Sea thousand and Mountain thousand の大人たちは、めったなコトでは動かない、生命の危険か生活の危機、ところが、アメリカの半数がトランプを支持している。
それだけ追い詰められているんだろう、巧妙に構築された「高度情報管理社会」を変えるのは、そんなにカンタンではない、アメリカの人々、分かっているようだ。
翻(ひるがえ)ってニッポン、中国に工場を作り・中国人を雇用し・中国の経済成長を助ける、「経済力の増大は軍事力の増強」、ヘンな自信をつけさせてしまった、南シナ海での領有権の主張、漸(ようや)くにしてキバをむきはじめた、この一連のプロセスを報道しなかったマスコミ、特にNHKと日本経済新聞の罪は深い、それと、自民党のあのセンセイたち。
さすが暴言王、これまでの大統領が言わなかった、
" Washington flourished but the people did not share in its wealth ."
ワシントンが栄えても 国民はその恩恵を これっぽっちも受けていないのだ。
いならぶ歴代の大統領の前での発言、さぞかし耳が痛かっただろう、グローバリズムで巨万の利益を得た企業・社長・投資家・金融業者つまりアッパー・クラス、そして、そのオコボレに預かろうとするハイエナ・マスコミ、ニッポンも同じかもしれない。
" Politicians prospered but the people did not share in its wealth , the jobs left and the factories closed ."
政治家は肥(ふと)ったが、国民はその富の分け前を受け取っていない、それどころか、職を失い工場は閉鎖だ。
あのオバマも、その Politician(政治屋)の1人、それにしても、こんなに言ってもいいのだろうか、暗殺されないか。
" The establishment protected itself but not the citizens of our country ."
支配層は財産を守り通したが、我々の国民は、そうではなかったのだ。
”but not the citizens of our country "の "our country"特に "our"に新大統領の万感の思いが込められている、この一句が光っている、輝いている、多くのアメリカ人が、暴言と迷走と混乱の中に、これを見ている、これを感じている。
「少年のような正義感」では無さそうだが、アメリカン・シチズンの半分が支持しているのは事実、どうなるんだろう。