(新古今和歌集。筑波大学附属図書館より引用。)
高校生のとき親友が短歌を投稿していた。私には興味がなかった。しかし、のちに彼がガリ版刷りの短歌集を贈ってくれたとき、私には俳句への興味が目覚めた。
前にも言ったが、私は警句のような短歌が好きだ。たとえば次の短歌。
「友達でいよう」だなんて本当の友達ならば言わない絶対 読み人失念
なんと本質を突いた短歌だろう。私には「・・三笠の山に出でし月かも」の類の短歌がだめである。「あっ、そう」で終わってしまう。その点、この歌は「もっともだ~」と思う。
私が毎日引用している短歌群は、「もっともだ~」と思ったものばかりである。プロの短歌は「・・月かも」に近いので、私は素人歌人の歌が好きだ。
短歌は嘆きの文芸だといわれる。対して俳句は詫び寂びの文芸だと。私が名古屋の俳句結社に入った初期のころ、次の俳句に出会った。
去年夫が焚きし送り火夫に焚く 詠み人失念
夫が亡くなったことを、こんなにあっさりと言ってしまっていいの?と私は思った。その後、俳句では嘆いたり叫んだりしないものだと分かって納得した。嘆きや叫びは短歌に任せておけばよいのだ。