私が返せるのは、こういうことしかないから」
と、言われてました。
自宅にいらっしゃる時も、夜中の12時を
過ぎて、やっと自分の時間になると…
どんな時も、いのち一杯生きていた
初女さんの姿が思い出されます。
初女さんは「今を真実に生きていたら
必ず道は示される」と、言われてました。
私は、この”真実に生きる”ということが
分からなくて、分からなくて…
でも、蝉の声を聴きながら初女さんを
思い浮かべていた時に、目の前のことを
一生懸命やる、あの初女さんの生き方が
”今を真実に生きる”ということでは
ないだろうかと、思ったのです。
楽と便利さ、効率の良さを追求する時代に
育った私にとって、”チカラの出し惜しみを
しないで、目の前のことを一生懸命やる”
このシンプルなことが、意識しないと
体から抜け落ちて行くようなのです。
何があっても揺るがなかった初女さん
その生き方は、
目の前のことを一生懸命やる!
それは”今を生きる”と言われていた
初女さんの生き方だったんですね。
朝の坐りの中で、そんな気づきが
運ばれてきました。
暑い1日でした。
夕方になると、大したことをしてないのに
今日も頑張って生きた!って思えるのです。
真夏の暑さは、人をそんな気持ちに
させてくれるものを持っているのでしょうか
昨日の夕日の美しさは、言葉にできません。
物干し竿の向こうにある大自然
自然は神だ!と言っていた人がいますが
夕日の神々しさに、思わず手を合わせ、
無条件の愛に包まれていると、感じるのです。
私たちは宇宙に愛されているんだ…
この根拠のない確信は、どこから
来るのでしょうか…
大切な人を亡くす度に、空を見る時間が
増えてきます。
空は宇宙に繋がっているから…
私は、初女さんは宇宙の母になったと
信じています。
初女さんの最期の本を担当した
ライターの人が、初女さんが”宇宙の母”という
言葉を何度も口にしていたと言ってたから…
宇宙の母から見たら、私たちは皆、子供たち
だから私は空に言葉を投げかけるの
「初女さん、どうしたらいいの~」って
母は子供たちを見守っているから
時間をかけても必ずこたえは返ってきます。
苦しい時、悲しい時、悩んでいる時
空に向かって言葉を放ってみてください。
”どうしたらいいの~」って…
無条件の愛に包まれていることを
感じる日が、きっと来ると思います。