なぜ祭政か、もう一度考えてみる、「祭政」は祭ることであり、その多くは人間以上のもの、人間を超えたもの、「世界文明の正統は日本の祭政である」というのは、この国の祭政システムが、まさしく、それを引き継いでいるからである。
ところで近代世界を考えるならば、それは、「人間の人間による人間のための世界」であり、人間以上ではない、そして、この結果が巨大金融資本とそれに属する人々の一人勝ちであり、アメリカでは1%の大金持ちと99%の人々に分類される、この1%のメンバーは、例えば、ゼロ金利政策で1000億円を借り、3%の利率で貸せば30億の利益、右から左の金融マジック、21世紀のマイダス王は彼らのことだ、トリプルAの企業なら50~60億円、もちろん、これができるのはメガ・バンクの側の連中。
まさしくドフトエフスキーの人神であり、人間だけの社会では、こうなることを止めることはできない、この人間の傲慢(ごうまん)をコントロールする原理はないか、それこそが、人間以上の価値・存在を中心に据える世界観であり、数百年数千年に渡る文化システムには、それだけの意味がある、もちろん古ぼけた、この文化様式をそのまま使用することはできない、また、これにぶら下がってきた利権集団が、また、息を吹き返す、だから、
「古き酒を、新しき革袋に盛る」
直近、グローバリズムの美名のもとに世界中が経済万能・物資湯万能の風潮に染まっている、グローバリズムとは近代化の徹底・拡大のことだろう、ところが、たった一か国、祭政の文化を引き継ぐ国があるではないか、だから、
「オバマよ、頭(ず)が高い」