起案書へ至急、決裁印が欲しくてNPO法人なごやか理事長の個人事務所を訪ねると、理事長は机の前に立ったまま、A4の書類数枚をためつすがめつ眺めていた。
「グループホームジョバンニのT管理者から法人事務局あてのファックスが僕の番号へ間違って届いた。
それが、古い入居者様の敷金の領収証の写しで、年代順に並べられていることから、本当にたまたまなのだけれど、歴代管理者の筆跡が並んでいることに、転送したあと気がついたんだ。
その中で、とりわけ目が行くのが、2代目管理者だったミス・エイスワンダーの筆跡だ。
かきかたノートのお手本のように大きくて分かりやすく、明るい印象を受ける。
あの方自身は万事引っ込み思案で、ホーム行事の記念撮影の時などいつも隅っこにいたり、カメラ係を買って出たりしていたけれど、そのたび僕や職員たちが無理やり真ん中に置いた。
そんな方がこうして大きな字を書くのは、自己主張ではなく、相手にとって分かりやすく、ということを最優先に考えてのふるまいなのだろう、と僕は見ていた。
本当に、一つ一つが立派な管理者だった。」
私はいつものように軽い胸のつかえを感じながら思った、私も彼女のように、信頼される管理者になれるだろうか。
ホームや入居者様を思う気持ちだけは、負けないのだけれどな。
大学に通う娘から、困りごとの相談があった。
熊本地震の被災地へボランティアに行った際、同じ班になった九州大学の学生から交際を迫られているが、自分としてはまったくその気がない。
それなのに仙台まで押しかけてくるそうなので、何とかしてほしいとのことだった。
こういうときこそ、父親の出番である。
仕方なく待ち合わせたという場所へ行ってみると、当の相手は先に来ていた。
背が高く、色白の顔にウェーブがかかった長めの髪。
ショーウインドウを背にしてすうっと立っている姿からは、そんな悪い男の子には見えなかった。
声を掛け、私が父親だと名乗ると少し驚いたような表情は浮かべたものの、悪びれる様子もなくコーヒーショップについてきた。
ウチの娘はおっとりしているから、ぐいぐい来るきみが苦手だって話していたよ。
さすがに彼は苦笑した。
ボランティアはその日限りのことも多いので、もう会えないかもしれないかと思い、多少強引だったことは認めます、すみません。
でも、お嬢さんを見た時、このひとこそ自分にとって運命の女性じゃないかな、と思ったんです。
それはありがたいけれど、福岡市の人口は仙台の1.5倍の150万人だろ、あちらで運命のひとを探した方が何かと都合がいいと思うけどなあ。
私も二十代の頃、東京で何人か、博多んもんに会ったけど、みな揃いも揃って「のぼせもん」だった。きみも一時の感情でのぼせてしまったのではないのかい?
たしかに僕は博多んもんで、父親もそうですが、母は横浜のひとなんです。
さっきから私の中でぼんやりと渦を巻いていた感覚の焦点が定まったような気がして、胸が早鐘のように鳴り出していた。
彼は見覚えのある黒目がちの瞳で私をまっすぐ見つめながら言った、
都内で新聞記者をしていた頃に、バンドを組んで上京した父親と知り合い、結婚したそうです。
そうか、、、。きみの名字は聞いたことがないけれど、お父さんはその後どうなった?
え??プロにはなれず、博多に二人で戻って家業の電気工事店を継ぎました。
母は福岡リビングというフリーペーパーの編集長を務めています。
きみが私の娘に目をとめてくれたことには感謝するし、理由も、きみの気持ちも、よくわかった。
不思議なこともあるものだ。
でもこの運命は誰も幸せにはしないので、あきらめて欲しい。
あきらめられない場合は、お母さんに今日のことを話してくれるといい。
いや、そうならないことを願うな。
頭のいい男の子だった。
多くを聞かず、気持ちよく別れることができた。
雑踏を歩きながら、私は不思議なことがあるものだ、とまた思った。
夏目漱石に「趣味の遺伝」という短編があったけれど、そんなレベルかな。
今日のことを、娘にはなんて言おう。
宅地建物取引業(いわゆる不動産業)の5年に一度の免許更新申請を行なった。
前回の手続きは復旧復興の真っただ中にあったため、行政書士に代行を依頼したので、実に10年ぶりの自力申請である。
改めて県の担当課HPで確認すると、申請書に加えて計17種類の添付資料が必要となっている。
これは、、介護サービス事業所の指定更新申請(6年ごと)の数倍の量だ。
ガックリ来ながらもダウンロードした書式データへ地道に入力し、市役所、県合同庁舎、税務署などを回って書類を集め、県庁へ赴いた。
せめて電子申請にならないものか。
そうも思ったが、次回、5年後の更新は一身上の都合によりほぼないだろうから、まあいいか。
(やはり5年ごとの宅地建物取引士の免許更新は、来年だ。)
父にその極端なクルマ遍歴の理由を尋ねたことがある。
「ロックだからじゃない?(笑)
一生は一回だし、映画や歌に出てこない車は乗りたくないね。」
「新型セドリック」ザ・ルースターズ(1980年)
映像は1981年のライブ
「ブラック・リンカーン・コンチネンタル」ニック・ロウ(1988年)
我が家のクルマは映像のモデルよりずっと時代が下ってからのセダンだったがそれでも、後部タイヤが車止めに当たる前にバンパーが壁にぶつかってしまうという、日本の風土に合わないサイズだった。
「新型キャデラック」ザ・クラッシュ(1979年)
映像は1982年の日本公演最終日。父は初日を観に行ったそう。
「ジャガー・アンド・サンダーバード」 チャック・ベリー(1960年)
Slow down, little Jaguar
Keep cool, little Thunderbird Ford
速度を落とせ、リトル・ジャガー
クールに行け、リトル・サンダーバード・フォード
以上が歌で綴る父のクルマ遍歴。
最後はジャガーに落ち着いていた。
兄はというと、子供のころからそんなクルマにばかり乗せられていたのに、堅実に国産のハイブリッド車を乗り継いでいる。
私の夫もそう。
「二人とも、ロックじゃないね」と苦笑いされてしまうだろうな、父が生きていれば、きっと。
「007カジノ・ロワイヤル」(2006年)
「マッチポイント」(2005年)
ウッディ・アレン版「罪と罰」というか、「アメリカの悲劇(陽のあたる場所)」。ロンドン、テート・モダンへショーファー・ドリブン(運転手つき)のジャガーXJで(0:45)。
「管理者の皆様におかれましては、月末のお忙しい中、また連日の猛暑にもかかわらずご出席いただき、誠にありがとうございます。
平成30年度最初の福法組管理者会議は、このあと『花鳥風月』社長様と、『町田サービス』社長様のお二方に講話をお願いしております。
また、東日本金融公庫様にもお越しいただき、我々介護サービス事業者にとって非常に有効なメニューについてご紹介いただくことになっております。
ところで、今日はみなさんにひとつお願いがあります。
大震災当日、私は午後二時から(この新しいやすけくより少し川沿いにあった)旧やすけくの二階で開催されていた、当管理者会議に出席しておりました。
当時の会長様からの指名によりゲストスピーカーの一人として、原稿を携えて壇の前で出番を待っていました。
スピーチのタイトルは『管理者と私』。
そのために、市内外に散っていた事業所管理者をすべて呼び集めていました。
ところが、私の前の町田社長さんのスピーチの途中であの大きな揺れがやって来て、会議はそのまま中断しています。
私はそれぞれの施設へ戻る管理者たちを見送った後、自施設へと向かったのですが、すでにグループホーム二つとデイサービス、それに居宅の計4事業所は津波で流失していました。
あたりまえのことですが、みなさんが管理者会議に出席中は、事業所は管理者不在です。
不在でも、もし何かあってすぐには戻れなくなっても、職員や利用者様が困らないよう、緊急時の対応を、主任、リーダーたちへ当日は必ず言い置いてからいらしていただきたいのです。
もちろん、それぞれの法人様、事業所にはしっかりとした緊急時の対応マニュアルが備えられているとは思いますが、大切なひと、ものを守りきれなかった私の苦い経験から、重ねてお願いする次第です。」