昨日仕事で福島県相馬市、南相馬市の顧客の会社へ行ってきました。
原発から31キロの地点です。原発も遠くに見えました。
その周辺だけ見てみれば復興も順調そうに見えますが、話をお伺いしてみると非難された人が帰ってこなくて会社の従業員の確保も難しいそうです。また生産されていた衣類が南相馬産というだけで口に入れるものではないにもかかわらず風評被害で出荷を停止せざる得ない状況であったということです。
この会社のすぐ近くを走る6号線まで津波が来たそうで幸運であったとしか言いようがありません。
南相馬に来る途中、いまだ避難勧告で無人地区の飯館村を通過してきました。無人の商店や大型スーパーが無残にも、放置としか言えない状態で立ち並んでいました。
大企業の一建物であればまだしも、個人が何とか営んでいる商店などを捨てるときの気持ちを思うとたまりませんでした。
山間のところどころに汚染された土壌が積み上げられているのが見えました。
地元の人にとってはこの汚染土の処理にしたって、あくま除去でできるところしか行っておらず、山に降り注いだ放射能は雨が降れば流れ出てくるのは必然ですから、政府のデモンストレーションでしかないと言われていました。
私は所詮TVニュースでしか震災後の状況を見ていません。震災から3年が経過した今復興庁が91%のがれき処理とと生活インフラの90%が復旧したと言ってましたが、自分の知らないところでまだまだ復興への取り組みが不十分であったり、仮設住宅を見ていて多くの人が元通りの生活にもどるにはまだ苦難が続くことがあるのを今回この地に来ることで改めて思いました。
原発から31キロの地点です。原発も遠くに見えました。
その周辺だけ見てみれば復興も順調そうに見えますが、話をお伺いしてみると非難された人が帰ってこなくて会社の従業員の確保も難しいそうです。また生産されていた衣類が南相馬産というだけで口に入れるものではないにもかかわらず風評被害で出荷を停止せざる得ない状況であったということです。
この会社のすぐ近くを走る6号線まで津波が来たそうで幸運であったとしか言いようがありません。
南相馬に来る途中、いまだ避難勧告で無人地区の飯館村を通過してきました。無人の商店や大型スーパーが無残にも、放置としか言えない状態で立ち並んでいました。
大企業の一建物であればまだしも、個人が何とか営んでいる商店などを捨てるときの気持ちを思うとたまりませんでした。
山間のところどころに汚染された土壌が積み上げられているのが見えました。
地元の人にとってはこの汚染土の処理にしたって、あくま除去でできるところしか行っておらず、山に降り注いだ放射能は雨が降れば流れ出てくるのは必然ですから、政府のデモンストレーションでしかないと言われていました。
私は所詮TVニュースでしか震災後の状況を見ていません。震災から3年が経過した今復興庁が91%のがれき処理とと生活インフラの90%が復旧したと言ってましたが、自分の知らないところでまだまだ復興への取り組みが不十分であったり、仮設住宅を見ていて多くの人が元通りの生活にもどるにはまだ苦難が続くことがあるのを今回この地に来ることで改めて思いました。