*作品のネタバレが記載されています。未プレイの方はご注意ください。
発売から約三ヶ月が経過した『九日~Nine Sols~』には日本人プレイヤーはあまりおらず、やりこみ動画も専ら台湾のプレイヤーが多く投稿しており、私的な話題としても説明が何かとまだるっこしいので控えているものの、ひとつの上質な中編SF小説を読了したような感覚でゲームをプレイし続けている。
本作はゲームとしては短めで、収集要素を無視して通常エンディングを見るだけならば慣れたプレイヤーならば数時間でクリア出来ると思う。実際自分自身二週目のプレイでは同じ条件を満たしながら一週目の半分ほどの時間でクリアすることができた。現在三週目をゆっくり読みながらプレイしている。
赤燭遊戯社がヒットを飛ばした処女作『返校』はクリックアンドポイント式のゲームとしては簡潔な操作のアドベンチャーだが、叙情的な音楽や映画・演劇などの舞台の演出を意識した表現を使い「白色テロ」という台湾にとっては難しい時代を描いたシナリオが高く評価された一面がある。私も知人から勧められてプレイし、文章にすると冗長で薄口になりかねない微妙な感情の機微に唸らされた。同時にゲームが表現の方法のひとつであることを改めて教えられた感も覚えた。
その会社の三作目となる『九日~Nine Sols~』は静的で操作の少ない『返校』『還願』とは大きく方向性を変えたアクションゲームでありながら、ゲームは物語を語るための表現の一つである、という距離感は先の二作と変わらず、より多角的な表現とゲーム制作の技術を磨くための段階のように思える。なるべくシナリオの中核を語ることを避けてきた理由は本作がアクションゲームでありよりプレイヤーの操作がゲームの表現に直結するためだが、先述の通りストーリーの面白さが魅力に繋がっているゲーム会社のためそれを語らないまま面白さを表現することが難しい。
まず主人公の羿はこの物語の全てを知っている。けれども同居している弟分にもプレイヤーにも彼が強行に赴く理由を語らず、プレイヤーは彼に語らせるために彼を捜査しなければならない。上手いと感じたのは羿が話の出し惜しみをせず、ステージを攻略すればそのステージやステージボスに相対して自分の意見や経緯をきちんと説明してくれるため、プレイヤーはストレスを考察の楽しみに転換して話を進める事が出来る点だ。彼が語らない場面も経過をきちんと追っているプレイヤーにはその理由が分かるように作られているので、プレイヤーと羿の意識にずれは少ない。たとえば弟分の「猿人」軒軒(けんけん)にアイテムのレシピ本を与えると料理を作るイベントが発生するが、一つだけ「材料が足りずに作れない料理がある」と言われる。羿はその材料を知っているが語らない。何故ならば「猿の戯れ」というその料理の足りない材料は「ハツ」つまり心臓であり、「猿」ということは・・・・・・と言った具合に、イベントやアイテム説明などから羿の思考とその変化をプレイヤーは読み取ることが出来る。文章で語るには冗漫になりすぎる部分を絵や音楽、そしてアクションで補いながら物語を読むという感覚が強い。
方向性を急激に変えながらも得意部分をより進歩させ、アクションゲームとしては若干親切過ぎるかもしれないがその分丁寧に作られているということはここ数ヶ月何度も繰り返している評価だが、話という点に着目しながらプレイすると話を妨げないぎりぎりを見極めながらゲームが作られていくことが分かると思う。そんなややこしいことを考えずにプレイしてほしいというにはPCが必要というハードルがあるものの、出来ればコンシューマーに来てほしいゲームの一つでもある。誰かとこのゲームの話をしたいが為に機会があればこのゲームのことを書いている程度には好きなゲームになった。
発売から約三ヶ月が経過した『九日~Nine Sols~』には日本人プレイヤーはあまりおらず、やりこみ動画も専ら台湾のプレイヤーが多く投稿しており、私的な話題としても説明が何かとまだるっこしいので控えているものの、ひとつの上質な中編SF小説を読了したような感覚でゲームをプレイし続けている。
本作はゲームとしては短めで、収集要素を無視して通常エンディングを見るだけならば慣れたプレイヤーならば数時間でクリア出来ると思う。実際自分自身二週目のプレイでは同じ条件を満たしながら一週目の半分ほどの時間でクリアすることができた。現在三週目をゆっくり読みながらプレイしている。
赤燭遊戯社がヒットを飛ばした処女作『返校』はクリックアンドポイント式のゲームとしては簡潔な操作のアドベンチャーだが、叙情的な音楽や映画・演劇などの舞台の演出を意識した表現を使い「白色テロ」という台湾にとっては難しい時代を描いたシナリオが高く評価された一面がある。私も知人から勧められてプレイし、文章にすると冗長で薄口になりかねない微妙な感情の機微に唸らされた。同時にゲームが表現の方法のひとつであることを改めて教えられた感も覚えた。
その会社の三作目となる『九日~Nine Sols~』は静的で操作の少ない『返校』『還願』とは大きく方向性を変えたアクションゲームでありながら、ゲームは物語を語るための表現の一つである、という距離感は先の二作と変わらず、より多角的な表現とゲーム制作の技術を磨くための段階のように思える。なるべくシナリオの中核を語ることを避けてきた理由は本作がアクションゲームでありよりプレイヤーの操作がゲームの表現に直結するためだが、先述の通りストーリーの面白さが魅力に繋がっているゲーム会社のためそれを語らないまま面白さを表現することが難しい。
まず主人公の羿はこの物語の全てを知っている。けれども同居している弟分にもプレイヤーにも彼が強行に赴く理由を語らず、プレイヤーは彼に語らせるために彼を捜査しなければならない。上手いと感じたのは羿が話の出し惜しみをせず、ステージを攻略すればそのステージやステージボスに相対して自分の意見や経緯をきちんと説明してくれるため、プレイヤーはストレスを考察の楽しみに転換して話を進める事が出来る点だ。彼が語らない場面も経過をきちんと追っているプレイヤーにはその理由が分かるように作られているので、プレイヤーと羿の意識にずれは少ない。たとえば弟分の「猿人」軒軒(けんけん)にアイテムのレシピ本を与えると料理を作るイベントが発生するが、一つだけ「材料が足りずに作れない料理がある」と言われる。羿はその材料を知っているが語らない。何故ならば「猿の戯れ」というその料理の足りない材料は「ハツ」つまり心臓であり、「猿」ということは・・・・・・と言った具合に、イベントやアイテム説明などから羿の思考とその変化をプレイヤーは読み取ることが出来る。文章で語るには冗漫になりすぎる部分を絵や音楽、そしてアクションで補いながら物語を読むという感覚が強い。
方向性を急激に変えながらも得意部分をより進歩させ、アクションゲームとしては若干親切過ぎるかもしれないがその分丁寧に作られているということはここ数ヶ月何度も繰り返している評価だが、話という点に着目しながらプレイすると話を妨げないぎりぎりを見極めながらゲームが作られていくことが分かると思う。そんなややこしいことを考えずにプレイしてほしいというにはPCが必要というハードルがあるものの、出来ればコンシューマーに来てほしいゲームの一つでもある。誰かとこのゲームの話をしたいが為に機会があればこのゲームのことを書いている程度には好きなゲームになった。
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