えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

:待ち望まれて 『九日~Nine Sols~』

2024年10月12日 | コラム
 来月十一月二六日にコンシューマー三種で『九日~Nine Sols~』の発売が決定した。喜ばしい。やっとこのゲームを周囲にプレイしてもらいやすくなった。本作の魅力については徒然の日記で語ったとおり、「いかにして「複雑なアクションゲームを遊ぶ楽しみ」をアドベンチャーゲームのユーザーに知ってもらうか」を中核に据えた親切な作りと、赤燭遊戯社の得意とする複雑な世界観と深い人物の描き込みの二本柱である。ストーリー作りとゲーム的な探索に応じて開示される情報量の加減の巧さは代表作『返校』と『還願』で鍛えられており、『返校』はスマートフォンでも遊ぶことが出来るため『九日~Nine Sols~』の前に赤燭遊戯社の雰囲気を知るため遊んでおくのも良いと思う。一九六〇年代の国民党による台湾への言論統制時代という歴史へ堂々と切り込む潔さと、題材に対する真摯な態度が当時高く評価され幅広くメディア展開も行われた『返校』は社会現象を起こすほどの影響を及ぼしたが、『九日~Nine Sols~』もその系譜は引き継いでいる。話を整理して少し考えるとどうもこれは現実のある社会問題を間接的に風刺しているのではないかと邪推するのは既にこの会社の魅力に私が取り込まれている証拠だろう。

 まったくの2Dアクションゲームの新作として、特に遊びやすいSwitchに来てくれたことがありがたい。PVを見ると一部の演出が修正されているものの細かい部分なのでストーリーの中核部分は修正されていないと信じたいが、それが修正されていても話の根幹が変わらなければ『九日~Nine Sols~』が私たちに与えてくれる面白さの質に変わりは無いだろう。アニメーションは私の並みのPCでも問題なく動き、微細な判定を要するアクションも違和感を覚えることなく進める事ができた。ゲーム専用機器ならばもっと繊細に、もっと緊密にアクションを凝縮して楽しむことができるのが少々羨ましいかもしれない。

 問題はストーリーを語る言葉の方で、しばらく遊んでいないうちにアップデートが行われ物語の根幹を成す「道/大道」という単語が一律で日本語版は「タオ」という単語に置き換わってしまったことは衝撃だった。道教の思想を世界観の根底に敷いているためにこの単語は最も繊細で重要な鍵を握る言葉なのだが、「道」だけでは道教の知識が無い人には単なる個人の思想に見えてしまいかねないので修正はやむなしかもしれないが、そこは「大道」などの単語で補足しても良かったのではないかと思う。また併せて装備の名前が例えば「尋敵刃」が「影討ちの刃」といった調子に変わってしまったことも少々残念だった。キャラクターの台詞もアップデートの度に微妙な追加や改変が施されており、注意深くなるのは仕方ないとはいえ日本語の場合は「わからなくても漢字のニュアンスで文脈を掴む」ことがやりやすいので、漢語を無闇に日本語の文法に置かなくても良かったように思う。だがそれを感じ取れるのは日本語ネイティブの感性にかかっているので難しいところだろう。来月末から一気にこの世界が日本へ広がることを切に願いたい。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« :約束の日の後 | トップ | ・祭りの秋 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

コラム」カテゴリの最新記事