ローマでレンタカーを調達しティヴォリに向かいます。ローマから東に約30キロ、バス便もありますが、本数が少なく車が便利です。
ここには、世界遺産に登録されている古代ローマ皇帝ハドリアヌス帝の別荘跡「ヴィッラ・アドリアーナ」があります。紀元2世紀、帝国領土視察の旅から戻ってきたハドリアヌスは、総面積約300ヘクタールのこの地にギリシアやエジプトなど各地で目にした建物や景色を再現したそうです。
全体の縮小模型で、黒線より上の部分が遺跡になります。(下は管理事務所・ショップ)
入り口を入って直ぐにある「ポイキレ」と呼ばれるアテネの庭園を模した空間。高さ9m、長さ90mの壁に囲まれた中に大きなプールがあるだけで庭園という雰囲気ではありませんでした。上の縮小模型で、中央右、横長に見えている青色部分。
大浴場と小浴場跡、ローマ帝国時代から風呂はローマ人にとって欠かせないものだったようで、浴場跡はあちらこちらの遺跡でよく目にします。
「カノプス」、エジプトのアレッサンドリアとカノプスの町をつないでいた水路をイメージしたものとか。彫像の一部がいくつか残っていて当時の面影を忍ばせます。エジプトで見たのでしょうか、ワニの置物も。
上の縮小模型では、一番奥に位置しています。
島のヴィッラ「海の劇場」、運河に囲まれた小さな円形の建物跡で、ハドリアヌスは晩年、時間の多くをここで過ごしたそうです。
ティヴォリを跡に、一路この日の宿泊地、ラヴェンナに向かいます。途中、黄金色の畑と後方の緑、青い空が印象的でした。
ラヴェンナは人口16万人弱の町、東ゴート王国の首都になったり、東ローマ帝国の都が置かれたりと歴史的背景を持つ町で世界遺産に登録されており、西ローマ帝国、東ゴート王国および東ローマ帝国の文化遺産が混在しています。特に、ビザンティン美術のモザイク画が多数残っており、今回の目的もモザイク画の鑑賞です。
ラヴェンナの町の中心地、ポポロ広場、必ずと言っていいほど昔の町では広場を目にします。
まずは、サン・ヴィターレ聖堂、東ゴート王国時代に建設が始まり、東ローマ帝国の征服後も建設がすすめられた聖堂で、祭壇の天井部分はモザイク画で装飾されています。
左:「ユスティニアヌス帝と隋臣」、右:「皇紀テオドラと隋臣・侍女」
よく見ると皇帝と皇紀の頭上といいますか頭の後ろには、キリストや聖霊などにしか描かれない光輪が描かれています。これは、ローマ帝国時代、弾圧されていたキリスト教が4世紀初めに公認され、その後国教とされたことから、それ以降、皇帝・皇紀に敬意を表して光輪が描かれるようになったとか、興味深い話です。
金色の部分は薄く引き伸ばしたガラス板に金箔を貼り付け、それを小さく切り出したテッセラと呼ばれる物が使われています。金箔ですから、いつまでも輝きが保てるというわけです。
聖堂の隣にあるガッラ・プラチーディアの廟、5世紀にローマ皇帝・テオドシウス1世の娘、ガッラ・プラチーディアによって建てられたそうです。小さい建物ですが内部は、一面モザイク画で覆われています。
サンタ・ポッリナーレ・ヌオヴォ聖堂、東ゴート王国・テオドリック王によって建設された聖堂で、ここも状態の良いモザイク画が残っています。
天使に囲まれたキリスト(左)と聖母子(右)
宗教儀礼を司る3人のマギ(左)とマギに導かれ聖母子のもとに向かう22人の聖女の殉教者(右)
ラヴェンナでモザイク画を鑑賞した後は、パドヴァに向かいます。
パドヴァでは、ジョットの最高傑作のひとつ、スクロヴェーニ礼拝堂のフレスコ画鑑賞が目的です。キリストの生涯と聖母マリアの生涯が左右の壁に38面にわたって描かれています。ビデオを見せられた後、時間制で15分だったか、短時間しか鑑賞できず、描かれている一つ一つの絵のストーリーを追って行けなかったのが残念です。
ヴェネチアは到着翌日、バスターミナルのあるローマ広場からサン・マルコ広場まで一周しました。
カナル・グランデに架かるリアルト橋、ヴェネチアの運河といえば、やはりこの橋からの眺め、活気に溢れていました。
サン・マルコ広場、福音記者マルコにささげられた有名な大聖堂・サン・マルコ寺院
聖マルコを象徴する有翼のライオン像
カナル・グランデにかかるもう一つの橋、アカデミア橋からの、サンタ・マリア・デッラサルーテ教会、この眺めもガイドブックでよく目にします。
ゴンドラと運河、古びた石壁と赤いゼラニュウム、絵になっています。
土産物店の軒先を飾る色鮮やかな仮面や置物
余談ですが、バスの乗車券は車内でこの機械にかざしてセルフ改札します。
ヴェネチアを最後に2週間にわたるイタリアの旅はこれで THE END、この後、スイスに向かいます。
ここには、世界遺産に登録されている古代ローマ皇帝ハドリアヌス帝の別荘跡「ヴィッラ・アドリアーナ」があります。紀元2世紀、帝国領土視察の旅から戻ってきたハドリアヌスは、総面積約300ヘクタールのこの地にギリシアやエジプトなど各地で目にした建物や景色を再現したそうです。
全体の縮小模型で、黒線より上の部分が遺跡になります。(下は管理事務所・ショップ)
入り口を入って直ぐにある「ポイキレ」と呼ばれるアテネの庭園を模した空間。高さ9m、長さ90mの壁に囲まれた中に大きなプールがあるだけで庭園という雰囲気ではありませんでした。上の縮小模型で、中央右、横長に見えている青色部分。
大浴場と小浴場跡、ローマ帝国時代から風呂はローマ人にとって欠かせないものだったようで、浴場跡はあちらこちらの遺跡でよく目にします。
「カノプス」、エジプトのアレッサンドリアとカノプスの町をつないでいた水路をイメージしたものとか。彫像の一部がいくつか残っていて当時の面影を忍ばせます。エジプトで見たのでしょうか、ワニの置物も。
上の縮小模型では、一番奥に位置しています。
島のヴィッラ「海の劇場」、運河に囲まれた小さな円形の建物跡で、ハドリアヌスは晩年、時間の多くをここで過ごしたそうです。
ティヴォリを跡に、一路この日の宿泊地、ラヴェンナに向かいます。途中、黄金色の畑と後方の緑、青い空が印象的でした。
ラヴェンナは人口16万人弱の町、東ゴート王国の首都になったり、東ローマ帝国の都が置かれたりと歴史的背景を持つ町で世界遺産に登録されており、西ローマ帝国、東ゴート王国および東ローマ帝国の文化遺産が混在しています。特に、ビザンティン美術のモザイク画が多数残っており、今回の目的もモザイク画の鑑賞です。
ラヴェンナの町の中心地、ポポロ広場、必ずと言っていいほど昔の町では広場を目にします。
まずは、サン・ヴィターレ聖堂、東ゴート王国時代に建設が始まり、東ローマ帝国の征服後も建設がすすめられた聖堂で、祭壇の天井部分はモザイク画で装飾されています。
左:「ユスティニアヌス帝と隋臣」、右:「皇紀テオドラと隋臣・侍女」
よく見ると皇帝と皇紀の頭上といいますか頭の後ろには、キリストや聖霊などにしか描かれない光輪が描かれています。これは、ローマ帝国時代、弾圧されていたキリスト教が4世紀初めに公認され、その後国教とされたことから、それ以降、皇帝・皇紀に敬意を表して光輪が描かれるようになったとか、興味深い話です。
金色の部分は薄く引き伸ばしたガラス板に金箔を貼り付け、それを小さく切り出したテッセラと呼ばれる物が使われています。金箔ですから、いつまでも輝きが保てるというわけです。
聖堂の隣にあるガッラ・プラチーディアの廟、5世紀にローマ皇帝・テオドシウス1世の娘、ガッラ・プラチーディアによって建てられたそうです。小さい建物ですが内部は、一面モザイク画で覆われています。
サンタ・ポッリナーレ・ヌオヴォ聖堂、東ゴート王国・テオドリック王によって建設された聖堂で、ここも状態の良いモザイク画が残っています。
天使に囲まれたキリスト(左)と聖母子(右)
宗教儀礼を司る3人のマギ(左)とマギに導かれ聖母子のもとに向かう22人の聖女の殉教者(右)
ラヴェンナでモザイク画を鑑賞した後は、パドヴァに向かいます。
パドヴァでは、ジョットの最高傑作のひとつ、スクロヴェーニ礼拝堂のフレスコ画鑑賞が目的です。キリストの生涯と聖母マリアの生涯が左右の壁に38面にわたって描かれています。ビデオを見せられた後、時間制で15分だったか、短時間しか鑑賞できず、描かれている一つ一つの絵のストーリーを追って行けなかったのが残念です。
ヴェネチアは到着翌日、バスターミナルのあるローマ広場からサン・マルコ広場まで一周しました。
カナル・グランデに架かるリアルト橋、ヴェネチアの運河といえば、やはりこの橋からの眺め、活気に溢れていました。
サン・マルコ広場、福音記者マルコにささげられた有名な大聖堂・サン・マルコ寺院
聖マルコを象徴する有翼のライオン像
カナル・グランデにかかるもう一つの橋、アカデミア橋からの、サンタ・マリア・デッラサルーテ教会、この眺めもガイドブックでよく目にします。
ゴンドラと運河、古びた石壁と赤いゼラニュウム、絵になっています。
土産物店の軒先を飾る色鮮やかな仮面や置物
余談ですが、バスの乗車券は車内でこの機械にかざしてセルフ改札します。
ヴェネチアを最後に2週間にわたるイタリアの旅はこれで THE END、この後、スイスに向かいます。