日本人は変わってしまった、男は誇りと覇気を失い・女はつつしみと優しさを忘れ、日本はどうなるのか、もうダメかもしれない、すると台湾から来た老人、
「そんなことは、ありませんよ」
「・・・」
「りっぱな日本人がたくさんいるじゃあないですか」
「大震災の時、トモダチ作戦で派遣された黒人兵士がふりむくと、ニッポンの被災者が列を作って並んでいたんですね」
そんなことがあったのか、
「彼は、アメリカの南部のハリケーン被害のありさまを知っていた、支給される物資に群がり、奪いあった、ののしりわめき相手をつきとばし、ついには殴り合いになった、赤鬼青鬼も顔をそむけるアビキョーカンの地獄絵巻きが展開する、同じ人間であることが恥ずかしい」
「それが、どうですか、だれひとり、だれひとり列を乱さない、整然と並んでいた、物資を渡す黒人兵はナミダ、受け取る被災者もナミダ。そこに人間の営みの正統があった、あのプロテスタントの教会のできなかったことであり、東洋5000年の道徳の精華ではあるまいか」
「これこそが、キリスト教のできなかったこと、彼らの愛の教えとはなんだったんでしょう、先日、大陸の新聞が、中国人観光客のマナーの悪さ、それにくらべて台湾人はいい、その原因は文化大革命で否定した儒教にある、すると一人の台湾の若者が、
『それは、儒教の道徳のためではない、日本の台湾統治50年の成果である、公平で無私で心血をそそいだ教育の賜物(たまもの)である』
『全中国、寂として声なし』
だから、日本は、もっと自信をもってもいいのですよ」
「ニッポンはちがう、ニッポンはちがうんです、人間の誇り、さらに、東洋の誇りは、立派に立派に受け継がれているじゃあないですか」
「『あとはたのむよ』と原発の修理にむかったニッポンのオトコたち、誰かがやらなければならない、やらなければ被害が拡大する、だから、この国には、まだ、サムライがいるのです、声高にきれいごとを並べるだけのマスコミや大学の連中とはちがう、ホンモノのオトコ・サムライがいるのです、いるんですよ」
「わたしたちは泣きました、ああーいい国があった、いい人々がいた、尊敬できる隣人がいた」
「ごらんなさい、外苑のこの景色を、松のみごとさを、枝ぶりの美しさを、青い空の悲しさを、この広大な土地をビジネスのためにではなく国民の祭りのために使う、そこにはビジネスを超えた価値への尊崇がある」
「世界の人々は見ています、見ていないようで見ているんです」
「事実を捻じ曲げ、軍事力で脅し、目的を達成しようとする、そんな国を尊敬することはできません」
「日本の祭政は、りっぱに生きています、生きているんです、あおあおとした皇居のみどりが証明しています、証明しているではありませんか」
台湾の老賢人、
「わたしは、この時代に、21世紀の物質万能主義の世界に、日本のあることが、うれしいのです、うれしくてうれしくてたまらないのです」