佐世保高1女子殺害事件の加害者の父親が自殺、ネットにユニークなコメント -10月5日2チャン - 、
「決して事件の責任を感じてとかじゃないだろうw
自分大好きな人っぽいから
自分の人生に絶望したんだろうね 」
これには驚いた、さらに、
「いまさら 死なれてもな
もっと早く娘とともに逝くべきだった
その機会は 何度もあった筈 」
シビアだが正鵠を射ている、ああいう性質は何千万人に一人で、あるいは、分野が違えば、天才的な仕事をしたのかもしれない。
さて、1989年の天安門事件から25年、香港の学生たちの親は、あの事件を体験しており、
「今の若者は りっぱだ」
「私たちは 臆病だった」
あの事件を知っている者は、凄惨なシーンがアタマを過ぎる、あの政府、やるだろうか、やるだろうね、一歩でも引いたら今の政権が瓦解する。
あの事件では、実際、どれぐらいが死んだか、数千人か、これと同じケースが台湾にあり、1947年2月28日に台湾全土に騒乱が発生、その原因は、大陸からやってきた蒋介石一派の行動にあり、当初は、
「大陸から お兄さんがやってきた」
大歓迎だった、だが、大通りを行進する兵士たちのみすぼらしさ、ナベやヤカンをガラガラと引きずり、ボロボロの軍服、やがて、彼らは、モノを盗みオンナを襲った、それで、
「イヌは帰ったが ブタがやって来た」
イヌは日本人、ブタは大陸から来た外省人、台北で発生した騒乱は、たちまちに拡大、そして、大陸から武装した部隊が続々と上陸し、各地で台湾人の惨殺を開始する、北京語で呼びかけ台湾語の返答は即処刑のケースがあったらしい、さらに何十人もの足にハリガネを通し海に落とす。
「花蓮の港が 真っ赤に染まった」
この時、どれだけ殺されたか、長らく不明だった、それは、正確に報告すれば、
「お前も 一味なんだな」
それで、病気で亡くなりました、今旅行中です・・・
天安門事件は、これと同じケースだろう、さらに、この時、アメリカやヨーロッパ諸国は、中国に対する経済制裁を実施、ために、中国経済はタイヘンなダメージを被る、あの政権、なんとか、この制裁を解除させようとさまざまの手を打つが、なかでも、ニッポンの天皇陛下の招聘(しょうへい)、このブログを見ている人はご存じだと思うが、日本の天皇は世界の二大権威の一方なのだ、まんまと利用された。
この辺を、この国の新聞・テレビは、しっかりと報道するべきなのだが、どんなものだろう。
天皇の訪中を推したのは親中・媚中の政治家だけではなく、やはり、この国の経済界、そう、この国のガンは、中途半端な経済人と日本経済新聞なのかもしれない。