院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

3Dプリンターは革命的技術だろうか?

2014-05-20 05:42:24 | 技術

ビックカメラHPより引用。)

 3Dプリンターでピストルが造られたとか、製造現場でもう金型が要らなくなるとか、なにか革命的な技術が創造されたかのように報道されるが、3Dプリンターはさほど革命的な技術ではないと思う。

 所詮一つの材料(樹脂)で外形をこしらえるだけだ。カラープリンターやヘリカルCTのほうがよほど革命的だ。

 カラープリンターは、カラー写真に劣らない品質の映像を印刷する。それまでにインクの配合など、どれだけの試行錯誤がなされてきたか計り知れない。

 ヘリカルCTもCTの平面画像を何千枚とコンピュータ処理して3D映像を作り出す技術だ。臓器表面のグラデーションなど、どうやって実現したのだろうかと思わせる。

 それらに比べると、3Dプリンターは物体表面をスキャンして、ヘッドをそのように動かすだけの技術だから、どうということはないのではないか?そう思うのは、私が機械の素人だからだろうか?

鳥インフルエンザの消毒液は何か?

2014-04-18 05:02:23 | 技術

msn産経ニュースより引用。)

 鳥インフルエンザが流行っているらしい。消毒と称して、重装備の係員が液体を自動車や養鶏場に撒いているが、あの液体はなんだろうか?粉も撒いていた。あれは生石灰だと報道されていた。だが、液体の方は何なのか報道されていない。

 消毒にはアルコールや逆性石鹸などが用いられる。だが、これらはバクテリア(細菌)は殺せてもウイルスは殺せない。なぜなら、アルコールも逆性石鹸もバクテリアの細胞膜を破壊することによって細胞を殺す。しかし、ウイルスには細胞膜がないから殺せない。

 農林水産省の鳥インフルエンザ防疫指針にも、消毒とだけ書かれていて、消毒薬の指定はない。

 ウイルス学に詳しい友人に訊ねたら「あれは水で希釈しているんじゃないの?」と言う。希釈という消毒方法は確かにバクテリアにもウイルスにも通用する。だが、テレビで見る限り、噴射された液体は泡立っているようにも見えた。また、希釈なら防護服は必要ない。まさか、ウイルスには無意味な逆性石鹸を使っているのではないでしょうね。

オートメーション見物が好き

2013-12-14 06:24:30 | 技術
「業界初」にとことんこだわるドーナツづくり 北川製菓


 蕎麦やどら焼きなどの食品を店頭のガラス張りの部屋で実演販売している店を多く見かける。職人が蕎麦を切っていく技や、どら焼きの皮が焼けていく様子がとても面白い。

 別に焼きまんじゅうなどのオートメーション作業を見せながら販売している店が浅草にあった。少年の私は飽かずに見ていた。

 子どものころから工場見学が好きで、今でも好きだ。オートメーションをレポートしたテレビ番組があるから、好きな人は多いのだろう。

 オートメーションでは巧みにまんじゅうの成形や飲料の瓶詰が行われるので、よくぞ考えたものだと感心する。たぶんLSIの中ではもっと巧みな作業が行われているのだろうが、LSIは中身が見えない。オートメーションは具体的に視覚で理解できるから面白いのだ。

これがほんとの自動・車

2013-10-15 05:12:14 | 技術

(オリンパス・フォトパスより。「神戸ポートライナー」)

 こんなことができちゃうのか!と思ったのが、20年前にカーナビを見たときだ。まだアメリカのGPSの存在を知らなかったから、余計にそう思った。

 次がグーグルの衛星写真である。さらにグーグルの街角写真にも驚いた。私の遠くの実家が、庭の柿の木までしっかり写っている。

 逆に、こんなこともまだできないのか!と思うのが、いましきりに報道されている車の自動運転だ。月や火星に着陸できるだけの技術があるのに、自動運転がまだ実験中なんて・・。加害者であろうと被害者であろうと、交通事故で人生を棒に振る人がたくさんいるのに、なぜまだなの?という感じだ。

 GPSがなかった30年前、網の目のように特殊な道路を作って、道路ごと車を管理して動かす「無人運転」が構想されたが、実現しなかった。電車の無人運転としてポートライナーを初め一連の新交通システムが実用化されただけだった。その後の発展は思ったほどない。

 自動で目的地まで運んでくれる車ができたら、真っ先に買おうと思う。運転免許証を返上しようかと考えているところだからだ。

偵察衛星が撃墜されない理由

2013-10-03 05:50:54 | 技術

(Wikipedia「KH-9」より)

 きのう無人機は撃墜してもよいという話をした。そこで偵察衛星だが、これも実は無人機である。

 無人偵察機は撃墜されても、偵察衛星が撃墜されないのは、国連宇宙条約に宇宙平和利用の原則があるからではない。偵察衛星は撃墜するのに高度な技術と莫大な費用を必要とし、多くの国では不可能だからだ。

 ひとりアメリカだけにそれが可能となった。スペースシャトルである。スペースシャトルの成功によって、アメリカは他国の偵察衛星を撃墜できるどころか、ロボットアームでひょいひょいと拾って歩けるようになった。

 こうしてロシアの衛星が無力化されたため、軍事バランが崩れてアメリカの軍事的一国支配が成立した。スペースシャトルで子どもが考えたメダカやカエルの実験が行われたのは、むろん付け足しまたは懐柔策だった。

 このほどスペースシャトルが廃止されたのは、アメリカが宇宙での軍事的プレゼンスを確立したからに他ならない。必ずしも財政逼迫だけが理由ではなかった。

 宇宙は簡単に人が覗けないから、力のある国は好きなことをしている。宇宙条約なんて知ったこっちゃない。見えないところでは国家はなにをするか分からない。

 見えない海底では各国の潜水艦が熾烈なバトルを続けている。日本でも潜水艦乗組員は家族にさえ居場所や行動を知らせない。潜水艦の情報は、どこの国でも最高の軍事機密となっている。

 サイバー空間も見えないから、余人には想像もつかないような戦いが行われているはずである。そもそもインターネットとは情報を各地に分散させて、一箇所だけ破壊されても大損害を免れるための情報防衛システムだったのである。


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戦闘ロボット

2013-10-02 01:36:17 | 技術

(Wikipedia「無人機」より)

 わが国でも無人機を撃墜することになった。

 今後、無人機が急速に発達することは、現在の技術水準からすれば明らかである。

 「リモート攻撃」も心配されている。通信衛星を使って米軍がテレビ画面を見ながら中東の国を攻撃したことがある。その攻撃に参加した兵士は、まるでテレビゲームをやっているようで、殺人をしているという実感がなかったと証言している。

 だが、実感がない戦争方法は今始まったわけではない。刀や槍で対面して戦をしていたころから思えば、鉄砲の使用はすでに実感が薄れていたはずだ。大砲だってリモートだ。敵陣に侵入して爆薬を仕掛ける代わりに、遠くから放り込むのだから。だから「リモート攻撃」の開発は止められない。

 次に多くの人が懸念しているものに、「自立型兵器」がある。これはリモート攻撃とは違って、兵器が自分の判断で攻撃するという「戦闘ロボット」がイメージされている。そのような兵器ができたら収拾がつかなくなると、開発をやめるような国際条約を結ぼうという声もある。

 私は「自立型兵器」が作られても実用に耐えないと思う。それは根本的な問題、すなわち敵味方識別能力の実用化が達成できるはずがないからだ。

 実は地雷や機雷は「自立型兵器」である。人間の意志とは無関係に活動するからである。その結果、現在多くの国が地雷や機雷の除去に苦労している。

 「戦闘ロボット」も戦争が終われば、地雷や機雷と同じ厄介者になるだろう。だから「戦闘ロボット」の開発は意外に進まない。その代わりに「リモート攻撃」が急速に進歩していくことだろう。

自分で作らにゃ意味がない?

2013-09-26 06:42:21 | 技術

(オリンパス・フォトパスより。)

 だいぶ昔の話だが、友人同士が言い争っていた。一方はWINDOWSの素晴らしさを語り、他方はマックOSがいかに優れているかを主張して互いに譲らなかった。激しい応酬になり、君はどう思うかと私に話を振られた。

 私が「どちらも僕が作ったOSではないから。僕が作ったものなら自分のOSの良さを主張するけど」と答えたら、白けて対立は終わってしまった。

 鉄道ファンが鉄ちゃんと呼ばれて、カメラを構えて駅や踏切に人垣を作っている。確かに鉄道は美しい。それは単に彫刻のように鑑賞するためのものではなく、輸送するという機能があり、その機能を実現するために知恵の限りが尽くされているからだ。

 だが、私は鉄ちゃんにはなれない。なぜなら、それは所詮他人が作ったものだからだ。私ならもっと美しい鉄道を作りたい。

 私が住む豊橋の近くに日本車両という電車を製造する会社がある。そこの社員を知っている。彼は鉄道の床下のバネの強度はどれくらいなければならないか、といったことまで知っている。彼はもと鉄ちゃんである。本当の鉄ちゃんは、ここまで極める必要がある。彼から見れば、新型車両の前で群れなしている人々は鉄ちゃんのうちに入らないだろう。

 私がプロ野球やサッカーを見ないのは、「自分でやらなきゃ意味がない」という気持ちがあるからかも知れない。

(いつものことですが、私の意見はかなり偏ったものでしょう。プロの妙技を鑑賞することも大きな楽しみの一つだと思います。反論を期待します。)

マルセル・デュシャンの「泉」

2013-09-23 06:22:43 | 技術


 画家マルセル・デュシャンが、1917年のニューヨーク・アンデパンダン展に、男性便器を「泉」(上の写真)と名付けて匿名で出品し、展示を拒否されたことは有名な話である。

 デュシャンはそれに抗議し、物議をかもしたが、デュシャンの行為はその後のコンセプチュアルアートの先駆けとなった。デュシャンは従来の一点しか存在しない絵画を「網膜的絵画」と批判し、自らも絵画制作をやめてしまった。

 デュシャンは芸術作品は一点だけである必要はなく、またそれを芸術かどうか決めるのは作者ではなく見る側だとも主張し、「泉」の前1913年に自転車の車輪を「出品」して、これをレディ・メイドと呼んだ。(「泉」を「噴水」と訳す人もいる、「噴水」のほうが「噴出孔」は何かと連想が及んで面白いと思う。)

 私はデュシャンの主張に賛同できない。1970年ころ、名古屋の愛知県立美術館で前衛作品展が開かれた。お調子者がそこにゴミの山を出品して芸術作品だと言い張った。主催者側は不潔だと撤去を申し入れた。出品側は拒否し、それが芸術作品と言えるかどうか集会が開かれた。団塊世代の名古屋人ならご記憶かもしれない。

 集会を開いた人がアホなら、出席した人もアホだと思った。同じアホだった私も集会に出て双方の言い分を聞いていたが、「暇な人たちだなぁ」と思った。むろん私も含めて。

 芸術作品には驚異的な技術が伴っていなくてはならないというのが私の考えである。ダビンチのモナリザはもちろん芸術作品である。同じ観点から、昭和の写実的な映画看板も芸術作品だと思った。ただし、ダビンチも無名の看板画家も、自分を芸術家だと思っていなかっただろう。

 芸術作品は時代の関数である。ダビンチの時代に、もし写真技術が発明されていたら、ダビンチのような先進的な人なら真っ先に写真技術に飛びついていただろう。当然、モナリザという写実画も生まれなかった。

 モナリザに対して、世紀の名画だとか、謎の微笑だとか、モナリザの絵には謎のメッセージが隠されているなぞと、現在あれこれ論じている人たちは、愛知県美術館に集まってゴミを作品かどうか論じていた人たちと同類に思えてくるのだ。

(現在開催中の愛知トリエンナーレの出品作も、ほとんどがゴミの山だと私は思う。なぜなら、それらは超絶技巧を必要としないから。)

「高速増殖もんじゅ」の点検漏れ

2013-07-17 05:12:08 | 技術
 「高速増殖炉もんじゅ」の点検漏れが1万5000ヵ所見つかったという。後日、さらに3000ヵ所も点検漏れが見つかったと報道される。われわれは「なんと杜撰な」と思う。

 話は医療費の保険請求に飛ぶが、3万件の不正請求があったなぞと健康保険支払基金は発表する。この「不正請求」の大部分は、本当の不正請求ではなく、形式論である。

 たとえば、糖尿病で長らく通院している人がいるとする。あるとき、彼が便秘になれば、便秘薬が処方される。そのとき、医者は「便秘症」とカルテの病名欄に記入しなければならないのだが、うっかり書き忘れることがある。

 「便秘症」という記載がないと、支払基金は「病名が書き落とされている」とは言わない。そうではなくて「便秘症でもないのに便秘薬代が請求されている。これは不正請求だ」と鬼の首でも取ったかように言うのだ。

 マスコミは知ってか知らでか、そのまま報道する。国民は「そんなにたくさん不正が行われているのか」と医療に不信感をもつ。

 「高速増殖炉もんじゅ」のような精密機械に1万5000件もの点検漏れなぞ、ありうるのだろうか?「便秘薬代の不正請求」と同じような形式論ではないのか?

 もしかしたら、1万5000件という発表は、「もんじゅ」のメンテに不信感を抱かせるための、ためにする発表かもしれない。

作務衣の職人

2013-06-14 06:45:11 | 技術
 私が精神障害者リハビリ施設に勤めていたころ、利用者を対象に陶芸教室を設置することになった。

 私は、指導者として2人の陶芸家に声をかけた。そして採用のための「実地試験」を行った。試験の眼目は、その指導者が利用者を差別の目で見るかどうかだった。

 結果は、2人とも差別的ではなかった。指導態度にも問題はなかった。

 違いはと言えば、一方は作務衣とバンダナで作業したが、他方は普段着で陶器を作ったことだ。技量の違いは、素人の私には分からなかった。

 私は普段着の方を採用した。格好を付ける人を私が好まなかったからだ。

 普段着の指導者は、瀬戸市で普通の食器を作るのが本業で、陶芸は副業だった。でもその後、毎年、個展を開きファンを開拓していった。

 作務衣とバンダナのほうは、その後、活躍したとは聞かない。

 あれから25年、私も人生経験を積むうちに、作務衣で出てくる職人にはロクな職人がいないとの確信を持つに至った。

 そば職人(白衣の例作務衣の例)でも天ぷら職人でもよいから、今度、注意して見てほしい。作務衣の職人は見てくれを重視する人で、味の方は落ちることが分かるはずだから。

デジタル画像データの保存可能性

2013-02-24 00:14:29 | 技術
 さくらフィルムが「100年プリント」と称してフィルムを売り出し、印画紙でなくフィルムが何故100年プリントか?と多くの人が考えて、「100年プリント」を最後にさくらフィルムがフィルム市場から撤退したことはいつぞや書いた。

 カラーフィルムの歴史は浅く、いつか画像が消えてしまうのではないかとの疑念が拭い去れなかった。事実、私が1960年代に撮ったカラープリントは、ほとんど見えないほどに画像が劣化した。とくにサービスサイズが駄目で、別に引き延ばしたキャビネ版は消えずになんとか残った。

 だから、写真が趣味だった私は、どうしても残したい写真はわざわざモノクロで撮った。モノクロは明治時代からの実績があるからだった。案の定、モノクロで劣化した写真は今日までない。

 さて、世はデジカメ時代である。写真のデジタルデータをPCに残しておくと、PCをモデルチェンジしたときに移植し忘れるだろう。写真再生ソフトがどんどん変わっていって、いずれ写真データを再生できなくなるだろう。

 そこで、デジタルデータをプリントして紙に残しておくという手段が考えられるわけだが、プリンターで印刷された写真のインクが劣化しないとの保証がない。インクには銀塩プリントほどの歴史がまだない。そこで、デジタルデータでも銀塩プリントにしている私だが、上記のように銀塩プリントでもカラーは消えることがあるので、もう防衛手段はない。

 中世の絵画が残り、明治時代の写真はセピア色に劣化している。もっと新しいカラー写真は、すぐに消えてしまうほど保存年限が短い。新しい技術ほど保存が難しいという逆説が起こっている。これが技術の宿命なのかもしれない。

 女優の扇千景さんが京都弁でコマーシャルした「私にも写せます」というカセット式の8mmカラーフィルムをご存知の方は、けっこう年配である。8mmフィルムで映画を撮影することが、かつてはやった。しかし、今それらの8mmフィルムを再生できるだろうか?映写機があまり残っていないのではないか?

 つい最近までビデオの主流だったカセットビデオを、いま再生して楽しんでいる人がどれだけいるだろうか?それより前のオープンリールのビデオを再生できる機械なぞ、いまどき持っている人がいるのだろうか?

 つまり、映像保存が大衆化したら、結局なにも保存されていないという状況になってしまった。現在盛んなデジタル動画も同じ運命をたどるだろう。

註:古いモノクロ写真がセピア色になるのは、定着液の洗い流しが不十分だったからだ。定着液を十分に洗い流した写真はセピア色にはならないことは、意外に知られていない。

活版印刷よ、さようなら

2013-02-22 00:37:07 | 技術
 私の若いころには活版印刷しかなかった。(写真植字はあったが高かった。)だから、出版物はみな活版印刷で、校正が大変だった。

 私の処女論文は活版印刷だった。原稿はむろん手書きである。学術雑誌に投稿すると、レフェリーから意見がついて戻ってくる。意見になるほどと思えば、原稿を書き換える。その際、当時の論文原稿の習いとして、すべて最初から書き直さなくてはならない。一部分を直しただけの原稿は、正式な投稿論文として認められなかった。だから、投稿者は手書きで書き直すことに大きな労力を割かれた。

 その上、印刷された原稿(これをゲラ刷りと言った)は、誤字や脱字だけではなく、活字がさかさまになっているようなことがあった。これを直すのも一苦労だった。

 当時、活字をひとつひとつ拾う職人を文選工といった。彼らはものすごいスピードで活字を拾うことができた。その代わりに、誤りも多かった。

 そのころワープロが出現して、瞬く間に広まった。これにより、文選工と和文タイプ技術者は職を失った。ワープロ単能機とPC用のワープロソフトが出たのは、ほぼ同時だったように記憶している。

 PC用では一太郎というワープロソフトが一世を風靡した。そのころ、松茸というマイナーなPC用ワープロソフトがあった。私は学位論文を書くのにそれを使用した。原稿用紙200枚ほどの大論文で、レフェリーとのやり取りが2回あったが、松茸のおかげで最初からすべて書き直すという無駄をせずにすんだ。

 もう手書きの原稿なんて受け付けてくれる学術雑誌なんてない。(欧文雑誌はワープロができる前から、タイプライターによる原稿しか受け付けていなかった。)しかし、なぜなのかは分からないが、電子媒体での投稿を受け付けている学術雑誌は見かけない。みな、紙に印刷してからでないと受け付けてくれない。

 分子生物学や生化学の分野では、レフェリーとやり取りしていては発表が遅くなる時代になってしまった。だからかどうか、有名学術雑誌はみな「電子版」というのを持っている。精神医学の分野は一刻を争うような論文はないから、まだ紙媒体でもよいが、分子生物学などの研究の最前線ではみな一番乗りを競っている。

 こういう研究者には「電子版」が必要なのだろうが、レフェリーがどのように電子投稿に応じているのか、私は知らない。

キャッシュカードとマネーカード

2012-12-20 02:13:25 | 技術
 新生銀行のキャッシュカードがスキミング(磁気情報の不正読み取り)が行われ、ビデオカメラで暗証番号を見られて、600万円以上がカンボジアで引き出されたとの報道があった。

 キャッシュカードが始まった当初、カードの磁気情報自体に暗証番号が書かれていて、それによる被害があった。各銀行はすぐに暗証番号をカードから消したが、ずいぶんお粗末だと当時私は思った。

 そのころのパソコンはまだ8ビットマシンだったから、今より1000倍くらい速度が遅かったが、銀行のキャッシュカードシステムのほうは瞬時に反応するので驚いた。しかし、処理速度が速くても、カードに暗証番号が書かれているようでは頭隠して尻隠さずだった。(銀行のATMの速度が速かったのは、パソコンがベーシック言語を使用していたのに対して、銀行のコンピュータはアセンブリ言語を使用していたこともある。)

 キャッシュカードの普及とともにスキミングが始まった。今はもうない「ラジオ技術」とかいう雑誌は、スキミングの技術を掲載して話題になった。

 2013年3月から、鉄道の切符代わりに使われているマネーカードが全国で統一されるという。利用者にはとても便利になる。統一の音頭をとったのは誰だろうか?各種マネーカードには担当役員がいるはずである。彼らの処遇はどうなったのだろうか?コンピュータの企画を統一するよりも、人的面での統一のほうがよほど難しかったに違いない。統一の音頭を取った人は相当なやり手だと思う。

 マネーカードは各駅にある「料金補充機」ですぐにお金を補充することができる。「料金補充機」と同じ装置があれば、無尽蔵にマネーカードを補充することができる。さほど難しい技術だとは思われないから、必ずマネーカードの不正補充が行われるだろう。

 印刷会社はやろうと思えばいつでもニセ札が印刷できるのだそうだ。印刷会社がニセ札を作らないのは、ただモラルのみによっているという。マネーカードは印刷より簡単そうだし、モラルも確立していないから、不正補充が行われるのは時間の問題である。

親指の機能

2012-11-20 05:03:00 | 技術
 携帯電話が発明され、メール機能が付けられるまでは、親指がこれほど高機能であることに誰も気付かなかったそうだ。

 訓練すれば、親指一本ですごい技ができる。京大のカンニング事件で、問題文が数分で送られたことから見ても、親指の高機能ぶりが分かるだろう。

 あれだけのことは、親指以外にどの指でもできない。それなのに、タイプライターで親指に割り付けられているのはスペースバーのような単純な機能だけだ。

 楽器でも同じである。ピアノは親指を他の指と同じ程度にしか使用しないようにできている。ギターにいたっては、サオの裏側を押さえる役目しか親指には期待されていない。

 いずれ携帯電話のように、親指の機能をフルに活用した道具や楽器ができてくることだろう。そういう道具や楽器を発明すれば、大もうけができるのではないか?

 危ない話だが、実用的にはまず兵器に使えるだろう。戦車や戦闘機の操縦に使用すれば、シューティングゲームが得意な子供たちはコントローラーの扱いに慣れているから、曲芸的な技巧で操縦ができるようになるに違いない。

原発ゼロ論は正しいか?

2012-10-26 04:49:20 | 技術
 原発ゼロの大合唱の中で、原発推進派は押されぎみである。原発ゼロ論への反論にも迫力がない。

 だが、ただ一件だけ説得的な反論があった。それは、次のようなものである。

 「原発をゼロにしてしまうと、技術の継承ができない。原発技術には伝統芸能の伝承のようなところがあって、いったん失われた技能は永久に失われる」

 原発ゼロ派はこの主張にどのように返答するのだろうか?

 かつて原子力船「むつ」の騒動があった。タレント議員だった扇千景さんはタレントとしては珍しく、激しく「むつ」の廃船に反対した。あのとき、「むつ」が廃船にならなければ、いまごろ日本は原子力潜水艦を持っていたことだろう。

 インドも含め、海には他国の原子力潜水艦がうようよしている。むろん、日本近海にも。ということは、日本が原子力船を持たなくても、他国の原子力潜水艦が日本近海を汚染することがありうるのだ。

 扇千景さんは、美人女優出身らしからぬ現実論を言っていたのだ。だから、最後は参議院議長まで行ったのだと思う。