いつかはあの頂に

還暦過ぎて少し焦っている老クライマーです。いつかは昔のようにアルパインクライミングへの復帰ができたらいいねえ。

雲南旅行その5(2/3)

2011-03-23 | 旅行 雲南
朝まずは明後日の香格里拉(シャングリラ)行きの切符を買うため昨日到着した長距離バス亭に行きました。

チケットを購入後、長距離バス亭のある香格里大道沿いの地元路線バス亭で本日の目的地である束河古城行きがあるか調べましたが、残念ながら見つかりませんでした。

しかし近くの小客車(8人乗りミニバス)のたまり場で束河古城行きがあるのを発見。


小客車は満員になったら出発します。束河古城まではここから4kmほどしかないので2RMBです。

麗江古城のミニサイズ版といえる束河古城。




ですが古城街を少し外れると納西(ナシ)族の普段の生活が見れます。


一通り古城内を見て周り、古城の北の端に来たとき、観光客ではない地元の納西族の人達がたくさん山のほうへ向かってゆくのが見えました。

私は春節だし何か催し物でもあるのかと期待しつつ私も彼らについてゆきました。


どんどん山の中に入ってゆきます。そのうちバラバラになって、それぞれが違う方向に登ってゆきます。

とりあえず一人のお年寄りの後を続いて登ってゆきました。

そしてわかったのが、本日は納西族のお墓参りの日だったんですね。

お墓は山の斜面のいたるところに点在しています。

それぞれの家族がお墓にお供えをしたり、なにやら儀式めいた行動をしている集まりもいましたが、中にはシートを広げて食事をしながらどう見てもピクニックに見える家族もいました。

それにしてもなんでこんな山の高いところに墓を立てるんでしょうか?

故人を霊峰玉龍雪山のできるだけ近いところに埋葬することが供養になるのでしょうか?


私は点在する墓地よりさらに登ってゆきます。

今登っているこの尾根は玉龍雪山の南に派生する尾根に繋がっています。

ここまで登るとお墓参りの人達は上がってきません。

このままどこまでも登っていきたかったのですが、今日はもともと登山を予定していたわけでもないし、水も持たずにカメラだけ持っての勘違い登山でしたので、適当なところまで登って引き返しました。


でも玉龍雪山の端っこのさらに端っこですが、取り付いたことには代わりなく少しうれしいハイキングとなりました。


束河古城に戻って遅い昼食をとってから麗江へ小客車でもどりました。






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雲南旅行その4(2/2)

2011-03-23 | 旅行 雲南
本日は大理から麗江へのバス移動。

朝ホテルをチェックアウト後、8時40分に昨日チケットを予約した旅行社前に行きました。

が約束の時間にはまだ店は開店していません。(まあいい加減だなあ。)

しばらくすると店のスタッフがやってきて、古城横の街道にあるバス乗り場まで案内してくれました。

ぞろぞろとお客が集まります。ほとんどのお客は私と同じような格好をしたバックパッカーです。

しばらくしてけっこう綺麗な大型バスが到着。普通の長距離路線バスではなくいくつかのツアー会社が共同でチャーターしたバスでした。


大理から麗江までバスで約3時間ちょっと。

低い峠を2つほど越えて海抜2400mの麗江に到着したのは午後12時ごろでした。


少しは寒いかと思いましたが、日差しが強くて、暑く感じます。

麗江の長距離バス亭からホテルに移動しようとしたときです。

(たぶん)アメリカ人夫婦が私に話しかけてきました。(実はこの夫婦とは大理から一緒のバスで移動してきたのですが、横柄でまわりの中国人をアゴで指図し、彼らが年配なので親切に荷物を持ってあげた中国人にまで、それが当たり前のような態度を取る非常に不愉快な二人連れでした)

「あんた英語わかるか? ここのタクシーは英語がわからないから、GRAND HOTELって言ってもわからない。助けてくれ」

GRAND HOTELってたぶん私が泊まる予定の安ホテルの近くのホテルとは思ったが、この二人には腹がたっていたんで

「お前ら携帯電話もってるやろ?そんなんホテルに電話して助けてもらえ。」

と親切にアドバイスしてさしあげました。(俺も性格わるいなあ)


バス亭を一歩出ると、北側の真正面に玉龍雪山が見えます。鋭くそびえる山頂に掛かる白い氷河が輝いていました。

長距離バス停から麗江古城近くのホテルまでは歩いて約30分。

前もってもらった地図がおかしいのか、かなりホテルを行き過ぎてから、間違いに気づき後戻りするようにして見つけたホテルはなかなかの外観です。(豪華って意味ではないですよ)。古城の建物の雰囲気を十分味わえます。

ホテルにチェックイン後、麗江古城内をぶらつきました。

麗江古城は世界文化遺産に登録されていますが、古くより納西族の都であり、いまでは雲南で一番の観光地ではないでしょうか。



また納西族は、チベット系の少数民族で、東巴文字(いまだ生きている象形文字)や、ナシ古楽など独特の文化をもっています。

いままで春節は日本に帰国していたのですが、今年はこの地で春節を迎えることに感慨深い思いがします。



一通り古城を歩いた後、古城内を流れる清流(ほんとうに綺麗な水です)の源が街の北にあり、玉龍雪山の景色を鏡のように映す「黒龍潭」の池まで足を伸ばしました。


普通これぐらいの池だと、もっと水が澱んでにごるのですが、ここは玉龍雪山からの湧き水が多く、だから澄んだ清流となって市街地に注ぎ込んでゆくのです。

この「黒龍潭公園」の中に福国寺五鳳楼があります。


写真を撮ろうと一歩中に入ったときでした。

どこからともなくひとりの僧侶が忍び寄ってきて私に話しかけてきました。

「旅の人、旅の安全を祈願して進ぜよう。さあ、こちらへ」

「えっ? いやあ、別にいいんですけど」(いやな予感)

と丁重にお断りする間もなく

「*&^%$#@)!*^&*$#)(^@*:。<?「”’*^%」(なにやらお経のような呪文のような)

ありがたい?お言葉を賜ったと思ったら、いきなり開いたノートを目の前に差し出されて

「さあ、ここにお布施をどうぞ」

そのノートにはたくさんの名前とお布施金額が列記されていました。けっこう外人さんの横文字名前もありました。

「うっ!これって犠牲者名簿じゃん!」

まあ旅の安全が保障?されたと思って100RMBのお布施をいたしました。(でもなんか納得いかんけど)

お寺を出るとき、一歩踏み入れたが最後、必ず犠牲となる蟻地獄を連想してしまいました。(笑)


これから麗江の黒龍潭公園に行かれる方は福国寺には気をつけましょう。









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雲南旅行その3(2/1)

2011-03-22 | 旅行 雲南
大理古城からの20kmほど北に貴州という白族の村があります。

その貴州に行く前に貴州の近くの沙村というジ海沿いの村で鵜飼があるらしいので先に寄り道をしました。

鵜飼そのものは珍しくもなく私の地元である岐阜県の長良川でも有名です。といっても地元だと案外身近すぎて実は鵜飼見物は3回ぐらいしかないんですけど。

鵜飼見物に来ていた他の観光客の船と私の乗る船、そして鵜匠の3艘で湖の沖の方へと漕いでゆきます。

私の船には白族の漕ぎ手のオバサンと説明してくれるガイドのお姐さんの3名だけです。(説明はぜんぜんわかんなかったが、まあ見てればわかりますから)

日本の鵜飼だと鵜匠が首に縄を巻かれた数匹の鵜を操って鮎などの小魚を捕るのですが、こちらの鵜飼は首に縄を打ちません。自由になった鵜は勝手に水中に潜ってなんと大きな(絶対飲み込めないサイズの)鯉を捕ってきます。


やっぱり中国の鵜飼はなんか見ていて豪快です。

でも鵜が船の周りから飛び立たずに近くで居るのは羽根を切ってあるのでしょうね。でないと逃げて行っちゃいますから。


一通りの鵜飼見物を終えて、一端陸に上がってこの湖で取れた小エビや小魚のフライを食しました。(いやあ、塩味と胡椒が利いててこれは実にうまかったあ)

休憩間にパイプをくゆらせる鵜匠のオジサン。



鵜飼見物の後、貴州へと移動しました。貴州は南昭時代には王宮が建てられていた処ですが、現在は大理古城のようにそれほど観光化されているわけでもなく白族の普通の生活が見れます。


街をぶらつくと繁華街に出ました。観光客相手の通りではなく、地元庶民が利用する商店街のようです。


屋台村近くでラッパに興じるおじさんふたり。


貴州白族旧居にて三道茶をいただいたのはいいですが、その後やっぱりというか強引にお茶買わされました。

白族のオネエサン、商売熱心でマンツーマンで説得されて、気の弱い私は一袋でいいのに四袋も。(涙)

そのお茶は美味しかったので買うのはいいんですが、まだ旅に最初でバックパックがパンパンなんですよ。お茶のパッケージを捨てて、中身だけスリーピングバックの中に押し込みました。(なんとか入った)


バスで古城に戻った後は明日の麗江行きのバスのチケットを購入しに旅行会社へ行きました。

もう春節前だからなのでしょうか、明日の麗江行きのバスは1本だけ運行しているとか。なんとか明日の座席を確保しました。(実際にはもっとローカルな小客車(ミニバス)とかいくらでもあると思うのですが)


この日の夕食は大理古城で日本人バックパッカーに有名な菊屋(日本料理屋?)にてありきたりの中華料理。でも味も値段も満足です。
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雲南旅行その2(1/31)

2011-03-21 | 旅行 雲南
早朝ホテルを出て昆明空港に向かいます。

空港に着くと予定の飛行機はチケットより1時間も早く掲示されている!???

なぜかわからないがあわててチェックインを済ませました。ボーディングパスも1時間早め。チェックインさえすれば乗り過ごすことはないでしょう。

しかし登場ゲートに着くとやはりチケット通りの定刻の出発のようです。(どうなってるの?あせるじゃないか)

朝の8時というのに空はまだ真っ暗です。上海とは1時間半ぐらいの時差を感じます。


大理に到着後は路線バスが無いのでタクシーで大理古城のホテルへと向かいますが、途中、張家花園という古い白族の民居へ寄り道しました。

白族の伝統的な住居である三方一照壁です。中央の母屋と両側に副屋があります。中庭も趣きがあります。

白族にとって白色は特別の色であり、家の壁も白い漆喰(しっくい)で造られています。

英語の話せるガイドさんがいたのでお願いしたのですが、何言ってるのかよくわからない英語でした。(笑)



張家花園を後にして、古城近くのホテルにチェックイン後、まずはお決まりの三塔公園に向かいました。

崇聖三塔公園のすぐ手前によく似た名前の三塔倒影公園があります。うっかり間違えると余分な入場料だけ支払う羽目になります。でも三塔の写真を撮るにはこちらの公園からのほうがいいアングルで撮れるらしいです。

この周辺はさすが大理の町だけあって大理石を加工する町工場が道沿いに並んでいます。小さな大理石のカケラなんて道端にいっぱい落ちていて大理に来た記念のお土産には一番いいのかも。

三塔公園はかなり広く一番手前に有名な三塔が立ち並びます。

一番大きな塔は69mあり唐の時代に建てられたそうです。左右の塔は唐の次の時代だから、えーっと確か明かな。(違ってたらすみません)

その奥はずっと山の上のほうに大仏殿などが続きます。

三塔周辺ではスピーカーから白族の民謡なのでしょうか?大変なごむメロディーがまったり流れていました。

BGMだけ聞いていると多くのバックパッカーがなんとなく大理で沈没(旅の途中で居座ってしまう)してしまいそうになるのがわかる気がします。 (笑)

悲しいかな私は沈没が許されないサラリーマンですが。



広大な三塔公園を足が棒になるまで散策後、一端ホテルまで戻って休憩後に大理古城内をぶらつきました。

大理古城は一辺3キロの四方形の古城でその昔、南詔国(7世紀末~9世紀)、大理国(9世紀~12世紀中)の都となったのがこの場所で、約500年間、雲南の政治、経済そして文化の中心として栄えたそうです。

古城内を南北に貫く復興路、外人向けのバーやレストランが立ち並ぶ洋人路など観光客で賑わっていました。

大理は西に4000M級の蒼山と東のジ海に挟まれた標高2000Mの古都ですが、いまや雲南を代表する観光地のひとつであり中国からだけでなく、海外からも観光客が足を運んでくるようです。

目抜き通りを外れると、古城内に2万人はいるという白族の日常生活が覗けました。


ちなみに本日の夕食はインド料理。大理に来てなんでインド料理かって? たまたま目に付いて急にカレーを食べたかったからですが、嗚呼! 今日も外れです。




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雲南旅行その1(1/30)

2011-03-21 | 旅行 雲南
正午に上海より昆明の飛行場に到着後、タクシーでホテルへ向かいました。ホテルは空港近くで住所はわかっていたので歩いていくつもりでしたが、空港周りが工事中で道がわからず結局ワンメーターでタクシー利用となりました。

翌日早朝にまた飛行機移動となるので、空港から近いというだけで選んだホテルですが、到着したホテルは一見豪華そうな、外観だけヨーロッパ建築を模した趣味の悪い?ホテルでした。(日本のラブホみたい)


外見の割りに内装は普通の二星ぐらいの中国式ホテルにチェックイン後、市内にある民族村に出かけました。

半日ではとても全部みることは出来ませんが、雲南の23の少数民族を一箇所で見学できるテーマパーク型観光名所です。

それぞれの民族の住居、文化、風俗が楽しめます。所詮テーマパークという人もいますが、私などはカラフルな民族衣装を見ているだけでも十分楽しめます。


入り口を入るとすぐにガイドをしてくれる少数民族の娘さんたちが観光客に声をかけていますが、たぶん中国語オンリーでしょう。

日本語ガイドでもあれば頼むんですが。

阿昌(アチャン)族から始まって蔵(チベット)族村、哈尼(ハニ)族村、苗(ミャオ)族村と順番に見学していきます。

3時に民族村中央にある劇場で各民族の歌劇が始まりましたので、そちらに向かいました。

劇中の説明の中国語がほとんど理解できなかったのでいくつかの民族がどの民族かよくわからなかったのですが楽しめました。実際衣装だけではなかなか判別できないですね。


それにしても途中天気が悪くなってホールの中を風が吹き抜けて寒かった!

1時間半ほどの歌劇を楽しんだ後、続いて怒(ヌー)族の住居を見学します。

民族衣装のお姐さんがなにやらナンみたいな薄焼きの食べ物を勧めます。(もちろん有料ですけどね)

私は根っからナン、ホットケーキ、お好み焼き、チヂミ、ピザetc、小麦の薄焼き系が大好きなんですが、昼食も取っていなかったので一枚お願いしました。

そのナン?らしきものが焼けるまでの間お話をしました。

なんせ中国は北京オリンピックのとき漢民族の子供に少数民族の衣装を着せてオープニングセレモニーに出して批判を浴びたにも関わらず開き直った国ですから、私も一応彼女たちに尋ねました。

「あなたたちは本当に少数民族なの?」

「そうです。怒族です。」

「昆明には何時からきてるの?」

「まだ3ヶ月ですよ。あなたはどこから来たの?」

「日本から。アルパインクライマー(山岳登攀族)という絶滅危惧種の少数民族です。」

「ふーん」

(たぶんわかってないなあ)


そろそろ焼けて出されたナン?らしきものは、焼く前には黄色っぽい色だったんですが、焼けた後はなにやら緑色がかってます。

一口食べたらマッズー! 久しぶりにこんな不味いもの食いました。(笑)

「おいしいですか?」

「うっ、うん。お い し い」(涙)

いったい何でできてるんだ? 言っちゃ悪いがこんな不味いもの食わされてると私だって「怒!族」になりますよ。

水で流し込むように無理やり食べきった後、次の白(パイ)族村へと向かいました。

夕方まで適当にいくつかの民族村をぶらついた後、市内の繁華街である文林路周辺までタクシーで移動しました。

昼食の緑色のナンがまだ胃にもたれていましたが、繁華街で適当に入ったタイ料理屋で注文したタイ風味リゾットがまたしても美味くないのです。(涙)

旅行初日から食事だけはまったく外れでした。
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