(1)リオ五輪で日本人選手の金メダルラッシュが続く中、その常連(customer)、本命ともいえた女子レスリングの吉田沙保里さん(33)が決勝で敗れて銀メダルとなった。
時代の移り変わりを感じさせた。でも、ここではこれまで無敵の吉田沙保里さんを敗った米国選手の大健闘こそ讃えられるべきことだ。
01年から15年間無敗の206連勝(報道)という途方もない強さを示してきた吉田沙保里さんは人類最強伝説ともいわれて無敵を誇ってきた。
(2)日本五輪選手団の主将はこれまでメダルを獲得した有力選手が担ってきたが、不思議とその五輪ではメダルに届かずに結果を残せずにきた。今回のリオ五輪はそれではと無敵の吉田沙保里さんに白羽の矢が当たって、本人も快諾して五輪選手団主将(the team's captain of olympic games)として臨んでいた。
見事、五輪主将として銀メダルを獲得してこれまでの主将ジンクスを打ち破ってみせたが、同時に15年間無敗記録にも終止符を打つ結果ともなった。
(3)今回の吉田選手出場の53キロ級準決勝の映像を見たが、本来のスピードのある動きではなくてあきらかに疲労の色がうかがえた。決勝では若い米国のマルーリス選手に試合をコントロールされて、これまでのように鋭いタックルは影をひそめて完敗に終わった。
吉田選手はそもそもこれまで55キロ級リリースの選手であったが、今回の五輪からは55キロ級が廃止されて53キロ級に下げての出場となった。クラスを上げるのか下げるのは体重管理、調整のむずかしい判断だ。
(4)さらにこれまでに一旦は五輪種目から女子レスリングが排除されて、吉田沙保里さんなどの懸命の運動で復活継続が決まるなどリオ五輪出場までに複雑な紆余曲折もあった。
五輪選手団主将ともなれば、その本人が自覚する責任以上にあれこれ所用、打ち合わせも多いことが予想されて、コンディションの持っていき方に苦労もあったことはこれまでの五輪主将の成績結果を見ても考えられた。
(5)今回リオ五輪での吉田選手の動き、スピード不足が年令からくるものなのか、主将としての責任感、雑務からくるものなのか、その相乗結果(synergy)からくるものなのかは今はわからないが、五輪2位の立派な成績ながら15年間無敗の吉田選手としては不本意な結果に終わったということなのだろう。その主将としての泪だった。
日本では吉田選手のこれまでの絶大な貢献の高さを知る国民からは、賛辞、健闘、励まし、お礼の惜しみのない言葉が贈られている。当然だろう。
終わりのない記録などないのだから、体力、気力、意欲が続く限りはまた始めればいいだけだ。
(6)吉田選手が「主将として金メダルを取らないといけないところだった」(報道)と試合後泪ながらに述べているところに、敬遠された五輪主将を快諾した裏の責任感の強さ、その重圧がうかがえた。
五輪は連日のメダルの国別獲得数が示されるように国の威信をかけるものではなくて(ヒットラーは五輪を国威発揚に利用して戦争へと突き進んだ)、個人アスリートとしてただ国を代表して(国から支援も受けてはいる)その特異な才能、能力の全力をかたむける世界規模のスポーツの祭典であり、その結果としての成績に対しては個人以外にその責任を問われるものではない。
(7)本日の紙面では吉田選手の発言を受けて五輪選手団主将制度の見直し、廃止論に言及する記事もあった。
ただ、選手団を結成して五輪に臨む以上は選手組織を代表する役割(つまり主将)は必要で求められる。
それがこれから五輪大会の試合にすべてをかける有力選手でなければならないことはなくて、選手団のまとめ役としてたとえば選手としては出場できない補欠選手から適任者を選任する方法論(methodology)もある。
時代の移り変わりを感じさせた。でも、ここではこれまで無敵の吉田沙保里さんを敗った米国選手の大健闘こそ讃えられるべきことだ。
01年から15年間無敗の206連勝(報道)という途方もない強さを示してきた吉田沙保里さんは人類最強伝説ともいわれて無敵を誇ってきた。
(2)日本五輪選手団の主将はこれまでメダルを獲得した有力選手が担ってきたが、不思議とその五輪ではメダルに届かずに結果を残せずにきた。今回のリオ五輪はそれではと無敵の吉田沙保里さんに白羽の矢が当たって、本人も快諾して五輪選手団主将(the team's captain of olympic games)として臨んでいた。
見事、五輪主将として銀メダルを獲得してこれまでの主将ジンクスを打ち破ってみせたが、同時に15年間無敗記録にも終止符を打つ結果ともなった。
(3)今回の吉田選手出場の53キロ級準決勝の映像を見たが、本来のスピードのある動きではなくてあきらかに疲労の色がうかがえた。決勝では若い米国のマルーリス選手に試合をコントロールされて、これまでのように鋭いタックルは影をひそめて完敗に終わった。
吉田選手はそもそもこれまで55キロ級リリースの選手であったが、今回の五輪からは55キロ級が廃止されて53キロ級に下げての出場となった。クラスを上げるのか下げるのは体重管理、調整のむずかしい判断だ。
(4)さらにこれまでに一旦は五輪種目から女子レスリングが排除されて、吉田沙保里さんなどの懸命の運動で復活継続が決まるなどリオ五輪出場までに複雑な紆余曲折もあった。
五輪選手団主将ともなれば、その本人が自覚する責任以上にあれこれ所用、打ち合わせも多いことが予想されて、コンディションの持っていき方に苦労もあったことはこれまでの五輪主将の成績結果を見ても考えられた。
(5)今回リオ五輪での吉田選手の動き、スピード不足が年令からくるものなのか、主将としての責任感、雑務からくるものなのか、その相乗結果(synergy)からくるものなのかは今はわからないが、五輪2位の立派な成績ながら15年間無敗の吉田選手としては不本意な結果に終わったということなのだろう。その主将としての泪だった。
日本では吉田選手のこれまでの絶大な貢献の高さを知る国民からは、賛辞、健闘、励まし、お礼の惜しみのない言葉が贈られている。当然だろう。
終わりのない記録などないのだから、体力、気力、意欲が続く限りはまた始めればいいだけだ。
(6)吉田選手が「主将として金メダルを取らないといけないところだった」(報道)と試合後泪ながらに述べているところに、敬遠された五輪主将を快諾した裏の責任感の強さ、その重圧がうかがえた。
五輪は連日のメダルの国別獲得数が示されるように国の威信をかけるものではなくて(ヒットラーは五輪を国威発揚に利用して戦争へと突き進んだ)、個人アスリートとしてただ国を代表して(国から支援も受けてはいる)その特異な才能、能力の全力をかたむける世界規模のスポーツの祭典であり、その結果としての成績に対しては個人以外にその責任を問われるものではない。
(7)本日の紙面では吉田選手の発言を受けて五輪選手団主将制度の見直し、廃止論に言及する記事もあった。
ただ、選手団を結成して五輪に臨む以上は選手組織を代表する役割(つまり主将)は必要で求められる。
それがこれから五輪大会の試合にすべてをかける有力選手でなければならないことはなくて、選手団のまとめ役としてたとえば選手としては出場できない補欠選手から適任者を選任する方法論(methodology)もある。