今の憲法は近代的価値観の産物であるとしたら、実際そうであるのだが、中世のヨーロッパ世界の価値観はどうであったか、それは、
「神が すべてである」
もちろん、この神は、キリスト教の神、だから彼らの強欲な思考と行動の源泉は、この神から来たことになる。
「神がすべて」とは、まさしく「すべて」であり、これほどカンタンなことはない、中世の世界では、
1、生きることのすべて
2、死ぬこと
3、不幸になること
4、病気になること
5、災難にあうこと・・・
これらのすべてが神さまの手によるもので、不合理・不条理であっても、それは「神さんの試(こころ)み」であり、それらが襲(おそ)っても だまって引き受けなければいけない、しかし、ある重要な儀式の時、地震で教会が崩壊して多くの信者が死んだ、さすがに、
「これは ひどい」
「これも 試みというのか」
「神さまは 何をしていたのだ」
教会の権力は低下しており、もう抑えきれない、信者のこころは離れていく、その時、
「神は この世界を造った」
「造ったが 去ってしまったのだ」
「だから 我々は 神の言葉を信じる必要はない」
「この世界の法則を調べ それを追究し利用すればいいのだ」
。
神学から科学へのバトン・タッチ、ダイナミックで騒々しい近代世界の誕生である。