えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・天まで走れ

2025年01月01日 | コラム
 年明け前に駐車場へ滑り込んだ。角の街灯の下でダウンジャケットに身を包んだ四人連れがにこにこ笑いながらタバコを吹かしているのを見て弟が眉を顰めた。「路上喫煙禁止だって知らねえのかよ」「さあどうだろうね。知らないんじゃないのかな」「んなわけねえだろ」車の窓は閉じていた。彼等が何を待っていたのかはわからない。近くの焼き肉屋はまだ光が灯っていたが、終業は二十三時だった。とうに過ぎている。今年も空から星の光が突き刺すように輝いていた。深夜の頂点の今時分が好きだった。かつては境内で火を焚き、一年それぞれの家庭を守って役目を果たしたお札や破魔矢を空へ帰していった。それが無くなってこれからもう五年になるというのに、参拝の列へ並ぶとふっと境内の暗みに眼を向けてしまう。火が焚かれて木々がはぜる音の幻が聞こえる。思い出の中から反響する音は頭の中にこだまして殷々と眠りかけの頭を揺り起こす。新年が訪れるまであと二〇分ほどだった。除夜の鐘が響く。気にせずごんごんと鳴らしてほしい。音が列に沿って煩悩を吹き上げていく。それを迎え入れる空は雲一つ無く開かれている。この時間だけは唯一忙しない年末年始の中で沈黙と落ち着きを感じる時間だ。本殿が開きご神体が御簾の影から姿を覗かせている。神職が祝詞をあげて同じ灰色のダウンジャケットを着た四人の壮年の男が頭を下げている。いつの間にか年が明けた。ハッピーニューイヤーと列のあちこちから声が聞こえる。ふと振り返ると列は随分と伸びて鳥居の外まで続き、蛇のようにもぞもぞと前へ詰めようと蠢いていた。明るい拝殿へ飲み込まれるように人の列が動き出した。「何をお祈りしようかな」「今年もいい年であるように、とか、他に何かあるかな」とすぐ後ろの女性二人が高く声を上げている。私と弟はとりとめのないパソコン新調の話をしながら前へ進み、参拝を済ませて社務所へと向かっていった。

 本年が無事迎えられましたことをまずは感謝いたします。去年の今頃何が起きたか、何が起きてしまったか、一年過ぎてもまだ記憶に新しく残るのではないでしょうか。「それでも」と私たちは書かざるを得ません。死ぬまで生きることしかできません。年を取ると共にそれがいかに苦しみに満ちた道であるかを知る人も居れば、苦しみを知らずに楽しめる人、苦しみを知りながらも楽しみを足りる人、生き方はそう定められてはいないのかもしれません。
 徒然と書きましたが本年もこのような調子で改めてお願い申し上げます。そろそろ二十年選手が見えて参りましたが、プラットフォームがなくならない限りはここで書くと言うことは止めないでいようと思います。

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