(1)それぞれに考えて発言しているのだろうが、公共性のある立場の人が自らの立場にこだわって周りを見ずに発言すると見識を疑われることになる。IOCはバッハ会長に続きコーツ副会長が「(緊急事態)宣言下でもテスト大会が最悪の事態を想定した上で成功している」(報道)として緊急事態宣言下でも東京五輪開催可能と述べた。
(2)テスト大会は大会準備の進み具合、段取り、運営の手順を確認するためのものであり、極めて限られた規模での競技テストであり、コロナ感染拡大の緊急事態宣言下で行われる全体大会の危険度の参考にはならない。大会中の感染者が急増した場合のシュミレーション、影響力などまだ考えられていない。
組織委橋本会長も「医学、科学の知見を結集して安全安心な大会を開催する。医療に支障をきたすと厳しいので徹底的に策を講じる」(報道)とIOCを擁護した。橋本氏の発言は7月の東京五輪にではなく今国内で起きている緊急事態宣言状況、事情にこそ「発揮」されるべきことであり、そうして国内感染が収まれば東京五輪開催の期待も見えてくるパラドックス(paradox)な発言だ。
(3)IOCは東京、日本で五輪を開催するのに東京、日本のコロナ感染拡大、緊急事態宣言事情の危険負担はそちらの事情、責任で考えて対策し、どんな事情であっても五輪は開催するでは見識がみられずに逆に背景が透けて見えて説得力は見えない。
IOCは五輪の米国TV業界の大スポンサー料が財政の支えであり、仮に中止ということになれば収入減は絶たれて損害賠償問題を抱えることになり、IOCからすれば安易に中止判断はできない事情もあるコマーシャリズムが幅を利かせている。
(4)ましてすでに1年延期をしての東京五輪開催であり、IOCの今年は何が何でもの緊急事態宣言下でもの開催意向の発言だ。しかし、東京、日本のコロナ感染拡大、医療崩壊危機、国民、経済負担、規制の大きさを考えるなら東京、日本は五輪を開催できる事情にはなく、IOC本部のある欧州も同様の事情にあり
東京、日本にだけ五輪開催の負担、リスクを強いるのは見当違いだ。
(5)日本の立場からすればIOCの利権、利得のために東京、日本、国民が犠牲になってまで開催することでもなく、IOC会長、副会長、五輪組織委会長の発言は見当違いの的外れなものだ。将来またまた日本での五輪開催の機会を担保するための布石のようでもあり、しかし世界的なコロナパンデミックの中での中止は賢明な判断ともいえて責任逃れではない。
(6)五輪開催の楽観論は現実問題との深い溝を浮き彫りにして、浮世離れにみえて、IOC、五輪組織委の見識が疑われるパラドックスな事態を招いている。修正する時期(聖火リレー開始前)は逃したが、組織委橋本会長は6月に国内観戦者の有無について結論を出すと言っているので、まだ時間はある(there is yet time)。
(2)テスト大会は大会準備の進み具合、段取り、運営の手順を確認するためのものであり、極めて限られた規模での競技テストであり、コロナ感染拡大の緊急事態宣言下で行われる全体大会の危険度の参考にはならない。大会中の感染者が急増した場合のシュミレーション、影響力などまだ考えられていない。
組織委橋本会長も「医学、科学の知見を結集して安全安心な大会を開催する。医療に支障をきたすと厳しいので徹底的に策を講じる」(報道)とIOCを擁護した。橋本氏の発言は7月の東京五輪にではなく今国内で起きている緊急事態宣言状況、事情にこそ「発揮」されるべきことであり、そうして国内感染が収まれば東京五輪開催の期待も見えてくるパラドックス(paradox)な発言だ。
(3)IOCは東京、日本で五輪を開催するのに東京、日本のコロナ感染拡大、緊急事態宣言事情の危険負担はそちらの事情、責任で考えて対策し、どんな事情であっても五輪は開催するでは見識がみられずに逆に背景が透けて見えて説得力は見えない。
IOCは五輪の米国TV業界の大スポンサー料が財政の支えであり、仮に中止ということになれば収入減は絶たれて損害賠償問題を抱えることになり、IOCからすれば安易に中止判断はできない事情もあるコマーシャリズムが幅を利かせている。
(4)ましてすでに1年延期をしての東京五輪開催であり、IOCの今年は何が何でもの緊急事態宣言下でもの開催意向の発言だ。しかし、東京、日本のコロナ感染拡大、医療崩壊危機、国民、経済負担、規制の大きさを考えるなら東京、日本は五輪を開催できる事情にはなく、IOC本部のある欧州も同様の事情にあり
東京、日本にだけ五輪開催の負担、リスクを強いるのは見当違いだ。
(5)日本の立場からすればIOCの利権、利得のために東京、日本、国民が犠牲になってまで開催することでもなく、IOC会長、副会長、五輪組織委会長の発言は見当違いの的外れなものだ。将来またまた日本での五輪開催の機会を担保するための布石のようでもあり、しかし世界的なコロナパンデミックの中での中止は賢明な判断ともいえて責任逃れではない。
(6)五輪開催の楽観論は現実問題との深い溝を浮き彫りにして、浮世離れにみえて、IOC、五輪組織委の見識が疑われるパラドックスな事態を招いている。修正する時期(聖火リレー開始前)は逃したが、組織委橋本会長は6月に国内観戦者の有無について結論を出すと言っているので、まだ時間はある(there is yet time)。