電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

佐伯泰英『狐火ノ杜~居眠り磐音江戸双紙(7)』を読む

2008年11月15日 09時14分30秒 | -佐伯泰英
このシリーズ、NHK-TVで土曜時代劇として放送中ですが、私が読んでいるのは、実は前回放送シリーズ「陽炎ノ辻」のようで、今の番組はずっと先の方をドラマ化しているらしいです。それなら下手に見ない方が、などと思案しているうちに、もうすぐ放送も終了するらしい。ちょいと残念。

さて、佐伯泰英著『居眠り磐音江戸双紙』シリーズの第7巻、『狐火ノ杜』を読みました。
第1章「紅葉狩海晏寺」。今津屋のお内儀お艶の葬儀も終え、おこんの骨休めを計画した磐音は、品川柳次郎、中川淳庵のほかに幸吉、おそめを連れて、紅葉狩に出かけます。このあたり、なぜ中川淳庵?と不思議です。名医の淳庵さん、そんな暇があったのでしょうか。案の定、乱暴旗本の金森右京の仮病騒動です。むしろ、国元で物産プロジェクトに奔走する中居半蔵の手紙が、良いですねえ。
第2章「越中島賭博船」。竹村武左衛門が、人足作業で怪我をしたといいます。武左衛門らしく、あまりに仕事が辛いので酒を飲んでの失態。品川柳次郎は、武左衛門の家族の窮状を見かねて、代わりに働くと申し出ます。そんなわけで、ついでに磐音も一緒に人足稼業。でも本命は、第4巻の金沢で知り合った三味線職人・鶴吉の仇討ちです。漁夫の利を得たのが南町奉行所の笹塚孫一さんです。この人、いいところで顔を出しますね。作者のお気に入りのキャラクターなのでしょう、きっと。
第3章「行徳浜雨千鳥」。南町奉行所から、200両の褒美が出ますが、磐音は鶴吉が江戸に戻ったときの開業資金として今津屋に預けます。老分の由蔵は、磐音のあまりの人のよさに不満顔。でも、主題は中川淳庵の恩人が隠居する行徳まで、蘭学を目の敵にする狂信的国粋主義者血覚上人の一派の襲撃を防ぐ話です。いつの時代も、狂信的な人というのはいるもので、それを作者は描きたかったのか。
ところで、金兵衛長屋から今津屋への帰り道、おこんが「刀を捨てて町人になるのなら、おこんがお嫁に行ってあげるわ」と告白する場面がありますが、この後の描写で磐音が「おこんの背を呆然と見つめていた」とあるのはおかしい。おこんの気持ちはそれまでも十分に感じているはずなので、「呆然」というのは違うでしょう。
第4章「櫓下裾継見世」。こんどは、今津屋の老分の由蔵が、能登屋という風呂屋の用心棒を世話します。2階でひそひそ話をしていたのは、上杉家の七家騒動の余波でした。でも物語はそっちではなくて、品川柳次郎が近所の御家人の未亡人に同情し、やむにやまれず刀を抜く話です。うーむ。この物語では、生活が苦しくなるとすぐ身売りに走ってしまうのですね。義弟の思慕と最後も悲劇的です。
第5章「極月王子稲荷」。前章の悲劇的なトーンをやわらげるためか、なんと76頁を費やして、落ちは駄洒落です!おこんさんに狐がついて、その父親が金兵衛で、「おこん金々おこんこん」、思わず「こんこん」と咳をしたというのですから、やれやれです。作者には、伝統的駄洒落保存会への入会をお勧めしたいところです。

最後の駄洒落で終わるのには思わずずっこけてしまいましたが、本巻は要するに奈緒と磐音とおこんの間の微妙なバランスが、おこんの側に一歩傾き、「おこん、ついに告白!」という小見出しが躍る、そういうストーリーでした。たぶん、次回は奈緒の側に揺り戻す思わせぶりなお話が登場するんじゃないかな。なんとなく、予想できそうです(^o^)/
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クラゲが光る話

2008年11月14日 06時55分09秒 | Weblog
藤沢周平の故郷、山形県鶴岡市に、日本海に面して、鶴岡市立加茂水族館(*1)という小さな水族館があります。ここは、大都市の大規模な水族館とは違い、ごくこじんまりとした建物です。内陸に住む私なども、小学校や子供会の遠足などで、何度も見学していますが、一時は閉鎖寸前まで入館者数が落ち込んだ時代がありました。ところが、名物館長の村上龍男さん(*2)をはじめとするスタッフのみなさんの長年の苦労と努力が実り、今やすっかり人気水族館になりました。ここの特色は、クラゲです。なんと、世界一のクラゲ水族館なのです。

もともと、8月ともなるとどこからか庄内浜まで漂って来て人を刺し、海水浴の迷惑にしかならなかったクラゲを、水族館の展示のメインにしようというのですから、当時としてはたしかに破天荒ではあります。でも、実に神秘的で美しい生物でもあります。たとえばオワンクラゲ(*3)。海中でぼうっと光る様は、まことに神秘的なのだとか。ところがこのクラゲ、自然界では光るのに、水族館の水槽の中で飼育を続けると、光らないのだそうです。

ノーベル化学賞を受賞した下中脩さんの業績は、このオワンクラゲの発光のしくみの鍵となる発光タンパク質イクオリン(*4)を発見したことだそうです。報道で下中さんの受賞を知った村上館長、同じクラゲつながりで、下中さんにお祝いの手紙を差し上げたのだとか。その中に、水槽で飼育を続けたオワンクラゲの人工世代は光りません、と書いたために、下中さんからじきじきに電話をいただき、セレンテラジン(*5)という発光基質をエサに加えると良い、とアドバイスされたそうです。下中博士の紹介で、三重大学の研究チームからセレンテラジンの提供を受け、投与したところ、今まで光らなかったオワンクラゲが、ぼうっと光りはじめたそうです!

直接見ていないのに原因がわかる下中博士の、そして発光のしくみを解明した科学の力はすごいものだな、とあらためて感心しました。困難を乗り越えて復活した小さな水族館の明るいニュースに、ちょいと胸が躍りました。

(*1):鶴岡市立加茂水族館
(*2):館長のあいさつ
(*3):オワンクラゲ~Wikipediaより
(*4):発光タンパク質イクオリン~Wikipediaより
(*5):セレンテラジンとは~特徴、価格など
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週末の楽しみは、山響スクリーン・ミュージック・コンサート

2008年11月13日 07時08分16秒 | クラシック音楽
この週末の楽しみは、山響スクリーン・ミュージック・コンサートです。いつもの純クラシックの定期演奏会とは異なり、映画で使われたクラシック音楽や、映画の中の音楽を山形交響楽団が演奏します。たぶん、スクールコンサートなどでは取り上げることもあるのでしょうが、こうしてまとめて聴ける機会は少ないのかも。先日、妻がこの演奏会の予告を掲載した山形新聞を持ってきて、この演奏会に行きたいというので、どれどれ、とあらためて内容を確認。

2008年11月16日(日)、午後3時開演(2時半開場)、山形県県民会館
指揮 : 飯森範親、案内人 : 荒井幸博
曲目(予定・順不同) :
<第1部>
ワーグナー/ワルキューレの騎行(「地獄の黙示録」)
シベリウス/交響詩「フィンランディア」(「ダイハード」)
J.シュトラウスⅡ/美しく青きドナウ(「2001年宇宙の旅」)
ベートーヴェン/交響曲第6番「田園」第1楽章(「セロ弾きのゴーシュ」)
<第2部>
エデンの東
天空の城ラピュタ より 「きみを乗せて」
風と共に去りぬ より 「タラのテーマ」
チャップリン映画メドレー
ウェストサイド物語 より
サウンド・オブ・ミュージック より

なるほど、今まであまり経験していない、山響のワーグナーを含む第1部も楽しみですが、第2部の映画音楽がどんな編曲になっているのかも興味深いです。
幸い、スケジュールはあいています。良かった~。日頃、私の単身赴任で楽しみも少なくなりがちです。こういう女房孝行なら、喜んでいたしましょう(^_^)/
ちなみに入場料は全席指定で、S席:5,000円、A席:4,000円、B席:3,000円 だそうです。さっそく妻と二人分、S席をキープしました。楽しみです。
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2009年のシステム手帳用マンスリー・リフィルを購入する

2008年11月12日 06時34分10秒 | 手帳文具書斎
毎年11月になると、来年の手帳を準備することにしています。先日、休日に孫が遊びに来ましたので、車で山形空港に遊びに連れて行き、ついでに文具店でシステム手帳用の2009年マンスリー・リフィルを購入してきました。BindexのNo.041という見開き一ヶ月タイプのものです。ここ数年、このタイプを使っていますが、私の用途には、次のような点から、これがけっこう便利です。

(1)見開きで一ヶ月を見渡すことができ、把握しやすい。
(2)朝7時から夜10時まで、時刻の目盛が入っており、矢印等で所要時間を示すことができる。
(3)休日に網掛けが入っており、見やすく識別しやすい。
(4)六曜の記載があり、冠婚葬祭等の見通しが立てやすい。
(5)当該年と翌年のカレンダー、年齢早見表がついている。

スケジュールがたてこんでいる日は、その日の分を Daily Plan リフィルに別記していますので、大まかな月刊予定表で間に合う、ということなのでしょう。まだ若く、実務に追われていた頃は、もっと細かな記入スペースがほしかったものですが、今はコンパクトに把握できるほうがありがたいと感じます。このあたりも、年齢や立場で違って来るものなのだろうと思います。
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ドヴォルザーク「交響曲第7番」を聴く

2008年11月11日 07時09分03秒 | -オーケストラ
このところ霧が出やすく、一時的に晴れ間が出ても、すぐにどんよりと曇った暗鬱なお天気に変わってしまいます。晩秋の郊外路を走る通勤の音楽は、ずっとドヴォルザークの交響曲第7番、あのドヴォルザークらしからぬ暗~い音楽を聴いておりました。グラモフォンの紙箱全集 463 163-2 という型番のCDで、演奏はラファエル・クーベリック指揮ベルリン・フィル。1971年の1月に、ミュンヘンのヘルクレス・ザールで収録された、アナログ録音です。

第1楽章、アレグロ・マエストーソ。チェロとヴィオラでしょうか、始まりからして、不安気な、悲劇の始まりを予感させるような音楽です。途中には木管による穏やかなところも。クーベリックの音楽は、いかにも気宇が大きく、堂々たるものです。
第2楽章、ポコ・アダージョ。木管によるおだやかな印象に始まります。ボヘミアの平原を思わせるのびやかな緩徐楽章かと思うと、しだいに暗~い要素も忍び込みます。最後ははじめの主題がもう一度登場し、ひっそりと終わります。
第3楽章、スケルツォ:ヴィヴァーチェ・メノ・モッソ。このリズムが、なんともいえず魅力的です。ドヴォルザークの魅力が満開の音楽でしょう。中間部はゆっくりとした明るい音楽になります。
第4楽章、フィナーレ:アレグロ。第1主題、これまた暗~い始まり。続く第2主題はチェロによる民謡風のもので、展開部は密度の高い対位法的な処理をしたところでしょうか。再現部を経てコーダへと続きますが、速度を増しつつ第1主題の冒頭が全奏で力強く奏され、壮大に終わります。

楽器構成は、弦五部に Fl(2),Ob(2),Cl(2),Fg(2),Hrn(4),Tp(2),Tb(3),Timp となっており、Fl(1)は第3楽章でピッコロ持ち替えとなっているそうです。

この曲は、1884年に着手され、1885年に完成しています。よく、「ブラームスの第三交響曲に感激して、自分もこういう絶対音楽的な交響曲を作ってみたいと思って完成させた」みたいな話を見聞きすることがありますが、どうも、そんな単純な話ではなさそうです。このあたりのできごとを年号順に拾ってみると、こんなふうになります。

1883年、若い頃に影響を受けたワーグナーが没し、ブラームスの交響曲第3番が発表されました。敬虔なカトリック教徒ドヴォルザークが、なんと公式には異端の人々を取り上げ、劇的序曲「フス教徒」を作曲しています。
1884年、5月12日にスメタナが没します。梅毒による脳障害で、プラハの精神病院にて生涯を終えました。6月、自作の「スターバト・マーテル」をロンドンで演奏し、圧倒的な成功をおさめたドヴォルザークは、フィルハーモニー協会から新作交響曲の依頼を受けます。
1885年、交響曲第7番を完成します。

こうしてみると、スメタナに大きな影響を受けていたドヴォルザークは、彼の悲惨な最期に強く心を動かされたのだろうと想像されます。もちろん、音楽的にはブラームスの第3交響曲の影響があると言われ、緊密な対位法的な処理が特徴的と指摘されますが、緊張感のある充実した構成に、たしかになるほどと思います。と同時に、素材や旋律のところどころに、自作の劇的序曲「フス教徒」や、スメタナの「わが祖国」を思い出させるものがありますし、過去の様々な経緯を越えて、祖国の歴史や先輩を悼み、力の限り努力を傾注した意思的な音楽として完成した、と言って良いのではないでしょうか。クーベリックとベルリン・フィルの演奏は、やや暗めの、緊張感に満ちた音楽が、はじめはやや遅めに始まり、徐々に速度を上げ、終盤に向かって高揚していく、そんな悲劇的な英雄(たち?)の音楽になっていると感じます。それだけに、途中に出てくる、人懐こい親しみやすい旋律が、いかにもドヴォルザークの音楽で、たいへんに魅力的です。

参考までに、演奏データを示します。
■クーベリック指揮ベルリン・フィル
I=11'18" II=9'42" III=7'26" IV=9'18" total=37'44"
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小型ノートと記事スクラップ

2008年11月10日 06時16分16秒 | 手帳文具書斎
備忘録ノートを、セカンドバッグに入る大きさのB6判に変更したとき、問題になったのは新聞等の記事のスクラップの扱いでした。今まで、B5判やA4判の大学ノートを使っていたときには、そのまま貼り付けていればよかったのですが、小型サイズになると、そのままでははみ出してしまう記事があります。たいていの場合は、記事全部が必要というわけではなくて、見出しや小見出し、リード文等をメモするだけで足りることが多いのですが、中には統計資料や図表などがあったりして、そのまま保存したいこともあります。



そんな場合でも、折り畳めば大丈夫なことが多いものです。新聞記事は、よほど大きなものでなければ、B4判サイズには収まるもので、四つ折りすればたいがい大丈夫。中身が何の記事だったかがぱっとわからない点は問題ですが、それはノートの余白や次頁に表題を付けておけばよい話。B6判に変更してほぼ三年になりますが、とりあえず小型ノートでもスクラップはできる、ということで落ち着いています。

(*):写真は、2008/11/08付け日本経済新聞(土曜版)から、「咳ぜんそくにご用心」という記事を貼り付けたところです。
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佐伯泰英『雨降ノ山~居眠り磐音江戸双紙(6)』を読む

2008年11月09日 07時01分48秒 | -佐伯泰英
双葉文庫の佐伯泰英著『居眠り磐音江戸双紙』シリーズ第6巻、『雨降ノ山』を読みました。今回は、今津屋の内儀のお艶が病死するまでを中心とする物語です。
第1章「隅田川花火船」。長屋に居ついたあだっぽい女を助けたばかりに降りかかってきた女難ですが、藤沢周平『用心棒日月抄』に登場する夜鷹と同様、命を落とす運命に。しかし、子供を亡くし、恋女房を刺し殺した丑松が、たとえ生き残るのも地獄とはいえ、はたしてバッサリと斬ってしまうのが人情なのでしょうか。このあたりが、講談調と感じる所以です。もっとも、

丑松は腰縄を打たれて引き立てられて行った。二人の子を失い、恋女房を手にかけた男の行く末を思い、磐音は暗然と後ろ姿を見送った。

という具合に終わったら、これは藤沢周平の二番煎じになってしまうのかも。そのために、あえて講談調ホラ話の路線を選んでいるのかもしれず、これはこれでありうる話です。
第2章「夏宵蛤町河岸」。長屋の老婆が詐欺にあい、首をくくったことを怒り、幸吉は子供らを動員して探索に走ります。危機一髪でした。
第3章「蛍火相州暮色」。病が進み、里帰りを願う今津屋の内儀のお艶は、吉右衛門とおこんと小僧の宮松、そして磐音を用心棒に、相州伊勢原まで旅の途中です。ゴマの灰にまとわりつかれても、お艶さんは「これで退屈せずに旅ができますね」。病弱ですが、この人は意外に度胸がすわっていますなあ。病気は、今ならば胃ガンでしょうか。
第4章「鈴音大山不動」。ようやく実家にたどり着いたお艶が、大山詣でがしたいと言います。死を覚悟のお不動参りに磐音も同行します。私は丹沢には何度か登りましたが塔ノ岳が中心で大山には登ったことがありません。それでも、若い時分でさえ、15kgを限度にパッキングをしておりました。大学ワンゲル部のしごきでさえ、20kg超がいいところだそうです。成人女性をおぶって山登りなどというのは、とても無理です。死病の女性の願いを叶え、おぶって登るスーパーマン!このあたりも、リアリティくそくらえの講談調ホラ話です。であればこそ、代参の阿夫利神社での雨中の剣戟が本巻の表題となるのでしょう。
第5章「送火三斉小路」。磐音は、吉右衛門留守中の今津屋の後見に座り、偽大判騒ぎを持ち込んだ南町奉行所の笹塚孫一を助けます。そして送り火の夜、今津屋にお艶の死去が伝えられます。講談ではありますが、思わず粛然とする今回の物語の終わりです。

豊後関前藩物産プロジェクトは、国元で苦労しながらも進んでいるようです。人をバッサリと切り捨てる話よりも、坂崎磐音が主人公として直接的に活躍しなくていいから、むしろ中居半蔵さんあたりに焦点が当たった方が、物語として多面的な展開のおもしろさがあったのかな、とも思います。あるいは今後そのような展開が準備されているのかもしれませんが。
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諸田玲子『鷹姫さま~お鳥見女房(3)』を読む

2008年11月08日 07時23分26秒 | 読書
新潮文庫で、諸田玲子さんの『お鳥見女房』シリーズ第3作、『鷹姫さま』を読みました。前作からはほぼ1ヶ月ぶりになります。

第1話「雪夜の客」。雪の夜、白装束の女が隣家を訪ね、ほどなくさまよい出て倒れます。放ってはおけず、珠世さんは息子とともに家に連れて帰ります。隣家の主人の人間としての弱さが、なんとも不甲斐ない。
第2話が表題作「鷹姫さま」です。長男の久太郎に、上司が縁談を勧めます。時の権力者に連なる鷹匠の家の娘で、鷹姫さまと呼ばれる、今風に言えば勝気なお転婆娘なのだとか。久太郎は、娘がどうというよりも、家督を継がなければならない長男の責務を重視し、断ります。しかし、娘は誇りを傷つけられ、鷹のようにはげしく怒ります。
第3話「合歓の花」は、次女の君江さんの話。乙女心と若者の思慮は一時食い違いますが、老婆の狂気による危難に遭遇し、一気に満開の花が咲き、娘の幸福を願う両親も、ようやく安堵します。
第4話「草雲雀」。珠世の父、矢島久右衛門が、かつて隠密の任務で潜入した地で共に暮らした女の娘が訪ねて来ます。娘は久右衛門が死んだとばかり思って来たのですが、存命なことに驚き絶句します。長男の久太郎は、鷹姫さまこと恵以から、縁談を断ったことを許さないと挑まれます。久右衛門は沈みがちですし、次男の久之助は、祖父を訪ねてきた娘の心情を知り、心を動かされます。ここは、後の大きな展開が準備されている回と見ました。
第5話「嵐の置き土産」。台風なのでしょうか、大きな嵐で浸水した家から避難してきた農夫は、勘当した息子を、和解の糸口を見出せないまま、ずっと待っていたのですね。
第6話「鷹盗人」。夫は、隠密の任務のために心ならずも同僚を切ったことなどに、気持ちの整理がつかずに苦しんでいます。今で言うPTSDでしょうか。殉職した同僚の遺児が、鷹を盗み矢を射掛けたことを知り、木から落ちて負傷したところを助けます。珠世さんと共に看病するうちに、心的外傷も次第に癒えます。
第7話「しゃぼん玉」。武器を持たねば勝てないといいます。しかし、柔弱なはずの若者は、武器を持たずに負けない道を選びます。
第8話「一輪草」。次女の君江の祝言です。うるさ型の叔母の登美には、若いころの悲しいエピソードがありました。君江の婚礼の陰で、様々な思いが交錯します。

なかなか面白いです。同じ時代物といっても、並行して読んでいる『居眠り磐音シリーズ』が講談調のホラ話としたら、こちらは浪花節の人情世話物でしょうか。ずいぶん味わいは違いますが、1話ずつ読む楽しさがあります。
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料理のできる男性は

2008年11月07日 06時46分56秒 | Weblog
「BuzinessMedia誠」のこの記事(*)によりますと、「もはや料理をする男性は当り前」なのだそうで、年に数回という人も含めると、実に84%の男性が、料理をしているのだとか。単身赴任の私のように「ほぼ毎日」が10%、「週に4~5日」が17%、あわせて27%の方々には、まあ、仲間意識も持ちますが、「週に1日程度」16%には、

ちっちっちっ!
そんなのは料理をするうちには入りませんぜ、旦那!

などと揶揄してみたくもなります。でも、20代の人たちが料理をする理由が、主として安月給をやりくりする経済的なものだとわかると、ビンボーだった若い時代を思い出して、ちょいと同情したりします。

笑ってしまったのは、「料理できる男はカッコイイ」という選択肢。をいをい、そんな選択肢が成り立つのかい?と思ったのは、やはり私が「花の中年」世代だからなのでしょう。なんと、「料理は男性でもできた方がいい」が89%、「料理をすることが好きだ」(64%)、「料理できる男はカッコイイ」(59%)なのだそうです。しかも、これらの回答の世代別の違い、もっと明確に言えば、50代と20代の、あまりの違いに、思わず爆笑。

■「料理できる男はカッコイイ」か
20代女性 「YES」 60.3%
50代女性 「YES」 24.4%

うーむ。単身赴任で毎日料理を作る私は、カッコイイのでしょうか。ちょいと複雑な心境です(^o^)/
これはやはり、設問の中に「同世代で」という限定が、暗黙のうちについてしまっているような気がします(^o^)/

(*):20代男性は節約志向? 料理をするきっかけ&理由

ちなみに、写真は、ホウレンソウとシメジとナスと豚肉をバターでいためたもの。ちょいとお醤油をたらして食べると、なかなかいけます。冷蔵庫から出して、洗って切って炒めて、所要時間20分。
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モーツァルトのピアノ協奏曲第26番「戴冠式」を聴く

2008年11月06日 06時45分29秒 | -協奏曲
まだ若い高校生の頃、モーツァルトのピアノ協奏曲は、眠くなる音楽の筆頭でした。ピアノの低音の迫力も、オーケストラの怒涛の咆哮もなく、ひたすらコロコロと鍵盤に戯れるような音楽が、どうも物足りなくて、それに標題もないし(^o^)/

いつ頃からでしょうか、モーツァルトのピアノ協奏曲が、無条件に幸福に聴くことができる音楽になってきたのは?それはたぶん、20代の後半あたりだったと思います。夏山を縦走して帰ってきたとき、快い疲労の中で聴くはずなのに、決して眠くなる音楽ではありませんでした。むしろ、微妙な音色の変化やさりげない転調がチャーミングで、うわー、いいなぁ!

第1楽章、アレグロ。明るく祝典的な始まりです。独奏ピアノが入ると、何気ない形で転調して愁いを織り込みながら、ただ明るいだけの気分ではありません。途中には対位法的な部分もあり、多彩な華麗さです。オーケストラも、ティンパニはバンバンぶったたくし。
第2楽章、ラルゲット。優しいピアノ独奏で始まり、オーケストラも優美に歌い返します。ピアノ独奏は、ちらりと嘆きのフレーズも見せながら、そっとヴィオラと歌い交わしたりもするようで、オーケストラも静かに楽章を閉じます。
第3楽章、アレグレット。再び軽快で快活な気分がもどって来て、ピアノもオーケストラも、ロンドふうに。途中に短調の副主題も登場します。激烈さはずっと後退していますが、それでもティンパニは大活躍、トランペットもここぞとばかり自己主張。そして主題が回帰して何度も繰り返され、華やかに全曲を閉じます。

もっぱら聴いているのは、ロベール・カサドシュ(Pf)とジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団による、1962年11月2日~3日のアナログ録音(SONY 5033902)と、アンネローゼ・シュミット(Pf)とクルト・マズア指揮ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団により、1972年にドレスデンのルカ教会で収録されたアナログ録音(DENONの紙箱全集の COCQ-84097-105 と、例の MyClassicGallery という全集分売ものの GES-9233と、実は2枚ある)です。セル盤のほうは、ピアノの見事さ、オーケストラのリズムの切れ味にはなんともいえない華やかさ、軽やかさがありますし、マズア盤の東独ルカ教会での録音も、残響豊かなふっくらとしたアナログ録音が、堂々とした演奏の良さをじゅうぶんに伝えてくれています。

「戴冠式」という標題を持つ、ピアノ協奏曲第26番は、1787年の初めに最初の楽章が手がけられていたけれど、1790年になって、新皇帝レオポルトII世の戴冠式の祭典で演奏するために日の目を見た曲だそうです。このへんの、予約演奏会を開こうにも予約会員が一人しか集まらない状況だったという、モーツァルト晩年の困った事情は、実に不自然です。私のような田舎の中年が講師を勤めるような地域のパソコン講習会でさえ十数名の参加者があるのですから、一人だけと言うのはむしろ不自然・作為的なものを感じます。考えられるのは、

(1)1788年、オーストリアがトルコに参戦したという世情が、貴族たちを領地へ帰省させ、ウィーンは聴衆がからっぽ状態になっていた。
(2)貴族をコケにした1786年の「フィガロ」以来、主な聴衆である貴族に反感を持たれてしまった。
(3)自由な非常勤の身分にも関わらず、高給で引き立ててくれていたヨーゼフII世の見方が変わり、また健康を害しつつあった。
(4)決定的だったのは、たぶん1789年のフランス革命だったろう。「モーツァルトは危険な奴だ!」
(5)音楽的流行の移ろいやすさの根底には、他の多くの音楽家たちによる、ポストをめぐる足の引っ張りあいもあったのでは。

などでしょうが、ダ・ポンテの危険な台本「フィガロの結婚」をオペラにした生意気野郎のモーツァルトは「ほされてしまった」と考えるのは自然なことのように思えます。にもかかわらず、見掛け上の後退の裏にあるこの音楽的充実は、モーツァルトの自負心でしょうか、それとも音楽的本能でしょうか。

第1楽章のカデンツァは、アンネローゼ・シュミット盤ではパウル・パドゥラ=スコダによるものと明確に記載されていますが、カサドシュ盤ではロベール・カサドシュ自身によるものでしょうか。写真のLPは、オリジナルの日本コロムビアのカサドシュ+セル+クリーヴランド管による盤です。

■ロベール・カサドシュ(Pf)、セル指揮クリーヴランド管
I=13'34" II=6'23" III=9'01" total=28'58"
■アンネローゼ・シュミット(Pf)、マズア指揮ドレスデン・フィル
I=14'01" II=6'50" III=10'50" total=31'41"
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伝統の力

2008年11月05日 06時15分04秒 | Weblog
親戚の叔母さんが歌集を出したとのことで、送っていただきました。数十年の精進の成果をまとめて自費出版したもので、夫君である叔父さんの油絵を表紙に飾り、選も序文も短歌の師匠のものだそうです。きっと、師匠は叔母さんの人柄をよく見ておられるのでしょう。生来の明るいユーモアとともに、望郷の思いを歌に託すときの広がりを、序文の中で指摘しています。様々なエピソードが推測され、味わい深いものがあります。

そういえば、わが祖父の妹でありました大叔母も短歌を詠みましたし、その長子である別の叔父さんもまた、母の遺作を歌集に編んで自費出版しておりました。「第二芸術」などと批判も受けながら、しかし五七五七七の伝統的な短詩形式は、庶民の生活の中にしっかりと定着し、絶えることがないように思えます。

あいにく、当方は短歌を楽しむような風流を解さずに来ましたが、さて Weblog という形式は、このような伝統の力を持ち得るのだろうかと、興味深いものがあります。
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行事等の挨拶について

2008年11月04日 05時28分56秒 | Weblog
ある程度の年齢になると、プライベートに、あるいは地域の行事等で、挨拶を頼まれることがあります。挨拶というのは不思議なもので、行事の雰囲気を方向づけることがあります。長々とした挨拶は参会者の集中力をそぐことになりますし、短く上手な挨拶は会の雰囲気を盛り上げます。そんな理由から、様々な場面で挨拶に耳を傾けることが多くなりました。ふだんから耳にしてはいるものの、自分だったらどうするか、という立場で拝聴すると、なかなか味のある、面白い挨拶も多いものです。型通りではあるが要点を簡潔にとらえたものや、型破りの元気なもの、あるいは軽妙洒脱、自在の境地でありながらきちんと収まるところに収まる名人芸など、様々な挨拶があります。

私の場合は、まだ型通りの内容を落とさず盛り込みながら、いかに短く簡潔にまとめるかを工夫するレベル。とても自在の境地には縁遠いものです。できうれば、いつか軽妙洒脱な挨拶ができるようになりたいとは思いますが、今それを望むのは、まだまだ無理のようです。月山に雪が積もり、白くなりました。当地は日々寒さに向かいます。
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佐伯泰英『龍天ノ門~居眠り磐音江戸双紙(5)』を読む

2008年11月03日 06時47分53秒 | -佐伯泰英
双葉文庫で、佐伯泰英著『龍天ノ門~居眠り磐音江戸双紙(5)』を読みました。前巻では、悲劇のヒロイン奈緒さんが余儀なく身売りをし、あちこち転売されるうちに値千両を超えるという、手の届かぬ遊女となるお話でした。本巻では、ようやく江戸に戻った正月から始まります。
第1章「初春市谷八幡」。正月早々、縁起でもない首縊り事件が勃発。ですが、どうも怪しい。犯罪が匂います。磐音は、南町奉行所の知恵者与力である笹塚孫一に協力させられます。この大頭の与力さん、藤沢周平の『彫師伊之助シリーズ』で、伊之助が頼りと言葉ではいいますが遠慮なく探索に従事させる、南町奉行所同心の石塚さんを連想します。ただし、笹塚氏の方が、陽気で闊達な性格のようで、憎めません。磐音さん、もと許嫁の奈緒さんの件については、身は離ればなれでも自分が独身を通すことで思いを遂げようと決心します。磐音さん、そりゃ無理ですね。だって、すぐ身近におこんさんという女性がいるという想定ですもの、もうその時点で、作者の意図は明白、見え見えです。
第2章「名残雪衣紋坂」。豊後関前藩の中居半蔵が、父からの手紙を磐音に渡し、藩主が国元に帰参する費用として、今津屋に2500両の借金を仲立ちするよう依頼します。そして本題は、奈緒さん改め白鶴の吉原入りを邪魔する奴がいる、という事件です。おかしいな、どさくさに紛れて奈緒さんを救いだし、手に手をとって逃亡の旅に出る絶好のチャンスなはずなのに、前巻は前編それを諦めることを合理化するための無駄足だったわけですね。ふ~ん(納得はせず)。たぶん、作者は奈緒+磐音の組み合わせでは、物語を重層的な構造で展開できない、と読みきったのでしょう。悲劇のヒロインを見捨ててさっさと乗り換えるヒーローは、所詮浮気者にすぎませんから。やや強引な展開ではあります。
第3章「本所仇討模様」。豊後関前藩の借金依頼は、今津屋が承諾したことで一歩前進しますが、担保の決め手になったものが、明らかにされません。たぶん、磐音の身柄あたりかな、と想像はできますが、一応、不明のままに物語は進みます。磐音自身は、生活のために用心棒稼業に。依頼主の婆さんは、実はもっと若いようです。得をしたのは南町奉行所だけかも(^o^)/
第4章「危難海辺新田」。竹村武左衛門が、夜も戻らないといいます。酒に弱い欠点はあるものの、実は家族思いのマイホーム・パパが本質である武左衛門が無断外泊とは、前例のないことです。どうも、用心棒に雇われた悪徳医者の巻き添えになっているようです。磐音は、朋輩の品川柳次郎と探索に走ります。またまた得をしたのが南町奉行所。作者は、大頭の知恵者与力の出番を作るのが、面白くてしょうがないようです。
第5章「両国春風一陣」。長屋に色っぽい女が住むようになり、一波乱が起こりますが、それよりも豊後関前藩の江戸家老が、奈緒改め白鶴太夫を叱責するとかなんとか理由をつけて、吉原へくりこもうとします。まったくしょうもないアホ家老ですが、磐音の父上はあまり人を見る目はないようです。このままでは、藩の財政再建も前途多難ですね。豊後関前藩、さらに波乱が起こると見ました。
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エルガー「序奏とアレグロ」を聴く

2008年11月02日 06時36分40秒 | -オーケストラ
通勤の音楽、最近はエルガーの音楽を繰り返し聴いております。単身赴任アパートから職場まで、郊外路を車で通勤しておりますが、途中にまったく渋滞もなく、エルガーの音楽を聴いているうちに到着。ありがたい限りです。
とくに熱心に聴いているのが、晩秋の気分にぴったりの「(弦楽のための)序奏とアレグロ」作品47です。グラモフォンの「パノラマ・シリーズ」中の1枚で、2枚組に「エニグマ変奏曲」やチェロ協奏曲、「威風堂々」第1番、交響曲第2番などを収録したCD(UCCG-3807/8)に入っているものです。演奏は、オルフェウス室内管弦楽団。1985年にニューヨークでデジタル録音されています。

添付の解説書は中村靖氏のもので、これによれば、1901年にエルガーがウェールズ地方を旅行した際に、同地の人々の歌う魅力的な旋律を耳にして、これをノートに書き留め、1905年に作品として完成させたのだとか。エルガーは1857年生まれですから、40代半ば頃の作品です。

曲は、バロック時代のコンチェルト・グロッソのようなスタイルをとり、弦楽合奏とともに各部のトップ奏者が弦楽四重奏を構成するというもので、序奏の主題が田舎の晩秋の風景とマッチしてやや物悲しく響きます。続いてやや明るめの主題が提示された後に、ヴィオラのソロで美しい旋律が現れます。これが、エルガーがウエールズ地方で耳にしたものでしょうか。これらの主題が変奏を繰り返した後、速度を速めてアレグロ部へとむかいます。弦楽四重奏で新たな主題が提示され、緊密なフーガのように展開されます。このあたりは、むしろ擬古典的室内楽作品のようです。最後は、カルテットと弦楽合奏とが中心となった旋律を再現して、ピツィカートで終わります。地味ですが、こういう音楽もいいものです。

オルフェウス室内管弦楽団の名前は、ニューヨークを本拠に、指揮者なしで高い合奏能力を誇る団体として承知していましたが、実際に耳にするのは、もしかしたら初めてかもしれません。

■オルフェウス室内管弦楽団 time=13'31"

写真は、すっかり色づいたイチョウの樹です。ふつう、広葉樹は外側から紅葉していきます(*)が、イチョウは内側から黄葉するのですね。どうも、裸子植物であるイチョウの黄葉のしくみは、被子植物であるふつうの広葉樹とは違うようです。散歩の途中で、こうした観察をするのも楽しみです。



(*):紅葉はなぜ樹木の外側や先端部から始まるのか~「電網郊外散歩道」
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新潮文庫のブックカバーが届く

2008年11月01日 08時30分31秒 | 手帳文具書斎
先に新潮文庫の愛読者サービスに応募しておりましたが、このほどようやくブックカバーが届きました。写真のとおり、色は白色で、しおり紐がつき、なかなかていねいな仕上がりで、たいへん気に入りました。新潮文庫のブックカバーは、以前にも黒色のものを入手して使っておりますが、今度の白色も、対照的でいい感じです。

そういえば、文庫本のブックカバーはいくつあるのかな?

(1)新潮文庫のは、白・黒・アロハ風の3種類、各1点ずつ計3点に増えました。
(2)講談社文庫のは、赤、紺、ラベンダー、パール、ホワイトの5種類、計7点。
(3)知恵の森文庫のは、緑と黄緑の●模様のものが1種類。
(4)集英社文庫のもの、1点だけ。だいぶ古くなりましたがいまだに現役。
(5)娘の手作りのもの、1点のみ。実は一番のお気に入り。

ふだんは、娘の手作りのものを愛用しておりますが、今回の新潮文庫の白パンダは、藤沢周平の『小説の周辺』にセットして、少しずつ読んでおります。
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