えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・さよならを教わる

2024年11月23日 | コラム
 恩師が亡くなってふた月を経て同窓生と集まった。年齢こそ皆近いが年次は微妙に異なり、冷静に数えると私が一番上だった。先日の氷雨に打たれてひいた風邪が治りきらないと幹事に伝えると、日付が変わる直前に「レンタル会議室を押さえました」と手早い仕事が返ってきた。ありがたかった。皆姿は若々しく変わらない。変わったのは私くらいだ。それでも、変わらないと思っている彼等の隣へ若いときの写真を並べると、姿形以上に重ねた年月と経験が被さっていることが分かる。その雰囲気だけは成長していないだろう私は変わらないと思う。もっと卑屈になっているか、もっと鬱々としているか、いずれにしても私は私の重要な部分を変える努力を怠っているのだろうと皆と並びながら常に引け目に思い続けている。
 恩師といえども私の場合は遠目から眺めて思い入れを強めていた程度で、皆のように先生へ直談判したり、食事に誘って頂いたり、人生の行く先を心配されるほど近くで喋ったことはなかった。無かったと思いたいのかもしれない。友人たちの間に自分がいて良いものか、変わりすぎた自分の姿を誰も触れないし攻撃しない、かといって気にしてはいるがそれを隠しているといったこともなく、自分だけが疑い深くて厭になる。独りだけ来なかった。彼は手紙だけを渡していた。訃報直後に書かれたその文章は意図的に句点をなくした詩のように激したリズムが流れていた。悲しさや悔しさや動揺、狼狽、表情は見せたくないが感情を共有したいといういいとこ取りのずるい彼らしいやり方だった。
 今日私はさよならをした。側で流れている言葉たちがさよならを告げていた。
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:奥底から天上へ 『九日~Nine Sols~』

2024年11月09日 | コラム
 世間がロマンシングサガ2をプレイしている中でこつこつと『九日~Nine Sols~』を遊んでいる。最近のパッチで対応言語が増え、本作が世界中に広がりつつあることは素直に喜ばしい。けれども日本では相変わらずプレイヤーは少ないことを勿体なく思う。アドベンチャーゲームからアクションゲームへの方針転換のための気遣いを行き届かせる一方で、習熟すればするほど装備品による細かなアクションの変化を楽しめるようになる。たとえば「速落玉」という装飾品をセットすると空中で下キーを押して素早く着地できるようになる。装飾品はセットできる数に限りがあるので、アクションを増やして行動の選択肢を増やすか、既にあるアクションを強化するかの戦略が重要となる。何に使うのか分からなかったり使いづらい装飾品でも相手を選べば途端に大化けするものもある。そして便利な装飾品ほど手に入れやすい。この辺りもアクション初心者が諦めないように作られている心遣いを覚える。一番最初に手に入れられる「金縛り玉」には誰もがお世話になるだろう。効果は「お札を貼った敵の動きを一瞬止める」という強力なもので、敵から連続攻撃を受ける頻度を減らすことが出来る。またアクションに不慣れなうちは飛び道具の弾き判定を緩める「跳返し玉」も有効だ。とりあえず装備しておけばざっくりした操作でも事故を減らせるのはありがたい上に、拠点でいつでも購入することができる。困ったら拠点を覗けば種類は限られるが使いやすい打開アイテムが売られているので、序盤は拠点のアイテムを集めるようにプレイすると遊びやすいかもしれない。勿論道中をくまなく探索したり、特定の場所に出現する商人が売るアイテムの購入を目指してもよい。ただしやられると集めたお金はパアになるので注意は必要だが、これもお金を集めやすくなるアイテムを装備して敵を倒せばレベルアップも兼ねられて一石二鳥となる。けれども戦っても上げられるのはスキルの種類のみなので、最大体力を増やすにはまた別の方法が必要となる。ついでに本作には防御力を上げるという甘えはないので、どんなに強化しても食らうダメージは変わらない。「弾き」に成功すればダメージを受けることはないためだ。やはりこの辺りもバランス感覚の良さを覚える。周回を重ねて終わりが見えるほどに次はどのようなルートでクリアしようか、何を使おうかで頭がいっぱいになる。気がつくと冒険を中断してやり直している。ラスボスの顔を拝んだ回数がそんなに無いことに気付いたのはついこの頃のことだった。
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・祭りの秋

2024年10月26日 | コラム
 神保町の古本祭りを訪れなくなって久しい。通販で本を買うようになり、その本が山と化し、読書は一向に進まずと自分の性格を弁えないまま本だけが積み重なっていく。詰ん読もまた「知らないことがあることを身の回りに物理的に置く」という精神鍛錬の効果があるらしいが、むしろ精神を圧迫する。春頃、久しぶりに訪れるとタンゴ喫茶『ミロンガ』は路地から表通りに店を変え、以前の沈黙は擲たれて若者の大声の合間を縫い辛うじてタンゴが聞き取れるといった具合に店は若返っていた。向かいの『ぶらじる』にも休日の影響で大勢の人が列を作っており、夜に独りで小さなボウルほどの大きさのコーヒーゼリーを頂いた記憶がどんどんと遠ざかる。感傷的な理由を書いたが本を増やしたくないの一点張りで古本祭りから足を遠ざけている。晴れたら行こう気が向いたら行こうとほったらかして居る間も祭りは続いており、山車やお囃子こそ聞こえないが乾いた古本の埃っぽい香ばしさ漂う露天は今も人が歩き続けている。路地の奥にあった宅配便のサービスは今でも健在だろうか。それほどまでに本は買いたくはないが、ふとした出会いを求めて歩く店は並木道のように街へ馴染んでいて、ビル影に本の日焼けを守ってもらいながら送るページにはその瞬間の買い物の楽しみが生じている。
 今年は三の酉なので酉の市も五日、十七日、二十九日の三日間開かれる。そちらは本式の祭りで神社によっては手拍子に混じりお囃子が流れる夜の風情が好もしい。本の香りは一切しないが本に書かれる文化は生きている。訪れないうちに見世物小屋は代替わりして唯一の興行者も店を畳んだらしい。らしいというのは去年中に入れなかったためだ。彼等にとっても私にとっても一年は平等に過ぎていく。けれども私に取っては見世物小屋の時間は十一時半を過ぎても開かない天幕の前でまごついていた時間で止まっており、あのテントの中に流れていた時間は知らない。かつては市が開いてから終わるまで休むことなく演目を続けていた体力勝負の文化もなくなった。それはそれで良いことだ。夜、祖母らしき老女に手を引かれながら女の子が眼を見開いて釘付けになっていた舞台があればいい。あればいいが、去年の出し物は河童だった。今年の出し物には蛇食いや火吹き女が出るだろうか、と思いながら祭りに行く予定を組む時間こそが歳を取るにつれて醍醐味になりつつあるのかもしれない。
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:待ち望まれて 『九日~Nine Sols~』

2024年10月12日 | コラム
 来月十一月二六日にコンシューマー三種で『九日~Nine Sols~』の発売が決定した。喜ばしい。やっとこのゲームを周囲にプレイしてもらいやすくなった。本作の魅力については徒然の日記で語ったとおり、「いかにして「複雑なアクションゲームを遊ぶ楽しみ」をアドベンチャーゲームのユーザーに知ってもらうか」を中核に据えた親切な作りと、赤燭遊戯社の得意とする複雑な世界観と深い人物の描き込みの二本柱である。ストーリー作りとゲーム的な探索に応じて開示される情報量の加減の巧さは代表作『返校』と『還願』で鍛えられており、『返校』はスマートフォンでも遊ぶことが出来るため『九日~Nine Sols~』の前に赤燭遊戯社の雰囲気を知るため遊んでおくのも良いと思う。一九六〇年代の国民党による台湾への言論統制時代という歴史へ堂々と切り込む潔さと、題材に対する真摯な態度が当時高く評価され幅広くメディア展開も行われた『返校』は社会現象を起こすほどの影響を及ぼしたが、『九日~Nine Sols~』もその系譜は引き継いでいる。話を整理して少し考えるとどうもこれは現実のある社会問題を間接的に風刺しているのではないかと邪推するのは既にこの会社の魅力に私が取り込まれている証拠だろう。

 まったくの2Dアクションゲームの新作として、特に遊びやすいSwitchに来てくれたことがありがたい。PVを見ると一部の演出が修正されているものの細かい部分なのでストーリーの中核部分は修正されていないと信じたいが、それが修正されていても話の根幹が変わらなければ『九日~Nine Sols~』が私たちに与えてくれる面白さの質に変わりは無いだろう。アニメーションは私の並みのPCでも問題なく動き、微細な判定を要するアクションも違和感を覚えることなく進める事ができた。ゲーム専用機器ならばもっと繊細に、もっと緊密にアクションを凝縮して楽しむことができるのが少々羨ましいかもしれない。

 問題はストーリーを語る言葉の方で、しばらく遊んでいないうちにアップデートが行われ物語の根幹を成す「道/大道」という単語が一律で日本語版は「タオ」という単語に置き換わってしまったことは衝撃だった。道教の思想を世界観の根底に敷いているためにこの単語は最も繊細で重要な鍵を握る言葉なのだが、「道」だけでは道教の知識が無い人には単なる個人の思想に見えてしまいかねないので修正はやむなしかもしれないが、そこは「大道」などの単語で補足しても良かったのではないかと思う。また併せて装備の名前が例えば「尋敵刃」が「影討ちの刃」といった調子に変わってしまったことも少々残念だった。キャラクターの台詞もアップデートの度に微妙な追加や改変が施されており、注意深くなるのは仕方ないとはいえ日本語の場合は「わからなくても漢字のニュアンスで文脈を掴む」ことがやりやすいので、漢語を無闇に日本語の文法に置かなくても良かったように思う。だがそれを感じ取れるのは日本語ネイティブの感性にかかっているので難しいところだろう。来月末から一気にこの世界が日本へ広がることを切に願いたい。
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:約束の日の後

2024年09月28日 | コラム
 イヤリングを買う約束をして一週間の間に二本報を聞いた。動けなくなっていた。今も雨の重みと体調の都合もあって身体の動きは鈍重であり眠りたくて仕方が無い。眠りの中へ逃げ込みたいというよりはしがみつくように眠りを欲している。眠りに飢えている。それで一日文字通り寝込んでいた日があった。その次の日が約束の日で、あの店員の夏晴れのような笑顔に向き合わなければならなかった。事情を話す気にはなれなかった。外へ出なければ延々とまずいままだと悟り、私は出かけた。眠りの中を泳いでいるかのように現実は希薄だった。店員はいつもどおりの笑顔で、アクセサリーが売れるということもあってより嬉しそうに笑顔を輝かせながら私を迎えた。私も昨日そんな報を聞いたことも忘れて彼女のリードするままにお喋りを楽しんだ。楽しんだと思うが何を喋ったかは記憶から抜けている。疲れたという感覚は薄かった。母からは「そのチェーン、Tシャツには重すぎるね」とぼそりと言われたが、つけていくことを引き留めて外すまで出さないという過去の意地からは解放されていたのでふらりと出て行くことができたチェーンにイヤリングを合わせるとしっくり顔に収まった気がした。
 イヤリングを買って外に出る。晴れていた。会社の規則の休みは連休で潰れ明日からは何事もなかったかのように働かなければならない。誰でもそうだ。弟の会社はそうではないらしいが、私は有給休暇を使わなければならなくなった。また茫洋とした空気に取り囲まれて歩く。電車に乗る。最寄りの少し手前で下りてデパートに寄った。買わなければならないものがあった。
 インターネットで検索し、電話でも取り扱いを確認した店は黒一色の服を向かって右手に、華やかなパーティードレスを左手に置いていた。私は店に入ると小柄な店員へ自分のサイズに見合った黒い服を選ぶように頼み、試着に時間をかけて一時間ほど後に服を手にして店を出た。イヤリングの入った手提げが何故か余計に重かった。
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