世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

影の物語・4

2015-07-17 04:13:37 | 月夜の考古学・本館

「なんてこと! この王様は、人形だわ!」
 姫様は思わず叫びました。
「その通り。いくらあたしでも、一人でたくさんの人間になることはできないからねえ。ほかのやつは、こうして、蝋人形で代用するのさ」
 こうして、魔女の計画は、着々と進んで行きました。ふた月もたつと、城の人間は、ほとんどすべてが人形になってしまいました。魔女は、その人形を魔法であやつり、自分に奉仕させました。あの愛国心に燃えていた大臣も、今や、魔女のぜいたくざんまいのために、平気で高い税を取る残酷な地主になりました。王様などは、もう魔女の奴隷同然でした。
 このままでは、この国は、魔女に支配されてしまいます。そしてそれは、何もかも、姫様の軽率な願いが原因なのです。でも、影になった姫様にはどうすることもできません。
「影になるがいい。みんな、影になるがいい。影になれば、どんな苦しみからも解き放たれる。何もかもを忘れることができる。そう、忘却こそ、永遠の安らぎ。さあ、人間よ、来たれ! 来てわたしの足元にひれふすがいい」
 魔女の魔法は、じわじわと、水が染み込むように、広がっていきました。ひとり、またひとり、人形にすりかわり、そして、国中のだれも、それに気がつきませんでした。やがて、姫様自身も、次第に、自分が姫様であるということを、忘れていきました。長い間、影として魔女の動作のまねをしているうちに、だんだんと、本物の影に近づいていったのです。それでも、時々ふと、姫様は自分のことを思い出すことがありました。
「なあに? わたしは、今まで何をしていたの?」
「おや、まだ死んでなかったのかい」
 魔女が言いました。姫様はぞっとしました。
「いやよ! わたしは影じゃないわ!」
「早く楽におなり。誰も助けにきやしないんだから」
「あ、あんたのたくらみなんか、長つづきしないわ。きっと、だれかが、あんたをやっつけにくるわ」
「ほっほっほ、そりゃあ楽しみだねえ。で、だれがくるんだい」
「それは…」
 姫様は言葉につまりました。将軍も、近衛兵も、今ではみんな魔女の操り人形でした。
「でも、きっと、だれか、だれかがいるはずよ」
「だれもいないよ。人間なんてみんなおんなじさ。自分のことしか考えてないのさ」
「ちがうわ! ちがうわ!」
 姫様は、必死に大声でわめきました。そうしないと、今にも深い眠りにおちいって、二度とめざめられなくなるのではないかという気がしていました。
「ちがうわ! 少なくとも、あの子だけは!」
「あの子?」
 はっと、姫様は、息を飲み込みました。頭の奥で何かが、ちんと弾けたような気がしました。あの子…? あの子ってだれだろう?
 そのとき、魔女の表情が青ざめました。姫様は、必死に考えこんで、何かを思い出そうとしています。魔女はあわてて、呪文を唱え始めました。だが、一瞬早く、姫様は叫んでいました。
「ダニー!」
 そう言ったとたん、姫様の脳裏になつかしい少年の顔が浮かびました。ああ、なんで今の今まで忘れていたのでしょう。自分のことをあんなに心配して、しかも、命がけで助けてくれようとしていた少年のことを。あのとき、彼の言葉に素直に従っていれば、こんなことにはならなかったろうに…。
「ダニー、ああ、ダニー」
 姫様の口から、おえつがもれました。涙がとめどなく溢れ出て、姫様の固く縮んでいた心に染みとおりました。
「わかったわ、今、わかったわ、わたし、ほんとは、王様のことなんてちっとも好きじゃなかった。美しさに目がくらんでいただけ。だれにもきらわれたくなかっただけ。ダニー、助けて。できることなら、もとのわたしにもどりたい。もどって、何もかも、初めからやり直したい…」
「ええい、おだまり!」
 魔女が、ぶるぶると震えながら、影を踏みつけました。そのときでした。どこからか、なつかしい声が聞こえてきました。
「グーリーシーア!」
「ダニー! ダニーだわ!」
 まちがいなく、それはダニーの声でした。瞬間、魔女が弾けるように窓にとびつきました。窓の向こうに、石になった足を引きずりながら、必死に城の中を歩いている少年の姿が見えました。魔女の顔がこわばりました。
「何てことだ! あの体で、ここまで来るなんて! …近衛兵!近衛兵!」
 魔女は、近衛兵を呼んで、ダニーを捕らえさせようとしました。ですが、いつもなら、魔女が一声呼べばすぐに現れるはずなのに、どうしたことか、誰も答える気配がありません。
「何をしてるんだ! 役立たずめ!」
 怒った魔女が、蹴破るようにドアを開けると、廊下に、近衛兵の人形が倒れていました。魔女はぎろりと影をにらみました。姫様もにらみかえしました。今までなら、魔女ににらまれたら、姫様はへなへなと気力がしぼんでしまったでしょう。でも、ダニーが助けにきてくれたというだけで、姫様にも、少しでもこの魔女と戦ってやろうという勇気が芽生えてきたのです。そして、それこそ、魔女が一番恐れていたことでした。さきほどから、姫様が自分の本当の気持ちに気がついてしまったために、魔法がだんだん効かなくなってきたのです。魔女の魔法は、自分を失った人間にしか、効かないのです。
 そうしているうちに、見る間に、魔女の顔が灰色になってきました。白い手がしぼみ、骨と皮だけの老人の手になり、右目が黄色く濁り始めました。
「あああ、くせ者!くせ者じゃあ、だれか! だれかああ!」
 魔女は、叫びながら城中を走り回りました。でも、だれもこたえませんでした。魔女の魔法が消えかけている今、魔女の命令をきくものは、もう城にはだれもいませんでした。そして中庭に走り出たとき、魔女はもう、ほとんどもとの姿に戻っていました。
「やっと会えたな」
 りんとした少年の声が、あたりにひびきました。見ると、つるばらのアーチの下に、銀色のナイフを手に持った少年が立っていました。その両足は、灰色の石になっていました。彼の着ている服は、あちこちがすりきれ、破れ、血がにじんでいました。ダニーは、重い足をひきずって、何度も倒れながら、ふた月かかってようやく城についたのでした。
「魔女め、覚悟しろ」
 少年の腕が瞬時に動き、銀のナイフが魔女のほおをかすりました。
「いた!」
 声をあげたのは魔女ではなく、姫様でした。瞬間、ダニーの顔色が変わりました。魔女がたからかに笑いました。
「どうだ! 手が出せまい。いいかい、あんたのお姫様は、今は、あたしの影なんだ。あたしが死んだら、影も死ぬ。つまり、お姫様も死ぬってことさ!」
 ダニーのナイフを握った手が震えていました。姫様は、たまらず、叫びました。
「ダニー、わたしはもういいの! 自業自得ですもの! お願いお城のみんなを助けて」
 そのとき、一陣の風が中庭を吹きわたりました。魔女の黒い影の中で何かがゆらめきました。それは、姫様の長い黒髪でした。ダニーが叫びました。
「グリシア、立て!」
「え?」
「君はもう影じゃない! 立てるんだ。立ち上がれるんだ!」
 そのとき、魔女が、狂ったような金切り声をあげ、ダニーに飛び掛かりました。そして、魔女の足と、影が離れたまさにその一瞬、まるで本のページがぱらりとめくりあがるように、いつの間にか、姫様は立っていました。ちりちりの黒髪と、そばかす顔の、愛らしい、もとのグリシア姫でした。ダニーの放ったナイフは、飛び掛かってきた魔女の左目をつらぬきました。
 ぎゃああああ!
 耳を貫く悲鳴と腐った臭いのする煙を残して、魔女はあとかたもなく消えてしまいました。
「ダニー!」
「グリシア! 無事だったかい!」
 ダニーが姫様にかけより、二人は抱き合いました。いつの間にか、足は元に戻っていました。姫様は、喜びのあまり、泣きながら、言いました。
「ああ、ダニー、わたし、馬鹿な子だったわ。あなたが助けに来てくれなかったら、今頃どうなってたか…」
「馬鹿なもんか。君が本当の馬鹿だったら、だれもあの魔女に勝つことはできなかったさ。魔女をやっつけたのはおれじゃない、君なんだよ。君が、君自身に、勝ったんだ」
 ダニーが耳元でやさしくささやきました。
 やがて、城のあちこちで、人々のざわめきが起こり始めました。魔女に影にされていた人たちが、目覚め始めたのです。もっとも、中には影のまま目覚めない人もいました。王様もそうでした。彼のように、あまり多く悩んだことのない人間には、影も人間も、そう変わりはなかったのです。

★★★
 さて、それから、ダニーとグリシア姫がどうなったかといいますと…。
 まあ、おとぎ話ばかり読んでいる人は、たいてい、この後、いなくなった王様のかわりに救国の英雄たるダニーが王様になった、そして姫様と幸せに暮らした、と思うでしょう。それがファンタジーの定石というものです。でも、彼らはちょっと違いました。
 城のみんなが目覚めたころ、二人はひそかに城を抜けだしました。そして、町外れにある小さな風車小屋に向かいました。ダニーは粉ひき職人だったのです。その風車小屋で、ふたりは長いこと一緒に暮らしました。グリシアは、王妃の位をあっさり捨てて、粉ひき職人のおかみさんになったのです。(次の王様には、前の王様のいとこだという人がなりました。)
 そして、時々、つまらない失敗やけんかをやりはしましたが、まあ、おおむね、ふたりは幸せな一生を送りました、…とさ。

(おわり)



(1988年個人誌ここり3号所収)




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