院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

ファンタ、コカコーラ

2008-04-14 08:42:00 | Weblog
 昭和40年代にファンタというコカコーラ社の清涼飲料が人気だった。私もおいしいと思ってよく飲んだ。

 ファンタにはオレンジとグレープと、後にリンゴがあった。ファンタは人工着色料が使われていると非難されて、天然着色料に切り替えた。それでも、しばらくは売れた。

 同時期にペプシコーラ社のチェリオという似たような清涼飲料があった。こちらの方は、販売戦略まずさと、味もファンタより落ちたので、やがて消えていった。だが、後を追うようにしてファンタも消えていった。

 飽きられたのだろうか?炭酸が入った飲料の売り上げが落ちた。コカコーラも落ちたのではないか?

 その後、コカコーラはカロリー・ゼロなどの企業努力で復活した。今でも売れている。それにしても、コカコーラは何でできているのだろうか?あのコーヒー色は何の色なのだろうか?

 昔はコカコーラにはコカインが入っていたという噂があり、依存性によってコカコーラ社は発展したという話があるが、真偽のほどは定かではない。

 やっぱり私はコカコーラの成分を知りたい。

大魚船団の船医・その2

2008-04-13 07:42:12 | Weblog
 今日もまた船医を経験した大先輩の思い出話。

 船団は半年、1年と遠洋航海を続ける。乗組員は船長以下、漁撈長、機関長、航海士、末端は「雑夫」にいたるまで、全員男性である。当然、女性に飢える。

 船員はみな女性に飢えたケダモノみたいになってくるのだそうだ。だから、たまに客船とすれ違って、客船に女性が乗っていると、それがたとえお婆さんでも、「女だ女だ」と、船員はデッキへ上がって手を振るのだという。

 かと言って、男性を慰めるプロの女性を船に乗せるわけにもいかない。

 昔、南極観測隊は男性だけだった。そこで、ダッチワイフを持っていった行ったという噂がある。でも、誰もそれを使わなかったという説もある。

 ウソかホントか知らないが、遠洋航海の現実を知ると、ありそうなことである。

大漁船団の船医

2008-04-12 08:32:36 | Weblog
 船医を経験したことのある大先輩の話だから、昭和30年代のことである。

 その先輩は1000人規模の大漁船団の船医として、遠洋漁業に出かけた。当時、船医の実入りはよかった。なぜかというと、船医は半年、1年と船に乗りっぱなしで、後任が来ない限り船から降りてはいけないと法律で決まっていたからである。

 いくら実入りが良くても、自由がないので陸の医者からの応募が少なく、遠洋漁業が活発だった時代ということもあって、船医は不足していた。

 船の世界というのは、軍隊式の階級社会であるらしく、一番上が船長と船医だった。船長と船医は母船に特別室を与えられた。

 その下に、漁撈長とか機関長とかの階級があって、一番底辺の船員はなんと「雑夫」と呼ばれていた。「雑夫」は港でその都度募集され、経歴を問われることはなかった。だから、船に乗ってしまえば、前科者であろうと、なんであろうと、おかまいなしだった。犯罪を犯してから船に乗って「雑夫」として逃亡した者もあったという。

 大先輩が船医だった時代、医者として腕を振るう機会はめったになく、閑職だったらしい。マトモな病気や怪我よりも、喧嘩での怪我が多かったそうだ。「雑夫」どうしの喧嘩である。

 船の上で喧嘩をして相手を刺しても、警察が飛んで来るわけではない。だから、喧嘩による傷害はよくあった。でも、漁船を陸へ引き返してまで、怪我の手当てをするほど船団は悠長なものではない。船団は魚を獲ってなんぼである。刺されて死んでしまえばそれまで。そこで船医の出番である。

 船団はある意味で治外法権である。だから、直接いのちを扱う船医は、最上階級に置かれていたのである。

 私がまだ若いころ、医者の雑誌によく「船医募集」という記事があった。待遇は破格だった。ところが最近は「船医募集」という記事を見ない。

 医者が足りるようになったのだろうか?いや、そうではなかろう。人権意識の高まりで、船団に病人や怪我人が出れば、船が最寄りの港へ行くようになったのではないかと、私は考えている。それとも、船医を必須とする法律が変わったのだろうか?

先天性中手骨欠損症

2008-04-11 08:26:11 | Weblog
 先天的に中手骨(手の中指)が欠損している奇形がある。中指が手首のあたりまでないから、そういう人の手は、ちょうど「妖怪人間ベム」のような手になる。

 幼稚園のとき、その奇形の女の子がいた。まだ無邪気だった私と女の子の間に次のようなやりとりが行われたのを覚えている。

 「君の手は、なんでそんなふうになってるの?」
 「もともと、こうなってるの」
 「ふーん」

 私は女の子を可哀そうとも思わなかったし、気持ちが悪いとも思わなかった。

 でも、その奇形はその後の彼女にとって、大きなハンディとなっただろう。

 幼稚園を卒業してから、その女の子とは会っていない。かなり困難なその後を過ごしたのではないかと想像する。

 彼女も生きていれば、もう50代後半。どんな半生だったのだろうか?

シュークリーム

2008-04-10 08:38:31 | Weblog
 シュークリームとはカスタードを楽しむお菓子である。

 シュークリームの皮がカスタードの味を引き立てる。だから、シュークリームの皮は、このお菓子の本質ではなく、本質はカスタードのほうにある。

 ところが以前から、シュークリームに生クリームを使った品物がある。シュークリームの皮と生クリームは相性が良くない。でも、その菓子屋はカスタードより高価な生クリームのほうが上等であると勘違いしたのだろう。

 シュークリームに生クリームを使用するのは邪道である。シュークリームを買ってきて、中身が生クリームだとがっかりしてしまう。頼むからシュークリームにはカスタードを使ってくれ。

 ちなみにシュークリームというのは日本語で、もともとはシュー・ア・ラ・クレームという。また、ナイフとフォークでシュークリームを食べるときの正式な食べ方は、ナイフをシュークリームの真ん中に刺して、ナイフを倒してシュークリームを4つなり6つなりに切って食べる。

在日米兵のタクシー運転手殺害事件

2008-04-09 08:54:49 | Weblog
 在日米兵によるタクシー運転手殺害事件は無罪になるだろう。

 それは犯人のウグボグ兵士が心神喪失状態だったと考えられるからである。

 ウグボグ兵士は、ハイスクールの時から幻聴が聞こえていた。それが来日して、「殺せ」という幻聴を聞いて、タクシー運転手を襲った。

 こういうのがホンモノの心神喪失状態である。近ごろ、弁護側がやたらに精神鑑定を用いて犯人の罪の軽減を図ろうとするが、それは精神鑑定の「濫用」である。

 凶悪事件が起こると、弁護側はすぐ精神鑑定を申請する。凶悪事件は多少とも心に問題があって起こるものだからといって、何でも精神鑑定に持ち込むのは疑問である。

 精神病でない者の精神鑑定はなんの意味もない。前にも言ったが、法曹にはもっと精神医学を勉強して欲しい。すべての「常識では理解できない」犯罪を精神鑑定に持ち込むのはやめてほしい。精神病でもなんでもない人が「常識では理解できない」犯罪を犯すことのほうがずっと多い。

 今回の事件で在日米兵は外出や飲酒が禁止となった。多くのマトモな在日米兵は気の毒である。

 ウグボグ兵士は心神喪失だったのであるから、在日米軍がみんな謹慎する必要はない。日米関係となんの関係もない、ウグボグ兵士の個人的な問題である。

 むしろ責められるべきは、心神喪失者を兵士として採用した人事担当者である。アメリカ軍は心神喪失者を採用からはねる能力がないのだろうか?

 でも、もっとも気の毒なのは殺害されたタクシー運転手である。これはもう不慮の事故としか言いようがない。

「靴磨き屋」がいなくなった

2008-04-08 08:29:06 | Weblog
 つい最近まで、東京駅には「靴磨き屋」がいた。それが、とうとうなくなってしまった。

 ある程度以下の年齢の人はもう「靴磨き屋」を知らないだろう。街頭に座って、目の前に足ごと差し出された靴を磨く商売である。

 客はけっこういた。だから、「靴磨き屋」が何人も並んでいる繁華街もあった。客は男だけ、「靴磨き屋」には女性もいた。

 靴磨きをやっていると、「靴磨き屋」が客のを足元に土下座しているような図となる。それがイヤで、私は「靴磨き屋」に靴を磨かせたことがない。

 私が幼いころはに子供の「靴磨き屋」がいた。子供だと哀れみを誘うので、磨き方が下手でも磨かせている人がいた。

 でも、なぜ「靴磨き屋」がきえてしまったのだろうか?いや、そもそも家で自分で磨くのと、「靴磨き屋」に磨かせるのとでは、そんなに違いがあったのだろうか?

 「靴磨き屋」がいなくなった理由は3つほどあると考えている。

 第一に、わが国が豊かになったこと。「靴磨き屋」より実入りのよい仕事は沢山ある。

 第二に、道路がよくなって、土ぼこりが靴に付かなくなったこと。

 第三に、靴が人工皮革のものが多くなって、靴が貴重品ではなくなり、かつ汚れにくくなったこと。

 まず以上のことが思いつくのだが、まだ他に理由があるのだろうか?

インドネシアからの帰国歓迎会

2008-04-07 08:29:01 | Weblog
 大学の後輩が3年ぶりにインドネシアから帰国した。それで、帰国歓迎会をうちわでやった。

 後輩はインドネシアにカルチャーショックを受けたようだった。現地人は悩むことがないという。どんなに不幸があっても、それは「神の思し召し」ですんでしまう。病気になっても、まず医者に行かない。医者に高い金を払うくらいなら、死ぬのも「神の思し召し」だという。

 イスラム社会の特徴なのだろうか?すべてを「神の思し召し」ですませてしまうのは、かえって幸せなのではないかと思える。

 後輩は運転手付きメイド付きで暮らしていた。外出はすべて車。そうでないと、治安が悪くて危ないのだという。

 給料は手取りで年3000万円。日本の医者より高い。結構、蓄財できただろう。インドネシアは税金が低いから、そのようになるのだという。

 ところが、インドネシア人の収入は、月1万円もあるのは良いほうで、月1000円なんていう庶民がごろごろいるのだそうだ。特に離れ島では、住民はほとんど自給自足で、服も着ないような生活をしている。

 わが国で「格差社会」と言われているが、どこが「格差」かと後輩は言っていた。「格差」といっても、わが国では何10%の単位であるが、インドネシアでは10万倍、100万倍の格差なんだそうである。

 海外生活をしたことのない私には、とても新鮮な話だった。歓迎会場の料理もよく、久々においしい酒を呑んだ。

花見の思い出

2008-04-06 09:13:50 | Weblog
 妻と二人で花見に行った。名もない近くの公園である。

 すでに芝生にシートを敷いて、バーベキューをやっているグループがあった。ただシートを敷いただけで、夜桜の場所取りをしている人もいた。

 私が初めて花見に行ったのは幼稚園のころである。父の仕事の組合の集まりだったか、トラックの荷台に乗って出かけた。ネクタイをしてめいっぱい正装した私の写真が残っている。

 娯楽の少ない時代、花見は庶民の一大娯楽だった。弁当の思い出がない。たぶん粗末な弁当だったのだろう。当時は貧しかった。

 幼児だった私は酒も呑まないから、当時の花見は私にとって、寂しいものでしかなかった。花も美しいと思わなかった。

 私が満開の桜を美しいと思うまで、あと数年待たねばならなかった。美しいと思ったのは、小学校2年生のとき、東京の目黒川の橋の上でだった。しばし見ほれた。

 未だに花見はすたれない。父が逝って18年になる。

    咲き満ちてこぼるる花もなかりけり  虚子

メタボ検診の愚

2008-04-05 10:25:13 | Weblog
 メタボ検診が始まった。この検診は失敗するだろうと今から言っておく。

 まず、メタボの診断基準が学問的にはっきりしない。科学的にちゃんとしていない概念に対しては医者は冷淡である。

 メタボ検診は儲からない、というより赤字でやらなくてはならない。学問的に保障のないことに、医者が赤字でも熱意を注ぐことはありえない。(逆に言えば、学問的にしっかりしていれば、医者は赤字でも頑張るものである。医者はそれほど儲け主義ではない)。

 メタボ検診は将来の疾病の予防になるから医療費の削減に繋がる、という厚労省の主張は机上の空論である。メタボ検診により、新たな「患者」が掘り起こされて、むしろ医療費は増える。厚労省は一時的には増えるが、長い目で見れば医療費は減ると主張するけれども、甘い。

 メタボ検診で掘り起こされた「患者」は不安を抱えるだけで、国民全体の精神衛生は悪くなる。

 メタボ検診に疑問を持ちながらも、明快に批判するマスコミがまだ少ないから、私が「メタボ検診は失敗する」と、ここで高らかに宣言しておく。

東京ディズニーランド・その3

2008-04-04 08:33:58 | Weblog
 東京ディズニーランドでは、シンデレラ姫のパレードというのがあった。

 白人の美女が手を振りながら、山車に乗って移動していくのであるが、私はそこに違和感を覚えた。

 周りは黒山の人だかりである。むろん、みな日本人すなわち黄色人種である。黄色人種が白人の美女を歓呼で迎える図は、なんだか敗戦後、日本の子供たちが米兵にチューインガムをねだる図と重なった。

 日本人の白人崇拝が、東京ディズニーランドを成功させた一因だと思った。日本人の白人コンプレックスには抜きがたいものがある。

 読んだ人は分かると思うが、天下の奇書「家畜人ヤフー」を連想した。

東京ディズニーランド・その2

2008-04-03 09:19:20 | Weblog
 東京ディズニーランドの人気が沸騰してきたので、私も小学生だった子供たちを連れて行ってみた。

 2時間も並んでジェットコースターに乗った。遊戯施設はたくさんあるのだが、待ち時間が長いので、一日で3つくらいにしか乗れなかった。

 こんなにしてまで来る必要があるのかと思ったが、子供たちはそれなりに楽しんでいた。

 ただ、東京ディズニーランドでただ一つ驚いたことがある。出演するバンドがちゃんとしているのである。

 東京ディズニーランドには、いろんな食べ物やがある。それぞれが、カントリースタイルであったり、また別のスタイルであったりする。それぞれの店に出ているバンドがすごいのだ。

 私は音楽にはうるさいほうである。でも、カントリーウエスタンのバンドには感動した。みな白人だった。上手いのである。子供だましの演奏ではないのである。

 東京ディズニーランドには、道を楽隊が歩いている。これは日本人だったが、これがまた上手いのだ。ただのチンドン屋ではないのである。

 こういうところまで手を抜かないのが、東京ディズニーランドの成功の秘訣かと思った。

東京ディズニーランド・その1

2008-04-02 07:25:10 | Weblog
 25年ほど前、東京ディズニーランドは用地買収に難航していた。

 そもそも、千葉の片田舎に「東京」という文字を冠することが問題とされていた。あのあたりは、本当に田舎だった。

 そんな所に一大レジャーランドを築いて成功するのか、誰もが疑問に思っていた地域だった。私もたぶん失敗するだろうと思っていた。

 それがどうだ、東京ディズニーランドは発展の一途をたどり、ディズニーシーなどもできて、大成功した。

 千葉の片田舎は、ひとつの都市になってしまった。知恵者というか、先を見る目がある人がいるのだなぁと感心した。

 その後、各地にたくさんテーマパークができたけれども、ことごとく失敗した。東京ディズニーランドは、バブルの波にも乗ることができた。バブル崩壊後も、その時の勢いを維持することができた。

 最初に千葉に一大テーマパークを造ることを考えた人も凄いが、バブルに見事に乗ったのは、これは運も良かったのだろう。

ppmの意味

2008-04-01 11:20:15 | Weblog
 このたびの中国産毒ギョーザ事件で、久々にppmという単位が出てきた。

 ppmとはパーツ・パー・ミリオンのことで、100万分の1という意味である。私が医学生時代、公害問題がさかんに論議されていたころ、ppmという単位に出会わない日はなかった。

 公衆衛生の授業でもしばしばppmが出てきた。しかし、ppmとは濃度のことなのか何のことなのか分からなかった。そこで、公衆衛生の教授に聞いてみた。

 濃度だったら、液体に溶けていなくてはならない。単位は%やモルである。なのにppmは、「指先から何ppmの何々が検出された」という言い方をする「指先」は液体ではない。そこが分からなかった。今回も、「ニラから何ppm」という言い方をしている。

 およそ以上のことを教授に問いかけた。教授はシドロモドロになってしまったので、可哀想になって、それ以上追及するのを止めた。

 以来、未だに私はppmのちゃんとした意味が分からない。