電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

シューマン「リーダークライス」Op.24を聴く

2008年11月20日 06時12分41秒 | -オペラ・声楽
昨日は、今の季節としてはびっくりするほどの雪が降り続きました。幸い、先の連休にタイヤ交換を済ませておりましたので、通勤にも支障はなく、単身赴任のアパートと職場とを往復しております。

最近の通勤の音楽は、季節感に全く合わない、シューマンの歌曲集を聴いております。従来、「詩人の恋」や作品39の「リーダークライス」、あるいは「女の愛と生涯」などはLPの時代から親しんでおりました。でも、まだまだ多くの歌曲集を、繰り返し聴いて親しむまでには至っておりません。先にシューマンの歌曲大全集を入手(*)したこともあって、近ごろシューマンの歌曲集に魅力を感じております。いえ、別に恋をしているわけではありません(^o^)/

第1曲「朝目が覚めるとまず思う」。歌が、軽やかなピアノに乗ってすっと入って来ます。その自然さ。たいへんチャーミングな短い曲ですが、次のやや激しさのある第2曲に自然につながります。
第2曲「なんだってそんなにうろうろそわそわするんだ」。ピアノが切り込むように歌を主導します。速い詞と音楽が一致して、今風に言えばラップミュージックのような見事さです。
第3曲「ぼくは樹々の下をさまよう」。ピアノの序奏の美しさ。ロマンティックな気分に満ちた歌です。歌が歌として終止せず、ピアノの後奏によってはじめて終わるというあり方が、ここですでに見られます。「決して打ち明けたりしないから」と繰り返した後の、ピアノの後奏の詩的な終わりの見事さ。
第4曲「恋人ちゃん、ぼくの胸にお手々を当ててごらん」。恋人の手を取るときのようなどきどきを感じさせる短い曲です。
第5曲「ぼくの苦悩の美しいゆりかご」。これも、ロマンティックな気分に満ちた、比較的長めの、美しい曲です。歌もですが、ピアノ・パートがまた素晴しい音楽です。
第6曲「おーい、待ってくれ、舟乗りさんよ」。気分の見事な転換。ピアノが、この曲全体にわたって、歯切れの良いピアニスティックな活躍を示します。
第7曲「山々や城が見おろしている」。フィッシャー=ディースカウですから当然ではありますが、歌い手のディクションが実に見事だと感じます。もとの歌詞が韻を踏んでいるのでしょうか、リズムと歌詞とが自然に一体になっています。
第8曲「はじめはほんとうに生きる気をなくして」。短いですが、厳粛な気分を持った印象的な曲です。出だしは「霞か雲か」みたいですが、実は

はじめはほんとうに生きる気をなくして
もうだめかと思ったものだったが、
それでもなんとかもちこたえた----
へえ、どうして? などとだけは聞いてくれるな。
(喜多尾道冬・訳)

という、意味深なものです。
第9曲「愛らしく、やさしいバラやミルテで」。ピアノに誘われて歌いだし、歌がピアノによって生きている。歌とピアノの関係が、よりピアノに近い、でも歌としても素晴しい、そんな音楽です。

詩人が編んだ詩集の順に曲を付けるのではなく、作曲家が気に入った詩を選んで曲を付け、曲集全体として一つの気分を作る歌曲集を編む、そういう歌の世界を作ったことがよくわかります。そしてそれが、ピアニストを目指したシューマンが、若い頃に親しんだ歌の世界に立ちもどって作り出した、愛しい人に贈る愛の音楽でした。1840年、クララ・シューマンとついに結婚したローベルトの、歌の年の出発となった素晴しい曲集です。

演奏は、ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ(Bar)、クリストフ・エッシェンバッハ(Pf)、グラモフォンによる1970年代のアナログ録音です。もとの詩は、ハインリッヒ・ハイネによるものです。歌詞の対訳がついた立派な解説書が添付してあり、素人音楽愛好家にはたいへんありがたいものです。

(*):シューマンの歌曲大全集を購入する
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