The orthodox civilization is the festival politics of Japan

「安藤真の『世界文明の正統は』」の続き、祭政は人間中心を超え物質文明を越える、これを受け継いでいるのが日本の伝統と文化

なぜ祭政なのか 2

2014-05-08 07:48:42 | Weblog
               
 現在の祭政の側の人々の意識はどうだろう、これが、タイヘンに低い、とてもネット社会を理解し、新しい状況に対応できるレベルではない。

 有名神社をサポートするメンバーには、地方の名士や資産家・県会議員に土建業者たちがいるが、彼らの問題意識は、利権の確保や政界工作に集中する、それは、金儲けや子孫繁栄・現世の成功であり、近代を超えるどころか近代にまで到達していない。

 自我の確立と個人の自覚、個からの出発どころではない、まず話しが通じない、サウナ室でマンガを読んでいる、そっと覗くと、「サラリーマン金太郎」に「ナニワ金融道」、やけに熱心だ、そのサウナの休息室には数百冊のマンガにコミック、数年はダイジョーブ、いいからだのオトコたちが、ミョーに静かにマンガ三昧、それでも、かなりの収入をものにできるんだろう、これでは・・・

 さて、ひさしぶりの保守政権の成立で、公共事業が復活し、また100年のまどろみを楽しんでいる、そんな彼らが考えるのはマンガぐらいで、この祭政の意味を自覚し、近代世界を乗り超える原理として認知する、とても、そんなレベルではない。

 これを正当に評価できるのは、やはり、ネット社会の若者たちで、民主党政権の頃、混迷する状況を解決するために、
 「天皇親政の連合政府」

 とんでもないコメントが載った、だが、こういう意識は少ない。