通勤の音楽、最近はエルガーの音楽を繰り返し聴いております。単身赴任アパートから職場まで、郊外路を車で通勤しておりますが、途中にまったく渋滞もなく、エルガーの音楽を聴いているうちに到着。ありがたい限りです。
とくに熱心に聴いているのが、晩秋の気分にぴったりの「(弦楽のための)序奏とアレグロ」作品47です。グラモフォンの「パノラマ・シリーズ」中の1枚で、2枚組に「エニグマ変奏曲」やチェロ協奏曲、「威風堂々」第1番、交響曲第2番などを収録したCD(UCCG-3807/8)に入っているものです。演奏は、オルフェウス室内管弦楽団。1985年にニューヨークでデジタル録音されています。
添付の解説書は中村靖氏のもので、これによれば、1901年にエルガーがウェールズ地方を旅行した際に、同地の人々の歌う魅力的な旋律を耳にして、これをノートに書き留め、1905年に作品として完成させたのだとか。エルガーは1857年生まれですから、40代半ば頃の作品です。
曲は、バロック時代のコンチェルト・グロッソのようなスタイルをとり、弦楽合奏とともに各部のトップ奏者が弦楽四重奏を構成するというもので、序奏の主題が田舎の晩秋の風景とマッチしてやや物悲しく響きます。続いてやや明るめの主題が提示された後に、ヴィオラのソロで美しい旋律が現れます。これが、エルガーがウエールズ地方で耳にしたものでしょうか。これらの主題が変奏を繰り返した後、速度を速めてアレグロ部へとむかいます。弦楽四重奏で新たな主題が提示され、緊密なフーガのように展開されます。このあたりは、むしろ擬古典的室内楽作品のようです。最後は、カルテットと弦楽合奏とが中心となった旋律を再現して、ピツィカートで終わります。地味ですが、こういう音楽もいいものです。
オルフェウス室内管弦楽団の名前は、ニューヨークを本拠に、指揮者なしで高い合奏能力を誇る団体として承知していましたが、実際に耳にするのは、もしかしたら初めてかもしれません。
■オルフェウス室内管弦楽団 time=13'31"
写真は、すっかり色づいたイチョウの樹です。ふつう、広葉樹は外側から紅葉していきます(*)が、イチョウは内側から黄葉するのですね。どうも、裸子植物であるイチョウの黄葉のしくみは、被子植物であるふつうの広葉樹とは違うようです。散歩の途中で、こうした観察をするのも楽しみです。
(*):紅葉はなぜ樹木の外側や先端部から始まるのか~「電網郊外散歩道」
とくに熱心に聴いているのが、晩秋の気分にぴったりの「(弦楽のための)序奏とアレグロ」作品47です。グラモフォンの「パノラマ・シリーズ」中の1枚で、2枚組に「エニグマ変奏曲」やチェロ協奏曲、「威風堂々」第1番、交響曲第2番などを収録したCD(UCCG-3807/8)に入っているものです。演奏は、オルフェウス室内管弦楽団。1985年にニューヨークでデジタル録音されています。
添付の解説書は中村靖氏のもので、これによれば、1901年にエルガーがウェールズ地方を旅行した際に、同地の人々の歌う魅力的な旋律を耳にして、これをノートに書き留め、1905年に作品として完成させたのだとか。エルガーは1857年生まれですから、40代半ば頃の作品です。
曲は、バロック時代のコンチェルト・グロッソのようなスタイルをとり、弦楽合奏とともに各部のトップ奏者が弦楽四重奏を構成するというもので、序奏の主題が田舎の晩秋の風景とマッチしてやや物悲しく響きます。続いてやや明るめの主題が提示された後に、ヴィオラのソロで美しい旋律が現れます。これが、エルガーがウエールズ地方で耳にしたものでしょうか。これらの主題が変奏を繰り返した後、速度を速めてアレグロ部へとむかいます。弦楽四重奏で新たな主題が提示され、緊密なフーガのように展開されます。このあたりは、むしろ擬古典的室内楽作品のようです。最後は、カルテットと弦楽合奏とが中心となった旋律を再現して、ピツィカートで終わります。地味ですが、こういう音楽もいいものです。
オルフェウス室内管弦楽団の名前は、ニューヨークを本拠に、指揮者なしで高い合奏能力を誇る団体として承知していましたが、実際に耳にするのは、もしかしたら初めてかもしれません。
■オルフェウス室内管弦楽団 time=13'31"
写真は、すっかり色づいたイチョウの樹です。ふつう、広葉樹は外側から紅葉していきます(*)が、イチョウは内側から黄葉するのですね。どうも、裸子植物であるイチョウの黄葉のしくみは、被子植物であるふつうの広葉樹とは違うようです。散歩の途中で、こうした観察をするのも楽しみです。
(*):紅葉はなぜ樹木の外側や先端部から始まるのか~「電網郊外散歩道」