本日はまず雲南で最大のチベット寺院である松賛林寺を見学。
古城前から3路の小客車(ミニバス)に乗って30分ほどで松賛林寺に到着します。
バスで到着した場所は外国人専用のチケット売り場。地元のチベット人は無料のようです。(あったりまえか)
チケットを購入した後、また広大な境内を走る専用バスに乗り、境内ないの集落を抜けて松賛林寺前まで移動します。
なにやらチベットラサのポタラ宮殿をぐっと小さくしたような寺院です。
チベット寺院の特長であるエンジ色と白色の色使いはポタラ宮殿と同じです。
寺院を左右から取り囲むような家屋は僧房でしょうか。
中央参道前の入り口付近で遠くラサに向かって五体投地をする三名の女性を見ました。
雲南のこの地より2000キロ以上のラサまでの距離を半年以上掛けて五体投地を繰り返しながら巡礼の旅をする人がいまでも居るそうで、その信仰心の強さには尊敬なんて言葉では言い表せない思いです。
私自身は宗教心の薄い人間です。それでも他者の信仰心に対してはリスペクトを持って接しております。
宗教心が薄いと自覚してはいるんですが、最近毎週のように蘇州のお寺などハイキングをかねて回っているのは歳とったせいでしょうかねえ(笑)
正面から階段を登ってゆくとき、急ぎ足で登ると息が切れてさすがに3300m以上の高度による空気の薄さを感じました。
中央の礼倉で皆に倣ってお布施(1元)をして数珠をいただきました。(でも入り口で観光客はお布施がわりの85元の入場料を払っているんです)
麗江の黒龍潭五鳳楼ではほとんど強制的にお布施させられましたが。(あれはインチキだあ、いまだ根に持ってる)
松賛林寺から市内に戻って、まだ昼前でした。
タクシーで納パ海(ナパハイ)に行きました。
納パ海は季節湖で雨季の夏には湖になって周りの緑とあわせて美しいのかもしれませんが、この時期は乾季で湖となるはずの場所は茶色の牧草地に様変わりしています。
なんてことのない草原にしか見えない納?海を見ていてもしかたないので、ここからから高原湖である属都湖(シュトゥコ)と碧塔海(ビタハイ)に行くことにしました。
市内から約20キロほど離れたこれらの湖は海抜3800m前後でしょうか。
ここに行く公共交通機関はなくタクシーで移動しました。帰りの時間の目安をつけ4時に向かえに来てくれるようタクシーの運ちゃんにお願いしました。
この辺りは国立公園になっているようで、またしてもゲートで入場料(190元!高っけー。)を支払い、公園内を循環するシャトルバスに乗ります。
バスは高原のなかを走り20分ほどで属都湖に到着。
気温はそれほど低くはないですが、湖面には氷は張っています。
湖の縁に遊歩道が設けてあり、ここをを半周分(4キロぐらい?)だけ歩いてまわり、湖の一角にある次のバスの停留所から碧塔海までまたシャトルバスで移動します。
属都湖も碧塔海も同じように湖面には薄っすらと氷が張り、穏やかな山様の風景は薄い茶色一色で、これらの湖には夏に来るのが一番美しいのでしょうね。
チベットの抜けるような青空の下で緑の映える山々を写し出す湖面の景色を想像して、桃源郷と言われるシャングリラがこれ以上観光化されないことを願いました。(が、それは勝手な都会人の願い事ですね)
都合10キロほどの高原湖の散策で入り口ゲートには4時までに戻れそうになく、あらかじめ聞いておいたタクシーの運ちゃんの携帯に電話しました。
「あと1時間ぐらい掛かるから5時にゲートで待ってて。」
「今市内で客乗せてるから、できるだけ早く行く」との返事。 (こりゃあ5時には来ないなあ)
それでも時間に間に合うよう早足で歩いたのですが、この高度ではキツイ! いい高所トレになりました。(笑)
とりあえず公園の入場ゲートで5時に予約してあったタクシーを待っていると、一人の若者が話しかけてきました。
タクシーを待っていると告げるとシェアさせてほしいとのこと
もちろんOKです。(晩飯代60RMB浮いたなあ。)
聞けば四川省で歴史の教師をやっていて30歳になる前の最後の旅だとか。
それにしてもここまでどうやって来たのか聞くと、なんと明け方の写真を撮りたくてシャングリラ市内から夜明けに間に合うように歩いてきたらしい。
氷点下の漆黒の闇のなかをよくも歩いてここまで来たもんだ。
旅、ハイキング、写真が趣味とのことだが、写真に関して言うならば、写真は偶然ではなく必然と言われるほど、ほんとうに好きで努力無しにはそのベストショットの瞬間に立ち会えないのがよくわかります。私のように趣味とも言えないレベルで風景やスナップ写真を撮っている人間には、写真のためにそこまでのことはできそうにもないです。
彼はこのあと、徳飲、そしてチベット自治区に入りラサまでバスで旅を続けるそうです。(中国の教師は長く休み取れるのねえ)
たいして遅れず5時過ぎに来たタクシーにて市内に戻った後、その青年とは互いにメールアドレスを交わして分かれました。
別れ際今年の5月労働節と8月ぐらいはたぶんこの辺りにいるので、もしあなたも来るなら連絡頂戴、と彼は言っていましたが、よほどこの辺りが気に入っているのでしょう。
その夜入ったピザ屋レストランはオーナーがイタリア人で、彼もまたこの地が気に入ってそのまま住みついたクチなのですね。