いつかはあの頂に

還暦過ぎて少し焦っている老クライマーです。いつかは昔のようにアルパインクライミングへの復帰ができたらいいねえ。

雲南旅行その10(2/8)

2011-03-27 | 旅行 雲南
麗江から早朝上海行きの飛行機に乗るためタクシーにて空港へ移動。

タクシーの運ちゃんに「机場(飛行場の意味)」って言ったのに。

どうも狭い裏通りばかり通るなあ、と思っていた矢先到着した場所は。

「???.....] 早朝真っ暗な中の卸売り市場でした。

「机場! 机場! 飛机場!だよ」

なんで机場と市場間違える? それとも俺の発音そんなに悪い?  市場と間違われたのは初めてでした。(怒)

  

今回の旅行で買ってきたお土産。


大理貴州で買わされたお茶(パッケージが大きくて途中で捨ててしまったので銘柄がわからない。確か月茶とかなんとか言ってたが)
民族衣装写真集
東巴文字字典

麗江空港で買ったDVD(と思ったらVCDでした)と雲南民歌(CD)

VDCは5秒ごとにフリーズするようなカクカク映像でした。とても見れません(涙)
CDは2枚組みのはずがパッケージ開けるとなんと1枚だけ。(怒)

雲南、やってくれます。こんなところに中国らしさ感じさせてくれます。(笑)
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雲南旅行その9(2/7)

2011-03-27 | 旅行 雲南
今日は香格里拉から麗江に戻ります。

香格里拉の長距離バス亭で外人が怒鳴ってます。

「俺はバス中でチケットが買えると聞いたからバスに乗ったのに、なぜ買えない、なぜ下ろされる」

チケット売り場ではこのバスのチケットは完売されたようでした。わめかずに次のバスに乗ればいいじゃん。

お気の毒とは思いながら、時々欧米人で自分の意見を強引に通そうと偉そうにする人間を見ますが、はっきり言ってウザイです。

中国語話せとは言わないが、中国語話せない外人がガイドなしで旅行するなら、ハプニングも旅の内と割り切って楽しめるようでないと個人旅行なんてするなと言いたいです。


そのバス停で昨日の青年とバッタリ会いました。もちろん彼は次の目的地の徳飲行きのバスに乗るためです。

私の麗江行きと出発時刻がほとんど同じで、互いに旅の無事を祈ってお別れです。

平安一路! グッドラック!


そのバスは昼すぎに麗江に到着。

先日宿泊したホテルは春節から5日たったので安くなりました。春節期間中はどこのホテルも少し高くなります。

今回は3階屋上のペントハウスみたいな部屋です。ラッキー!



部屋の前にテラスがあって、玉龍雪山もよく見えます。室内設備はいまいちですが気分は最高。


午後は遅い昼食のあとホテル3階テラスのベンチで半分居眠りしながら読書を楽しみました。

明日は上海まで戻るだけです。10日間の旅行でしたが、帰りたくない気分です。

できればこのままずっと旅を続けていたい。ここからさらにチベットへと。

いつかはラサへ空路や鉄路ではなく、町から町への陸路で行きたい。そしてラサからさらに西へと。長期に渡って。

今はその旅を退職後の楽しみにしておかなければなりません。

そのときのためにお金をためて、いや、その前に家族の同意をどう取り付けるかが問題です。(笑)


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雲南旅行その8(2/6)

2011-03-27 | 旅行 雲南
本日はまず雲南で最大のチベット寺院である松賛林寺を見学。

古城前から3路の小客車(ミニバス)に乗って30分ほどで松賛林寺に到着します。

バスで到着した場所は外国人専用のチケット売り場。地元のチベット人は無料のようです。(あったりまえか)


チケットを購入した後、また広大な境内を走る専用バスに乗り、境内ないの集落を抜けて松賛林寺前まで移動します。

なにやらチベットラサのポタラ宮殿をぐっと小さくしたような寺院です。


チベット寺院の特長であるエンジ色と白色の色使いはポタラ宮殿と同じです。

寺院を左右から取り囲むような家屋は僧房でしょうか。

中央参道前の入り口付近で遠くラサに向かって五体投地をする三名の女性を見ました。


雲南のこの地より2000キロ以上のラサまでの距離を半年以上掛けて五体投地を繰り返しながら巡礼の旅をする人がいまでも居るそうで、その信仰心の強さには尊敬なんて言葉では言い表せない思いです。


私自身は宗教心の薄い人間です。それでも他者の信仰心に対してはリスペクトを持って接しております。

宗教心が薄いと自覚してはいるんですが、最近毎週のように蘇州のお寺などハイキングをかねて回っているのは歳とったせいでしょうかねえ(笑)



正面から階段を登ってゆくとき、急ぎ足で登ると息が切れてさすがに3300m以上の高度による空気の薄さを感じました。



中央の礼倉で皆に倣ってお布施(1元)をして数珠をいただきました。(でも入り口で観光客はお布施がわりの85元の入場料を払っているんです)

麗江の黒龍潭五鳳楼ではほとんど強制的にお布施させられましたが。(あれはインチキだあ、いまだ根に持ってる)


松賛林寺から市内に戻って、まだ昼前でした。

タクシーで納パ海(ナパハイ)に行きました。

納パ海は季節湖で雨季の夏には湖になって周りの緑とあわせて美しいのかもしれませんが、この時期は乾季で湖となるはずの場所は茶色の牧草地に様変わりしています。


なんてことのない草原にしか見えない納?海を見ていてもしかたないので、ここからから高原湖である属都湖(シュトゥコ)と碧塔海(ビタハイ)に行くことにしました。

市内から約20キロほど離れたこれらの湖は海抜3800m前後でしょうか。

ここに行く公共交通機関はなくタクシーで移動しました。帰りの時間の目安をつけ4時に向かえに来てくれるようタクシーの運ちゃんにお願いしました。


この辺りは国立公園になっているようで、またしてもゲートで入場料(190元!高っけー。)を支払い、公園内を循環するシャトルバスに乗ります。

バスは高原のなかを走り20分ほどで属都湖に到着。

気温はそれほど低くはないですが、湖面には氷は張っています。

湖の縁に遊歩道が設けてあり、ここをを半周分(4キロぐらい?)だけ歩いてまわり、湖の一角にある次のバスの停留所から碧塔海までまたシャトルバスで移動します。

属都湖も碧塔海も同じように湖面には薄っすらと氷が張り、穏やかな山様の風景は薄い茶色一色で、これらの湖には夏に来るのが一番美しいのでしょうね。

チベットの抜けるような青空の下で緑の映える山々を写し出す湖面の景色を想像して、桃源郷と言われるシャングリラがこれ以上観光化されないことを願いました。(が、それは勝手な都会人の願い事ですね)

都合10キロほどの高原湖の散策で入り口ゲートには4時までに戻れそうになく、あらかじめ聞いておいたタクシーの運ちゃんの携帯に電話しました。

「あと1時間ぐらい掛かるから5時にゲートで待ってて。」

「今市内で客乗せてるから、できるだけ早く行く」との返事。 (こりゃあ5時には来ないなあ)

それでも時間に間に合うよう早足で歩いたのですが、この高度ではキツイ! いい高所トレになりました。(笑)


とりあえず公園の入場ゲートで5時に予約してあったタクシーを待っていると、一人の若者が話しかけてきました。

タクシーを待っていると告げるとシェアさせてほしいとのこと

もちろんOKです。(晩飯代60RMB浮いたなあ。)

聞けば四川省で歴史の教師をやっていて30歳になる前の最後の旅だとか。

それにしてもここまでどうやって来たのか聞くと、なんと明け方の写真を撮りたくてシャングリラ市内から夜明けに間に合うように歩いてきたらしい。

氷点下の漆黒の闇のなかをよくも歩いてここまで来たもんだ。

旅、ハイキング、写真が趣味とのことだが、写真に関して言うならば、写真は偶然ではなく必然と言われるほど、ほんとうに好きで努力無しにはそのベストショットの瞬間に立ち会えないのがよくわかります。私のように趣味とも言えないレベルで風景やスナップ写真を撮っている人間には、写真のためにそこまでのことはできそうにもないです。

彼はこのあと、徳飲、そしてチベット自治区に入りラサまでバスで旅を続けるそうです。(中国の教師は長く休み取れるのねえ)


たいして遅れず5時過ぎに来たタクシーにて市内に戻った後、その青年とは互いにメールアドレスを交わして分かれました。

別れ際今年の5月労働節と8月ぐらいはたぶんこの辺りにいるので、もしあなたも来るなら連絡頂戴、と彼は言っていましたが、よほどこの辺りが気に入っているのでしょう。


その夜入ったピザ屋レストランはオーナーがイタリア人で、彼もまたこの地が気に入ってそのまま住みついたクチなのですね。



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雲南旅行その7(2/5)

2011-03-27 | 旅行 雲南
ホテルをチェックアウト後、バス停まで歩いて30分。香格里拉(シャングリラ)行きのバスは麗江を9時30分に出発しました。

麗江から西側の峠を越え、昨日行った拉市湖の横を通り抜けて、バスは金沙江沿いに進みます。

この辺りの金沙江の河幅は広く、山間部をゆったりと流れています。

途中王龍雪山、そして哈巴雪山を右手に見ながら(残念ながら私の席は左手で写真が撮れなかった)進みます。

金沙江の激流で知られる虎跳峡の町を通過して、バスは金沙江から外れて支流の小中甸河ぞいに進みます。

この辺りの渓流はなにやら岐阜の地元の渓谷の風景と似ていて、もちろん居ないのはわかっているんですが、思わずアマゴ、岩魚のポイントを目で追ったりしてしまいます。


小中甸(小シャングリラ)と呼ばれるところを通過して香格里拉に入ります。この辺りは広い高原状の様相をしており、さすがに3200mの高度があるので、道路こそありませんが雪が牧草地のところどころに残っています。

シャングリラの街に入ると麗江とは違い道路に車も少なく、なにか閑散とした雰囲気もあります。


バスは町の北外れにある長距離バス亭に止まりました。先にバス亭で明後日の麗江への戻りの切符だけ購入してホテルへ向かいます。

ところでこのバス停の切符売り場の地図を見ると香格里拉から拉薩(ラサ)までの路線が繋がっています。(もしこの後も休みが続いていたら、パーミッション無しでチベット入りを試みるかもしれないなあ)



大理、麗江と違ってシャングリラの街はほとんどの店が閉まっています。春節なんでこれが普通なのかもしれませんが、大理、麗江では多くの中国人旅行者を見ました。中国も従来は春節には親族が集まって祝いを過ごすという習貫から少しづつ変化してきて日本と同じように個人の楽しみを優先するようになってきているのでしょうね。(だいたい私がそうだもの)


ホテルには歩いていくつもりでしたが、住所だけはわかっているものの、地図も持っていなかったのでさっぱり検討が付かず、最後はタクシー利用となりました。

ホテル前には小さな公園があり、公園の石段を流れる水はすっかり凍っており、公園の池も氷が張って子供たちが氷の上で遊んでいます。でも氷が薄くって見ていてハラハラ。


しかし、高度が高いのと空気が澄んでいるせいで日差しが強く、日向ではほんとうに寒くありません。しかし日陰に入ると、さすがに寒く、日向と日陰で上着2枚ぐらいの温度差を感じてしまいます。

エアコンも効かない安ホテルの北側部屋に泊まりましたが、あきらかに外より寒いです。(こんなときのためにシュラフ持参で来てるんですが)


シャングリラにも独克宗古城という古城があります。麗江ほどではないですが、春節でも半分ぐらいはお店が開いていました。


古城そのものはどこでも観光地化されよく似た風景ですが、古城の南側に大きなマニ車のある朝陽楼があります。


多くの参拝客がマニ車を回しています。私も他の観光客と同じく一周回って願掛けをしました。

朝陽楼前の月亮広場でチベット民族などが春節の催し物をやっていました。



ここ香格里拉はチベット文化の色濃いところですが、もともとはただの雲南の片田舎の小さな鎮です。

イギリスの小説「失われた世界」でたまたま紹介されたチベットのどこかにあるという理想郷、桃源郷をちゃっかりここがそのシャングリラですと先に手を上げて名前を香格里拉に変更したという俗っぽさはいかにも中国らしく感じます。

ですから古城以外は実に建築物は比較的新しく、有名観光地になってから稼いだお金で作られた感じの街並みです。(どこが理想郷、桃源郷の名に値するのだろう?)


もっとも四川省も負けていません。ここ香格里拉から少し北にある四川省の亜丁という田舎も最近は同じ香格里拉を名乗っています。そのうち一省にひとつ香格里拉ができるかも(笑)


いくつかの民族衣装が見られますが、どこの民族かよくわからない、あるいは同じ民族でも地方地方で特色があり衣装も少し異なるようです。




でも最近は年配の人はともかく若い世代はだんだん春節や婚礼、なにかの祭り、儀式のときしか民族衣装を着なくつつあります。

当たり前ですよね。まあ私だって和服を最後に着たのは25年ぐらい前正月だもの。(すでに着物の柄さえ憶えていないです)
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雲南旅行その6(2/4)

2011-03-23 | 旅行 雲南
本日はこれといってすることもないので古城内にあったツアー会社で「茶馬古道体験ツアー」なるものに申し込みしました。

茶馬古道とは雲南のお茶とチベットの馬を交換する交易路を意味し、いまでも一部のチベット族がお茶ではなく日曜雑貨などを車の通えない深い山間の町へキャラバンをしながら物資を届けています。

その茶馬古道の体験ツアーなのですが、期待半分(ひょっとしたら本当の茶馬古道の出発地点のひとつへ連れて行ってくれるかも)と同時に雰囲気だけ味わうホースバックトレッキングに終始するのかも、という失望を覚悟して行ったわけです。

私達のツアーは四川からと湖南から来ている2組の夫婦連れと私の5名。

私たちを乗せた小客車は麗江の西の山を越え、拉市湖に向かいます。この辺りは馬場が多くあり、きっと同様のツアーがたくさんあるのでしょう。

今日の小客車の運転手はこのツアーでお客を指定の馬場に連れてゆくのは初めてらしく、なんども道を聞きながら拉市湖を半周ほど走って一番山際にある馬場に到着しました。



馬場で馬を割り当てられてから馬方2名と馬5頭で出発します。

一人の馬方は2頭の馬を引くのですが、2組の夫婦連れは馬方に引かれて、私の馬はただそれに付いていくだけです。(大丈夫なの?)

最初は村の民家の間をゆっくり進みます。


実は、実は私は馬に乗るのは初めてなんです。

まったく要領も得ず、どうしていいのかわからないのですが、とりあえず私の馬は毎日同じようにツアー客を乗せているわけだし、道だって憶えているのだから、まああまり心配もしていないんですが。

と言うわけで、ただただ馬に乗っかっているだけなんですが、この馬ムラッ気があります。

まず歩くスピードが一定でない。よく勝手に立ち止まる。急に駆け足で前の4頭に追いつこうとする。

そこで私は「てめえボケ!ちゃんと歩けよ!」って大声でもって心の中で叫びます。(笑)

いやあ、口で言ってもいいんですけど、日本語理解できないと思うし。



馬は乗り手の心理状態がわかるそうですね。

そう、こいつは俺をバカにしてます。

山間の日陰はまだ雪が凍って、ときどき馬が少しスリップしたりして、そのとき私の心臓はドキってなるんですが、(たぶん馬は絶対にこけたりしないはずですけど)

それが馬につたわるのかなあ。

一度急に走り出したとき、馬方が私に馬の横腹けっただろう?って言うわけですよ。

ワタクシ絶対に誓って何もシテオリマセン!ってば。ホントウに。


ツアーそのものはやはり雰囲気味わうだけのホースバックトレッキングでした。

しかし馬上で写真を撮るって難しいですね。意外と上下に揺れるし被写体に木々が被ってしまったりして後で見ると全部イマイチでした。

もっとも私が馬を自在に操れれば、そんなこともないんでしょうが。


途中納西族の民家でお茶をいただいた後、拉市湖湖畔近くで馬を降り、小船で少し渡ったところが最初の出発地点の馬場でした。

そこでまた昼食(普通の日本人ツアー客は食えないだろうなあと思うような食事)を取った後、麗江へと戻りました。


本当の茶馬古道には程遠いのもの、初めての乗馬体験はそれなりに楽しかったです。

2時間ただ馬上で揺られていただけなのに、緊張してすっかり肩がこってしまいました。(私は馬を引いたほうが疲れなかったように思います)

ああ、今夜は按摩行こう。


馬場にあった地図をみると本日馬で通った山道は昨日束河古城で登った登山道と玉龍雪山の南尾根で隔てられながらも続いているようです。

もっとも昨日の登山道は少なくとも最近誰かが歩いた形跡はなく、また馬が通過すると道が荒れるのでよくわかるのですが、馬の踏み跡も無い状態でしたが、車道が整備されていなかった昔は実は山を隔てて拉市湖のこの村と束河古城周辺はこの山道を利用して人が行き来していたのでは、と思えるのです。

それは茶馬古道ではないですが、100年前には馬に荷を乗せた馬方が山越えしていたのではと想像すると、茶馬古道の姿が少し見えた気がしました。
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