The orthodox civilization is the festival politics of Japan

「安藤真の『世界文明の正統は』」の続き、祭政は人間中心を超え物質文明を越える、これを受け継いでいるのが日本の伝統と文化

憲法と仏法 3

2015-08-10 22:00:14 | 世界経済
                  
                  
 アメリカとの貿易交渉で、牛肉の自由化を主張するアメリカの担当者に日本の政府高官が、自由化にすると、
 「価格の安いオーストラリア産に なってしまいますよ」
 すると、
 「それでもいい」
 「・・・」
 「われわれは fairness(公平さ)を求めている」

 大乗仏教の側面はfairness、十善戒は、ちいさな・よこしまなこころを戒めている、だから、
  正法興れば 国興り       
  正法廃れば 国廃る         
 これは、
  fairness おこれば くにおこり   
  fairness すたれば くにすたる
  
 ルールを守らない、あの国に未来はあるのか。    

 仏法が祭政社会を支え、清く・さやく・あけらけき町人文化を進展させてきたのが、この国の歴史であり、それが、明治政府の「神仏分離」によって破壊された、江戸の人々のモラルは高かった、八っつあん・熊さんの町人でさえ、
 「そんなことをしたら オテントーさまに はずかしいよ」

 ごく一般の人々までが、はじらいと誇り・おもいやりのこころを持っており、当時、この国を訪れたヨーロッパ人を驚かせている、それは、神と仏の融合が生み出す素朴なこころ映えであり、薩長の田舎者には、及びもつかないダンデイズム、だから、現代の日本人の劣化は、ここから出発している、と思う。

 薩摩や長州は、今でも田舎だろう、田舎には、田舎の限界がある、粋でお洒落じゃあない、明治・大正・昭和の時代は、あっけらかんとした江戸の文化にくらべると、うすぐらい。

 ところで、近代社会の問題だが、近代の二大要素は、
 1、中央銀行の創立    
 2、近代人の誕生    

 なんといってもお金、国という運命共同体のお金を集中して、合理的効率的に運用する、
 1668  スェーデン
 1694  イギリス     

 この2カ国の中央銀行の創立こそが。近代化の流れを造った、その金で大砲を造り、産業革命を断行する、そして、近代人の問題はデカルト、だから、社会のシステムと経営はアングロサクソンで、個人の問題はフランス、今でも、この構造は、生きている。