あの10部族は、紀元前538年、彼らはエルサレムに帰らなかった、なんという決断であろうか。なんという勇気であろうか、人類史上、これほどの問題提起があっただろうか、
「ヒトは 正しい美しい神とともに生きなければいけない」
彼らは、現在のPalestineを見透かしていたのかもしれない、
「自分勝手で こすっからい 残忍な神さまを 信じていれば 同じコトをするようになる」
それが「宗教の魔力」、どうして、そのくらいのことが分からないのか。
エルサレムに戻った2部族から、あのキリストが出現し、キリスト教を広めだのだが、コンスタンス帝に換骨奪胎(かんこつだったい)され、中世ヨーロッパ世界の支配原理とされる、巧妙に利用されたのだ、そして、近代社会ではProtestantのエンジンとなって発展するのだが、その骨子は、やはり狡猾(こうかつ)な自己本位主義、だから、大航海時代では、世界の各地に植民地を造り、巨万の富を強奪してきた、これはあの2部族のDNAのおかげだろう。
漸(ようや)くにして、その桎梏(しっこく)から逃れることができそうだ、人類は2500年の回り道をしたのかもしれない。
あの10部族の洞察は正しかったのだ、さて、その10部族はどこに行ったのか、ひょっとすると、ひょっとすると、うん、そう、この列島に来ていたのかもしれない、この国の文化と伝統の中に溶け込んでいるのではあるまいか、
「きよく・さやく・あけらけき」
初冬の木々を渡る風に、彼らのほほえみが通り過ぎていった。