院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

未婚女性のあこがれは「専業主婦」!?

2014-11-18 05:14:59 | 経済

(カリスマ主婦モデルを載せる雑誌『VERY』。光文社刊。)

 むかしの多くの主婦は、家庭や夫に縛り付けられるのはイヤだ、自分も社会に出て夫から独立した仕事がしたいと思っていました。1999年の男女雇用機会均等法の大幅改正で、雇用上のいかなる女性差別も禁止されるようになったのは、上のような主婦たちの声が大きな力となりました。

 ところが、現在の未婚女性の憧れの職業は「専業主婦業」だそうですね。180度逆転とはこのことです。実際いまでは、妻に主婦をさせている夫は高収入で実力がある一部の男たちに限られます。

 男たちの収入は雇用機会均等法の前より確実に下がりました。それは、法律が改正される前から分かっていました。なぜなら、主婦が労働市場に参入すると労働人口が増えて、賃金が下がるからです。こうして男性の賃金が下がったから、夫一人だけの収入では所帯をやっていけない社会構造になりました。

 要するに、労働力が余るようになったから賃金が下がったという当然のことが起こりました。こうして、「替わりはいくらでもいる」状況になった結果、ブラック企業なんかが跋扈するようになりました。

 お断りしておきますが、女性が社会進出してはいけないと言っているわけではありません。労働人口が増えると、雇用者側の買い手市場になるという当たり前のことを言っているだけです。

サラリーマンが現金(預貯金を含む)以外の財産を得にくい理由(現代の奴隷その6)

2014-11-14 04:52:19 | 経済

(三井本館。ウィキペディア「三井不動産」より引用。)

 ここで言う現金(預貯金を含む)以外の財産とは、株などの債権、土地家屋、貴金属などを指します。株は一瞬で1割2割値上がりすることがありますが、じつは土地家屋や貴金属の値上がりも(じわじわとではなく)一瞬で行われることを忘れないでおきましょう。

 バブルの前、それでも年々給料が上がっていきました。隣りや上の階の音が聞こえるマンションやアパートなどの集合住宅がイヤで、私は狭くても一戸建てを切望していました。今の昇給なら来年は買えるかもしれないと思いつつ、来年になって昇給したときにはすでに、土地家屋はさらに手が届かない価格に上がっているのでした。

 その仕組みは、私がサラリーマンであることにあると気づきました。日本の経済がよくなると経営者がまず儲かります。経営者は儲かった分を給料を上げて被雇用者に還元しようとします。

 経営者は被雇用者の給料を上げるときに同時に、現金以外の財産も買うのです。経営者たちが買えば土地家屋や貴金属などが一瞬で値上がりします。サラリーマンが昇給するのはその少し後です。このタイムラグがあるために、サラリーマンにはいつまでたっても土地家屋が手に入らないのだと分かりました。単純すぎる構図かもしれませんが、そういう部分はあると思います。

 サラリーマンが土地家屋を買おうとするとローンを組まなくてはなりません。30年ローンとして、返済が完了するまで借金の2倍を返さなくてはならないといいますから、サラリーマンは銀行にも搾取されるわけですね。

 最近どこぞの経済学者が過去200年間の経済の動きを分析して、労働よりも財産のほうが利潤を生んでいるという結果を発表しました。資本主義経済では、やはりそういう結果になるのだろうなと嘆息した次第です。

(これだから、無産市民たるサラリーマンはいつまでたっても最下層に置かれるのでしょう。)


※今日、気にとまった短歌

  勝手口開けてサンダル突っかけて生ごみ捨てれば見事な月だ  (横浜市)丹羽口憲夫

株式会社はもう古い?(現代の奴隷その5)

2014-11-13 00:07:14 | 経済

(旧東インド会社、アムステルダム本社。ウィキペディア「オランダ東インド会社」より引用。)

 株式会社という仕組みは、東インド会社以来350年の歴史があります。株式会社とは、経営者と投資家を分離した初めての制度です。分離することで成功を納めたので今日まで続いてきたのでしょう。

 これまで投資家が株式会社に投資してきたのは、経済が350年間右肩上がりだったからです。なぜなら、右肩下がりの経済に、損すると分かって投資する投資家はいないからです。

 前回ご紹介した『グローバリズムという病』という書物は、先進国の経済はすでにピークに達した、それを端的に表すのが人口減少だと主張しています。それでは、先進国の株式会社はこれからどうしたらよいのでしょうか?じつは未開発国に手を伸ばす必要があります。未開発国はまだ人口増加を続けています。

 本書によれば、未開発国を巻き込むのが「グローバル企業」であり「経済のグローバル化」ということです。私見では、おおむかしの植民地政策が形を変えて現代に現れたものと見なせます。もっとも、著者は株式会社の賞味期限切れを主張し、「グローバル化」はうまくいかないだろうと予想しています。

 そのため、わが国の株式会社はローカルルールを捨てる必要はない、というわけです。(著者はそこまではっきりとは言っていませんが、私見を混ぜるとそうなります。)

 私はさらに著者が言っていない理由から、日本の株式会社がグローバル化できるか、するべきかという点に疑問をもっています。というのは、多くの株式会社が実質的に「個人」(同族)だからです。例えば、ヤンマーディーゼル(株)や日本メナード化粧品(株)などは非上場です。

 上場するのは資金調達を求めているというよりも、会社の箔づけとか見栄の部分が大きいのではないでしょうか?

 いずれにせよ、日本のサラリーマンは「個人」(同族)にいいように使われてきたので、これ以上外国人(の資本)にまでこき使われる必要はないと私は考えます。

(著者は最貧国ウルグアイの大統領、ムヒカ氏の”国連持続可能な開発会議・リオ+20(2012)”での演説を参照せよと言います。演説の要点は「各世帯に車があるドイツ人と同じ生活をインド人全世帯がやるだけの資源が地球にあるのか?」という素朴な疑問です。私の文明論からは、ムヒカ大統領の批判は、人類が農耕を発明したときにまで遡ることができます。)

(きのう(2012-11-12)まで名古屋の国際会議場で皇太子ご夫妻ご来臨のもと、「持続可能な開発についての教育(ESD)」という国連の国際会議が開かれていました。マスコミの中で「持続可能な開発」という用語の語義矛盾を指摘した社はありませんでした。開発には必ず限界があります。)

『グローバリズムという病』(現代の奴隷その4)

2014-11-12 08:30:05 | 経済
   (東洋経済新報社刊。)

 上掲の本では、グローバリゼイションとはすなわちアメリカ化とのことだそうです。

 アメリカ市場は内需が限界に達してこれ以上の成長が難しくなったので、日本市場を自分たちに組入れることによって、さらなる金のなる木を捜していると、この本は主張します。

 そのためには日本が積み上げてきたローカルルールをやめさせ、自らのルールに従わせることが必要で、わが国の企業が「年功序列」をやめ「成果主義」を採り、ビジネス言語にアメリカ語(英語)を用いるのはアメリカにとってのみ好都合なのだそうです。

 それが本当だとすると、日本のサラリーマンはアメリカのために慣れ親しんだ人事制度を捨てさせられるわけですね。ただでさえ日本の最下層に置かれ、3Kの仕事ではないというその一点だけで自らを保っているサラリーマンは、アメリカからも搾取されることになります。

(上の本は、家族制度の人事制度への波及や、株式会社という仕組みの賞味期限切れなどについても述べられており、示唆的です。長くなるので次回に譲ります。)


※今日、気にとまった短歌

  それあげる。同じのひとつ持ってるし(っていうか同じの持っていたいし)  (鹿沼市)河野麻沙希

イスラム金融

2014-11-08 05:11:41 | 経済

(ドバイのイスラム銀行窓口。朝日中東マガジンより引用。)

 幼いころ、本を借りてもそのまま返せばよいのに、お金を借りるとなぜ利子がつくのか理解できませんでした。いまでも「公定歩合」とは何なのか、すっきりとは説明できません。

 イスラム教国ではコーランが利子を取るのを禁止しているため、有利子ではお金を貸せません。ただし、利潤は求めてもよいので、イスラム銀行は借り手の事業の協力という形でお金を貸します。それによって借り手が儲けたら、その一部をイスラム銀行が回収します。

 以上はベンチャーキャピタル(元金)と似て、たいへん分かりやすいシステムです。

 金融工学の粋をつくした(サブプライムローンを含んだ)金融商品が失敗したとき、イスラム銀行も損をしましたが、それは外国の取引先が損をしたからで、イスラム金融の仕組みから出た損ではありませんでした。そのため、金融先進国がイスラム金融に注目し始めたそうです。

 株式、債券、ファンドといった金融資産は、素人にはとっつきにくいものばかりです。これから勉強しようと思っています。


※今日、気にとまった短歌

  終電の一駅ごとに目を開けてまた眠りゆく黒髪静か  (杉並区)竹内亮

高利貸という賤業を銀行も始めた

2014-11-07 03:43:02 | 経済

(どこの駅にもある消費者金融。ウィキペディア「サラ金ビル」より引用。)

 むかし「サラ金」(サラリーマン金融)と言い、いま「消費者金融」と言います。

 「サラ金」は2つあったグレーな法定利息の高いほうを採用して大儲けしました。批判を受けて、上限利息は一本化されました。「サラ金」の時代はバックには隠れて大手銀行がついていました。(上限利息が一本化されて)「消費者金融」と名称をが変わってからバックの銀行は堂々と名乗るようになりました。

 信用がなくて銀行が貸せない人に「消費者金融」は高金利で貸します。銀行と消費者金融の棲み分けが行われるようになったのです。国際的に信用がない国の国債は利息が高く、信用がある国の国債は利息は低いのと同じことです。信用がない人は信用をお金(高い利息)であがなわなくてはなりません。

 大手銀行は「カードローン」というものをしきりに宣伝するようになりました。「カードローン」は「サラ金」や「消費者金融」と同じです。金利が異常に高いのです。

 「サラ金」も「消費者金融」も「カードローン」も要するに高利貸です。高利貸は江戸時代明治時代からあって、守銭奴として賤業と見なされてきました。いま銀行は素知らぬ顔をして名称だけ次々と変えて高利貸をやっています。

(銀行が「カードローン」を薦めるのは、借り手が行員に顔を見られないようにするためです。「サラ金」も「消費者金融」も借り手が顔を見られないで済むように自動化に努力してきました。借り手の後ろめたさを知ってのサービス、というより策略です。)

経済学の守備範囲--経済学に文明批評は可能でしょうか?

2014-11-01 05:17:01 | 経済

(宇沢弘文名誉教授。時事ドットコムより引用。)

 私は経済学に詳しい者ではありませんが、経済学に対する私なりのイメージは次のようなものです。

 つまり、人間が都市なり国なりある程度の大規模集団を形成しているとき、その中で強欲や普通の欲や無欲が貨幣の類を介してぶつかり合った場合に、その集団はどのような挙動をするか?を研究するのが経済学ではないでしょうか?

 要するに経済学は、集団心理学や、(集団内における)人間行動学の一種として捉えることができます。人類が定住して農耕生活を始めてから、人類は大規模集団を成すことが可能となりました。貨幣の類も発明されました。経済学の研究対象はそのようにしてできた大規模集団や貨幣の類です。つまり、文明の所産が研究対象となっています。

 ところで上の写真の経済学者、宇沢弘文氏が逝去されたのをきっかけに、NHKの番組「クローズアップ現代」でその人物や業績が放送されたので、宇沢氏は初めて私の知るところとなりました。

 宇沢氏は机上で経済を論ずるにとどまらす、水俣病、自動車問題、地球温暖化などにも積極的にかかわり、尊敬を集めていたそうです。氏がジョギングで通勤していた映像が流され、自動車を否定していたからだと解説がありましたが本当でしょうか?氏はただ健康のためにジョギングしていただけではないでしょうか?

 なぜなら、自動車を否定するなら飛行機も否定しなくてはならないからです。宇沢氏はアメリカの大学教授もしていたそうですが、まさか太平洋を丸木舟で渡ったわけではないでしょう。

 宇沢氏は学者でありながら、水俣病その他にかかわったことも高く評価されているそうです。しかし、マスコミネタに関与したのは経済学者としてではなく、良心的な一個人としてではないでしょうか?

 というのは、経済学の研究対象である大規模集団や貨幣の類は、上に述べたようにすでに文明の所産だからです。文明に根拠を置く存在をアプリオリに研究対象に据えた経済学という学問の側からは、文明批評は不可能ではないかと私は思うのです。

年功序列廃止の掛け声、またですか?

2014-10-07 00:17:05 | 経済

インターネットコムより引用。)

 「年功序列をやめて、成果主義にする」と日立製作所が発表しました。政府もこの方針を後押ししているようです。

 ですが、この方針はすでにバブルが崩壊したころに、しきりに言われたことです。なぜ、また同じことを言わなくてはならないのでしょうか?

 そのとき年功序列の廃止に失敗したからでしょうか?いいえ私は、かつての年功序列廃止は必ずしも失敗していなかったと思います。

 というのは、あれ以来、非正規労働者が激増したからです。非正規労働者に年功序列はありません。つまり、労働市場ぜんたいで見れば、年功序列でない労働者が増えたぶんだけ、年功序列の廃止が成功したとは言えないでしょうか?

(別の言い方をすれば、年功序列の廃止は、多くの非正規労働者を生むという思わぬ副作用をもたらした、ということです。)


※今日、気にとまった短歌

  一度だけ二度とは言はぬこの我がおいくらですかと二度レジに聞く (豊田市)湯浅和己

株式市場の二面性--「流通市場」と「発行市場」

2014-10-06 00:14:17 | 経済

(東京証券取引所前景。埼玉県のHPより引用。)

 私はこれまで株というものを買ったことがありません。ひとつには値下がりするのがイヤだからです。もうひとつは株の売買にギャンブルの匂いを感じるからです。

 株をやっている友人のN君は「株を買うのは投資をすることで、日本の経済活動に参加することだ」と私に株を買うように勧めるのですが、私にはその説明が腑に落ちませんでした。

 ところがこのたび、株式市場には「発行市場」と「流通市場」があると聞いて、大いに納得しました。(こんなことは金融関係者には「いろは」の「い」なのでしょうが。)

 説明によると、A社の株を100株70万円なら70万円で買ったとしましょう。その70万円はなんとA社には一文も行かないのだそうです。どこに行くかというと、A社の株を売った人のところです。これを「流通市場」というそうです。

 要するに私たちが株の売買をして儲かるのは、株で損をした人がいるからです。A社とは関係のないところで、損をした人から儲けるのはまさにギャンブルです。

 一方「発行市場」というのがあって、これは会社が上場して株を売り出したり、増資をして新しい株が発行されたときに売買が行われる市場です。新しい株を買うのですから、そのお金は会社に入ります。投資といえるのはこの部分だけです。

 それなら「発行市場」だけ存在すればよいかというと、そうではありません。「発行市場」で買った株を手放したいときに、売りを受け付ける市場がなくてはなりません。それが「流通市場」です。だから、両方の市場が必要で、「流通市場」はギャンブルだから必要ないとは言えないのです。

 さらに「流通市場」には、そこで株価が決まることによって、その会社の業績なり信用なりが客観的に評価される機能があるのだそうです。

 以上の説明で、私には株式市場の構造がすっかり飲みこめました。同時にN君の説明があまりに不正確であることも分かりました。(N君は原稿用紙2枚で言えることが言えなかったのです。)

補助金漬けの農家(わが国の産業利権構造-4-)

2014-08-14 05:43:36 | 経済
 昭和40年代は、わが国が急成長した時代です。自家用車を持つ家庭が飛躍的に増えました。海外旅行が自由化され、ハワイなどへ行く日本人が大量に発生しました。現在でもJALパックという商標がありますが、これは当時できたものです。

 農協の組合員もご多分に漏れず海外旅行にでかけました。ところが、なぜか農協組合員の海外旅行は評判が悪かったですね。「ノーキョー御一行様」というとマナーを知らない団体旅行の典型のように言われました。

 ノーキョーに限らず、当時の日本人はみな海外旅行のマナーなんて知らなかったのです。なのにノーキョーだけが非難されたのは、「百姓が海外旅行だなんて身のほど知らずだ!」という差別意識が都会人にあったからでしょう。また、元来貧困と思われていた農民が、急に金持ちになったことへのやっかみがあったのかも知れません。

 そのころアメリカでは、大規模農業が活発になり、飛行機で種や農薬を撒く時代になっていました。わが国はその道を拒否し、農業を支えるのを個人農家に任せました。それは何故なのか?この辺りは勉強不足で、私には何も言えない部分です。(日本は土地が狭いという言い分がありますが、広い農地がある場所でも大規模開発が認められなかったのですから、その理屈は通りません。)

 以来、政府は票田としても食糧自給の源としても、個人農家をどうしても潰せなくなり、ついに農家は補助金漬けになりました。やがて、農家は補助金のために働くようになり、本末が転倒しました。農家に嫁が来なくなったのは、農家が3Kの仕事だからではなく、補助金漬けだったからだという見方もあります。

 こうして、若者が農村から離れ、就農者が高齢化して、農村はもはや大票田ではなくなりました。ここに至って、ようやく農協解体が始まったのでした。2日前に産業構造改革の最大抵抗勢力は農協と医師会だという元官僚の言葉を紹介しましたが、その一方である農協は、もういくら抵抗しても風前の灯だと言えましょう。


(TPP反対集会。JA広島農青連のHPより引用。)
 

 すでに述べたように、官僚にはもともと農協を潰したいという考えがありました。ここでTPPを利用しないという手はありません。ガイアツを利用するのは、むかしからの日本の支配者の常套手段でした。(個人農家政策をとっておいて、それがうまくいかなくなると捨ててしまうわけですね。)

 次回からは、医師会の解体について述べましょう。

参考:「三ちゃん農業」という言葉を覚えておられますか?その後、いくら補助金を積んでも働き手を農村にとどめることができませんでした。池田農政の失敗でした。所得は倍増しましたが・・。

昭和30年代の農家は苦しかった(わが国の産業利権構造-3-)

2014-08-13 07:17:07 | 経済
 昭和30年代、すなわち「三丁目の夕日」の時代は都市経済が著しく発達しました。それに比べて、農村は経済発展から取り残され、大都市では高校進学率が50%を超えても、農村では子どもを高校にやるのは大変でした。「集団就職」には農家の口減らしという意味がありました。


(館林駅で集団就職の少年少女を見送る。(株)花膳(鶏めし)のHPより引用。)

 その少し前、歌謡曲の世界では島倉千代子の「東京だョおっ母さん」(昭32)や三橋美智也の「夕焼けとんび」(昭33)や守屋浩の「僕は泣いちっち」(昭35)が流行しました。いずれも東京に憧れる歌です。「夕焼けとんび」には「そこから東京が見えるかい?」ととんびに問いかけるシーンが出てきます。太田裕美の「木綿のハンカチーフ」(昭50)は守屋浩の歌の男女逆バージョンですね。

 極め付けは井澤八郎の「あゝ上野駅」(昭39)でしょう。集団就職をもろに歌った歌です。集団就職の映像がテレビでしきりに流され、私は父親から意地悪くも「おまえも中学を出たら、あのように働きに出られるか?」と問われ、沈黙するよりありませんでした。

 ですが、この時期に大都市へ出てきた若者で成功した者は稀有でした。たよる先輩も同僚もなく、多くは落ちぶれるか故郷へ帰ったといいます。戦前の丁稚奉公よりもひどかったともいわれます。丁稚奉公は制度として確立していましたが、集団就職は成算が不確かな実験に過ぎませんでした。

 都市と農村の所得の差、すなわち工農の所得差をなくすために食管制度が使われました。「生産者米価」、「消費者米価」という用語を聞いたことがある人は、けっこう年配です。簡単に言えば、米を市場価格より高く買い上げて、農業所得の少なさに補助が行われたわけですね。こうした補助のために農家は蝕まれていったのだと私は思っています。(つづく)

漁協は苦しいのだろうか?(わが国の産業利権構造-1-)

2014-08-11 06:45:17 | 経済
 友人の元官僚によれば、産業構造改革の最大の抵抗勢力は農協と医師会だそうです。それらの組織がなぜ改革の邪魔になるかは、おいおい考察していくとして、まず漁協にかんする私の疑問を述べましょう。


(燃油高騰への対策を求める佐賀県の漁業関係者。佐賀新聞のHPより引用。)

 農家は後継者不足に悩んでおり、就農者251万人のうち187万人、すなわち75%が60歳以上です。一方、漁業者は17万4千人のうち60歳以上は7万5千人で43%です。(総務省統計局による。)

 漁業者も高齢化はしていますが、就農者ほどではありませんね。平均収入は月30万~35万程度(Career Garden による)で、他の産業よりもいくらか多いです。

 そのためかどうか、漁業者が後継者不足だとはあまり聞きません。それに、漁業者はたいへん保護されています。端的なのは漁業権です。つまり、その海域で漁業をする独占権を与えられているわけです。他の者がそこで水産物を取ると密漁とされます。つまり、漁業者は手厚く保護されています。

 漁業権は譲渡できません。では、どうするかと言うと世襲なのですね。漁業権は漁協に与えられています。では、漁協の組合員になるにはどうすればよいのでしょうか?申し込んで理事会で認められればOKです。しかし、実際のところ漁協に加入したいと言ってくる人は、漁業者の子弟しかいないのです。だから、世襲と同じです。

 関係ない人が漁協に入りたいと言ってきたら、理事会は入れてあげるのかどうか知りませんが、たぶん断ると私は思います。賃金の安い外国人を乗せた重装備の船が大企業から派遣されて、漁業権を要求してくることだってありうるのですから。

 漁業は自然が相手ですから水ものです。当たれば大儲けができます。上述の Career Garden によれば年収1,000万円も夢ではないそうです。

 魚が獲れるか獲れないかは確かに水ものですが、どういう規模の漁船や網を買うかなど、経営判断も必要です。燃料代だって上下しますから、あらかじめリスクを見ておかなくてはならないでしょう。

 ところが、燃料代が上がったから値上がり分を政府が(税金から)補償せよ、と漁業者が各地でデモをやったことが何度もあります。(実際、補償されました。)燃料代が上がったらトラック業界の人たちは政府に補償せよと言うでしょうか?私にとって漁協のことが理解しにくいのは、まずはその点にあります。

欧米的援助より中国的援助を!

2014-07-04 00:39:10 | 経済

(Wikipedia, "TED" より引用。)

 ザンビア出身の女性が表題の主張を、アメリカの意見表明ショウ「TED」で行っていました。

 ザンビアは70%が貧困層で、いち早い資本の投入が必要だそうです。しかしながら、欧米的援助は必ず民主主義の導入とセットになっており、民主主義的な発展を待っていては100年かかってしまうと彼女は言います。

 それに引き替え、中国的援助は民主主義を条件としないから、スピード感があるのだそうです。中国自身が民主主義でないから、かえって急速に発展できた事実をザンビアや他のアフリカの人々は知っていて、それに倣いたい気持ちがあるようです。

 私たちは中国には言論の自由がないとか、アフリカに見返りを求めた援助しかしないと中国を批判しています。しかし、一刻も早く貧困から抜け出したいアフリカの人々は、能書きよりも実利が欲しいようです。先進国も少し考えなくてはならないでしょう。

「まがい物」では経済成長しないのだろうか?

2014-07-01 00:05:13 | 経済

(ミラノコレクション。47News より引用。)

 サプリメント天国だったアメリカで、サプリメントに陰りが見えてきたそうです。要するに消費者が「効かない」と言い始めたようです。サプリメントには何の薬効もないことは最初から分かっていたことなのですが・・。

 日本はこれからサプリメント天国を目指しています。生産者の責任において「○○に効く」と言ってもよくなります。野菜や果物も「○○に有効」と表示できるそうです。これまでは効能をうたえるのは、ほんものの薬品に限られていました。

 これによって、サプリメントは効能にいちいち「個人の感想です」と付ける必要がなくなります。こうしてサプリメント市場は広がり、ほんものの薬と区別しにくくなるでしょう。

 アメリカのサプリメントはアメリカの経済活動を活発にさせました。しかしながら、アメリカの経済評論家は日本に対して「まがい物で経済成長させてはいけない」と警告しています。

 ここで、ふと考えます。「まがい物」とはなんでしょうか?女性を美しく見せるモードや化粧品は、まがい物の仲間には入らないのでしょうか?


※今日、気にとまった短歌。

    新盆は三回目なり僧呼ばず花も飾らず穴子を喰らふ  (名古屋市)吉成益人

ガソリン値上がりの影響

2014-06-20 00:09:06 | 経済

(有)ケーツープロジェクトのHPより引用。)

 中東情勢の緊迫もあってかガソリン価格が上昇しています。報道によれば5年ぶりの高値になったそうです。テレビは街の人たちにインタビューして「ガソリンが上がると本当に困る」という声を拾っています。

 そこで、ガソリンの値上がりで(自家用車の場合)街の人たちはどれだけ困っているのか、計算してみました。

 私たちの世代にとって自家用車は贅沢品というイメージがあります。なるべく、いい車に乗りたいという欲望もあります。

 ここで、そこそこの自家用車を切りのよい200万円としましょうか。それで何キロメートル走るか。4万キロも走れば、そうとう走ったことになるでしょう。地球1周分の距離です。

 ガソリン1リットルで15キロメートル走れるとしましょうか。20キロ以上走れるかもしれませんが、まあ低めに見積もっておきましょう。

 ガソリンの値段は1リットル150円くらいのときが長かったですね。これで4万キロ走ると、ガソリン代は40万円かかることになります。

 自動車本体が200万円。それに税金や保険や車検代を入れると少なくとも20万円くらいはプラスになりますね。それに対して、ガソリン代が4万キロ走ると40万円かかるわけです。

 ここで、ガソリン代が1割上がると、44万円となって4万円上がります。200万円の車を潰すほど走らせて、ガソリン代の値上がりは4万円です。自家用車は贅沢品ですから、4万円の値上がりが惜しければ軽自動車に乗ればよいのです。あるいはスクーターに。それがイヤで並みの乗用車に乗りたければ、4万円支払ってください。

 200万円の車に乗っている人にとって、4万円の値上がりは困る困ると言い立てるほどの数字なのか、疑問が残るところです。

(以上は自動車だけに焦点を当てた計算です。燃料価格が上がると光熱費をはじめ、いろんなものが値上がりするので家計への影響はあるでしょう。ですが、テレビのインタビューに「困る困る」と言っていた人たちが、そこまで考えて言ってたのかは甚だ怪しいと思います。)