院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

京都嵐山「吉兆」探訪記

2013-08-15 05:24:26 | 食べ物
 高級料亭なんてそう何度も行ったことはないが、行った中で私は築地本願寺の向かいにある「つきぢ田村」の料理がもっともおいしいと思っていた。実際、「つきぢ田村」の料理長が昨年、人間国宝に選ばれ、私の舌もまんざらではないなと思った。

 ただ、「つきぢ田村」は国賓などを連れて行くような店ではなく、ビルになっていて、コースも最低2万円からある。(私は最低のコースしか頼んだことはない。)

 それではと思い立って、これまで3回行われた東京サミットで、海外の首脳が3回とも連れて行かれた「吉兆」に行ってみようと思った。(ただし、「吉兆」は何か所もあり、サミット参加者がどこの「吉兆」に行ったのかは知らない。小泉純一郎元首相は銀座の「吉兆」がお気に入りだという。)


(「嵐山吉兆」内部。)

 きのう私は妻とともに京都嵐山の「吉兆」(写真)に行った。ほんとうのところは、料理がどれほどおいしいか疑問をもっていた。私には「つきぢ田村」で十分おいしかった。それよりおいしい料理は想像ができない。今回の「吉兆」は3万5千円である。「つきぢ田村」より1万5千円分おいしいのだろうか?

 結論から言おう。京都嵐山の「吉兆」はお一人様3万5千円の価値がある。「ここまでやるか?」という料理が出てきた。材料はそう珍しいものではない。ナスやカボチャが、せいぜい京野菜だというくらいのものだった。だが、その味付け、煮加減、量、いろどり、切り方など、どれをとってもこれ以上の見事さはありえないと思わせるものだった。

 関東出身の私にはハモを食べる習慣がない。それでも、10回くらいはハモを食べたことがある。出されたハモの吸い物に驚嘆した。ハモとはこんなにおいしい魚だったのか。だしも濃すぎず薄すぎず、熱すぎずぬるくなく、絶妙に仕組まれた料理がほとんどタイムリーに出てくる。「吉兆」の一連のもてなしは、まさに芸術品と言えるだろう。また来たいと思った。

 それでは、「つきぢ田村」と京都嵐山「吉兆」の違いは何だろうか?それは端的にムードだけである。まずビルと築100年の豪邸の違いがある。そして、一番大きく違うと私が思ったのは、仲居の質だった。屋ばらと仲居の差は、ちょうど1万5千円分あると思った次第。

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