(高浜虚子。ウィキペディアより引用。)
枯蘆に投網の舟の現れし 虚子
上は近代俳句の祖といわれる高浜虚子の俳句である。
この句が文法的におかしいという説がある。最後の「・・し」は「・・ぬ」が正しいというのだ。他方「・・ぬ」ではぶち壊しになるという論がある。
「・・し」は「俳句的文法」であって、文法が先にあるのではなく実例が先にあるのだ、だからこれでよいという論である。私はこちらの意見に賛成である。例えば、川柳だが・・
炬燵から猫もたまらず顔を出し
という句は(既成の文法通り)「・・顔を出す」では滑稽味が半減してしまう。だから「・・出し」を川柳的文法といってよいのではないか?
虚子の俳句で文法的に問題な表現は結構ある。気にならないから不思議だ。
※今日の短歌
死をみつめ生き方選ぶ言の葉を推し測りつつ心の痛む
酒井京子(明日香)
お説の通り、俳句特有の文法があってもおかしくはないと思います。今の若者ならそのあとに「…」でもつけるような余韻ないし含みを表現しているのではないでしょうか?
(俳句不識が口を挟み恐縮)
www...
というやつ。
なにを意味しているのでしょうね。