The orthodox civilization is the festival politics of Japan

「安藤真の『世界文明の正統は』」の続き、祭政は人間中心を超え物質文明を越える、これを受け継いでいるのが日本の伝統と文化

スクランブル交差点に咲いた祭政の花 中

2014-10-01 06:48:28 | 世界経済
        
 あやしい奴だ、あることないことペラペラとまくしたて、大体、アルジャジーラなら分かるがナイジャジーラなんか聞いたことがない・・・

 「みなしゃーん
  カゲでこそこそいうのは いけましぇーん
  そーゆーのは はずかしいことなんですよ
  サムライのすることでは ありましぇーん
  どーどーと いきましょー
  どーどーと いきましょーね 」

 「おすもう 見ましたか
  すごいですね ひさしぶりにコーフンしました
  モンゴルの オオカミ少年が グッとにらめば
  あーら タイヘン あーら あーらら
  天下の大関 待った待ったの 2度待った
  カラダはおおきいが ノミのシンゾウ・アベシンゾウ」

 「アベのシンゾー こまったちゃん
  ジョケン・ジョケン(女権)を くりかえし
  ヒラリーさんにも すりよって 
  ああだこうだと おべんちゃら 」

 まあ、いいことをいう、これを解説すれば、選挙対策といえばそれまでだが、今のソーリ、ニッポンがどうなっているのか知らない、渋谷のセンター街では、中学生が横に5人「ワアーワアー・キャアーキャアー」、女子高生に注意しようものならチカン呼ばわり、3人寄れば2時間3時間の立ち話し、レジではすごいばあさんがよっこらしょ、わざとゆっくりサイフをあける、あっちへよろよろこっちへよろろ、通行のジャマをする、男たちのストレスはマックスに達し、キリキリと胃が痛む。

 国連でおべんちゃらをいうよりも、サラリーを上げて、男たちのサイフをいっぱいにし、ニートやハケンが自立できるようにすれば、女性の不満も解消する、なにも白人なんかにゴマをする必要なんかないんだ、
 「日本が世界に学ぶのではなく 世界が日本に学ぶべきだ」
 ニッポンには、世界に例を見ない・類を見ない祭政の文化があるではないか、そのくらいの見識を持ってもらいたいものだ。

 さて、ナイジャジーラのペラペラ男、
 「おとこいのちの オオズモー
  おとこいのちの オオズモー

  遠い遠い モンゴルで
  がんばれがんばれ イチのジョー
  ヒツジやヤギが メエーメエーメエー
  オオカミだって ウオーウオーウオー

  いいですね ニッポン
  すばらしいですね ニッポン 」

 なんてうるさい奴だ、はやく帰ってもらいたいね、あっ、聞かれた・・・
 「ちっちっちっ いけませんね」
 「なにが いけないんだ 大体 おまえはなにものだ」
 「アラブのオーサマの血統よ」
 「うそつけ ナイジャジーラなんて通信社 どこにも」
 「だから ナイじゃじーら」
 「・・・」

 「さてと スクランブル交差点 スクランブル交差点ね ヒヒヒ」