日本の数あるODA案件の中でJICA(国際独立法人国際協力機構)がキルギスで行っているプロジェクトに「一村一品アプローチによる小規模ビジネス振興を通じたイシククリ州コミュニティー活性化プロジェクト」というのがあります。
イシククリ州のカラコルという町でフェルト産業(実際はほとんど家内工業ですが)を育て日本の無○良○が商品を取り扱う、そのために出荷検査のための機械の導入が必要であり、今回の納品設置となりました。
もともとキルギスはソビエト連邦より独立しましたが、なんの産業もなく独立したかったわけではないみたいですが、回りのタジキスタン、カザフスタン、ウズベキスタンなどの独立に付き合った形でソ連崩壊時に分離しました。農業就業者が全体の約50%を占めていますが、国土は内陸で乾燥しており牧畜を中心とした農業ぐらいしか産業が育っていなせん。 金はそこそこ採掘できるみたいですけど。
ということでキルギスのカラコルとういう町に出張です。
まずは岐阜から成田まで移動して成田からトルキッシュエアラインでトルコのイスタンブールまで。
飛行時間はざっと12時間です。
イスタンブールで3時間ほどのトランジットでそれからキルギスは首都のビシュケクまで5時間半のフライトです。
トルコまで飛んだ距離をまた半分戻ってきたわけですね。
ビシュケクの空港には早朝の5時半に到着。
キルギスは日本人にはノービザーです。 エントリーカードの記入さえありませんでした。
アライバルホールにはJICAのスタッフが迎えに来てくれてました。
さっそく空港から目的地であるカラコルまで車で移動です。
空港から10分も走ると左右の風景は草原ばかりになりました。
途中トイレ休憩で一回停車しただけで、あとはノンストップで7時間です。近くに観光地でもあるイシククリ湖があり売店にも浮き輪がたくさん売られていました。
あっ、いや途中村を通過するときスピード違反で一度つかまって罰金を払ったようですが、25キロオーバーで6000円ぐらいの罰金みたいでしたが。
イシククリ湖から流れる河の傍だけ緑があります。周りの山は雨量が少なくすべて禿山です。
7時間かかってカラコルに到着。宿泊先のゲストハウスです。
カラコルは首都ビシュケクから車で6-7時間のキルギスでは3番目の町(65000人)であり、ここでフェルト商品の小物入れ、バッグ、帽子などを生産して日本へ輸出しようとしています。
町の中央にあるちょっと寂れた公園
JICAの事務所がこの市役所の中にあります。
カラコルの目貫通りです。
廃校になった校舎の三階にJICAの作業場がありました。その他の部屋は使われていないみたい。
こんなフェルトの小物を作ってました。 日本で売れるといいね。
校舎の裏に自動車教習所が見えました。 白線に見えるのは白い石が並べてあるだけ。
包装作業をしている現地の女の子たち。カメラを向けるとすかさずピースサインを返されました。(笑)
ビニール袋に日本語の説明書を入れていました。
町から少し離れると山の中
午前中に仕事が終わったので昼からBBQに招待されました。
実はこの日は風が強くてテント飛ばされました。横を流れる川にはニジマスもいるようですが。
お花目当てのトレッキングもあるみたいです。
BBQではお約束のスイカ割りです。
みんなそろって記念撮影。 キルギスはロシア系と日本人とよく似たカザフ人がいます。写真の中で日本人は4名だけ。
ビシュケクに戻る途中の有名なイシククリ湖です。世界で9番目に大きく、2番目に透明度の高い湖です。近くまで行ってみたかったんですが。
JICAが手助けしている一村一品プロジェクトの商品だけを扱っているキオスクが街道沿いにポツンと一軒建ってます。
お店の店員さんに売れますか?と尋ねたところ「全然」の答え。
それじゃあ少し売上に協力しましょう、ということでお菓子と手作り石鹸(日本のTVでも紹介されたらしいですが)を少し買いました。日本円にして2600円ほどです。
たったそれだけのお買い物ですが、なんでもお店出してから最高の売上とか。
大丈夫か?JICA!
ビシュケクの町から見える天山の雪山(名前聞いたけど忘れてしまった) この山は5000mぐらいです。
ホテルから空港に行く途中、目貫通りにあるマナス像
2010年4月にクーデターが起こり現政権に代わりました。その時旧政権の軍隊が大統領府の2階からデモ隊を狙撃したそうです。そのとき亡くなられた方が86名。その名前が石碑として写真には写っていないですが全員の名前が石版に掘られていました。
今回現地で実質2時間ほどの仕事でしたが往復一週間の旅でした。
会社ではみんなから「めちゃおいしい仕事」と言われました。(笑)
ウン。おいしかったです!
イシククリ州のカラコルという町でフェルト産業(実際はほとんど家内工業ですが)を育て日本の無○良○が商品を取り扱う、そのために出荷検査のための機械の導入が必要であり、今回の納品設置となりました。
もともとキルギスはソビエト連邦より独立しましたが、なんの産業もなく独立したかったわけではないみたいですが、回りのタジキスタン、カザフスタン、ウズベキスタンなどの独立に付き合った形でソ連崩壊時に分離しました。農業就業者が全体の約50%を占めていますが、国土は内陸で乾燥しており牧畜を中心とした農業ぐらいしか産業が育っていなせん。 金はそこそこ採掘できるみたいですけど。
ということでキルギスのカラコルとういう町に出張です。
まずは岐阜から成田まで移動して成田からトルキッシュエアラインでトルコのイスタンブールまで。
飛行時間はざっと12時間です。
イスタンブールで3時間ほどのトランジットでそれからキルギスは首都のビシュケクまで5時間半のフライトです。
トルコまで飛んだ距離をまた半分戻ってきたわけですね。
ビシュケクの空港には早朝の5時半に到着。
キルギスは日本人にはノービザーです。 エントリーカードの記入さえありませんでした。
アライバルホールにはJICAのスタッフが迎えに来てくれてました。
さっそく空港から目的地であるカラコルまで車で移動です。
空港から10分も走ると左右の風景は草原ばかりになりました。
途中トイレ休憩で一回停車しただけで、あとはノンストップで7時間です。近くに観光地でもあるイシククリ湖があり売店にも浮き輪がたくさん売られていました。
あっ、いや途中村を通過するときスピード違反で一度つかまって罰金を払ったようですが、25キロオーバーで6000円ぐらいの罰金みたいでしたが。
イシククリ湖から流れる河の傍だけ緑があります。周りの山は雨量が少なくすべて禿山です。
7時間かかってカラコルに到着。宿泊先のゲストハウスです。
カラコルは首都ビシュケクから車で6-7時間のキルギスでは3番目の町(65000人)であり、ここでフェルト商品の小物入れ、バッグ、帽子などを生産して日本へ輸出しようとしています。
町の中央にあるちょっと寂れた公園
JICAの事務所がこの市役所の中にあります。
カラコルの目貫通りです。
廃校になった校舎の三階にJICAの作業場がありました。その他の部屋は使われていないみたい。
こんなフェルトの小物を作ってました。 日本で売れるといいね。
校舎の裏に自動車教習所が見えました。 白線に見えるのは白い石が並べてあるだけ。
包装作業をしている現地の女の子たち。カメラを向けるとすかさずピースサインを返されました。(笑)
ビニール袋に日本語の説明書を入れていました。
町から少し離れると山の中
午前中に仕事が終わったので昼からBBQに招待されました。
実はこの日は風が強くてテント飛ばされました。横を流れる川にはニジマスもいるようですが。
お花目当てのトレッキングもあるみたいです。
BBQではお約束のスイカ割りです。
みんなそろって記念撮影。 キルギスはロシア系と日本人とよく似たカザフ人がいます。写真の中で日本人は4名だけ。
ビシュケクに戻る途中の有名なイシククリ湖です。世界で9番目に大きく、2番目に透明度の高い湖です。近くまで行ってみたかったんですが。
JICAが手助けしている一村一品プロジェクトの商品だけを扱っているキオスクが街道沿いにポツンと一軒建ってます。
お店の店員さんに売れますか?と尋ねたところ「全然」の答え。
それじゃあ少し売上に協力しましょう、ということでお菓子と手作り石鹸(日本のTVでも紹介されたらしいですが)を少し買いました。日本円にして2600円ほどです。
たったそれだけのお買い物ですが、なんでもお店出してから最高の売上とか。
大丈夫か?JICA!
ビシュケクの町から見える天山の雪山(名前聞いたけど忘れてしまった) この山は5000mぐらいです。
ホテルから空港に行く途中、目貫通りにあるマナス像
2010年4月にクーデターが起こり現政権に代わりました。その時旧政権の軍隊が大統領府の2階からデモ隊を狙撃したそうです。そのとき亡くなられた方が86名。その名前が石碑として写真には写っていないですが全員の名前が石版に掘られていました。
今回現地で実質2時間ほどの仕事でしたが往復一週間の旅でした。
会社ではみんなから「めちゃおいしい仕事」と言われました。(笑)
ウン。おいしかったです!