(野球帽。ウィキペディアより引用。)
幼いころ大人から、帽子をかぶるようにしつこく言われた。大人たちは日射病を恐れていた。日射病と熱中症が混同されていた。老人の中には、さらに日本脳炎とごちゃまぜにしている人もいた。
小学生は野球帽をかぶらされることが多かった。東京では巨人軍の野球帽が圧倒的だった。私の野球帽は巨人軍のではなかった。上級生に「それ、どこの球団?」と尋ねられ、知らない言うと「おまえ、知らないでかぶってるのか!」と驚かれ、幼い心が揺れた。
たぶん南海ホークスの野球帽だったのだろう。巨人と南海以外に球団の名前なんて知らない。私の父はプロ野球を見なかった。だから私もプロ野球のことを、なんにも知らなかった。
東京では胴体が黒で腕が赤の、巨人軍のジャンパーが流行った。けばけばしいジャンパーだ。あんなもの着せられなくてよかったと今でも思う。せいぜい野球帽までにしといてくれ!着るもの全部が巨人軍なんて頼むからやめてくれ!
(ヤフオクより引用。)
※私の俳句(秋)
真夜の音止んで鈴虫のみ残り