『俺の屍を超えていけ』とローグライクゲームはランダム性という部分の煽り方が似ている。悲惨な物語であり、キャラクターロストという「人間の死」のシミュレーションを何度も強制されるにもかかわらず、何周もしてしまうのはランダム性と法則性の塩梅が絶妙に成り立っているおかげだ。たとえば最初にどちらの性別を選ぶかの時点でその後に取れる手段がある程度限られ、思うルートを取るためには戦略が必要だ。けれども実際にダンジョンへ潜ってみても、ローグライクゲームにおけるフロアと同様に取得できるものは限られている上、手に入るかどうかは運に任されている。かといって運だけで道を切り開こうとすると容赦のないキャラロストが待っており、ローグライクよりもきついペナルティが課される。このペナルティを回避する行動を学ぶことが本作における定法だ。
慣れてくるに従って無茶を侵すことも増えてくるが、それは選択肢を自発的に増やすことであり、思考のルーティンを徐々に外していく過程ともなる。リソースが限られていればいるほど目的が広がっているうちが面白い。クリアが目に見えると手が止まってしまうのはご愛嬌だ。目的の縮小はゲームの終焉へと近づく。その過程を楽しむゲームの終わりは、そんなに濃くなくても良い。
慣れてくるに従って無茶を侵すことも増えてくるが、それは選択肢を自発的に増やすことであり、思考のルーティンを徐々に外していく過程ともなる。リソースが限られていればいるほど目的が広がっているうちが面白い。クリアが目に見えると手が止まってしまうのはご愛嬌だ。目的の縮小はゲームの終焉へと近づく。その過程を楽しむゲームの終わりは、そんなに濃くなくても良い。