The orthodox civilization is the festival politics of Japan

「安藤真の『世界文明の正統は』」の続き、祭政は人間中心を超え物質文明を越える、これを受け継いでいるのが日本の伝統と文化

The ninth article of the Constitution‣新憲法と戦後のニッポン 7

2017-12-14 03:16:09 | 世界経済

 今の憲法は近代的価値観の産物であるとしたら、実際そうであるのだが、中世のヨーロッパ世界の価値観はどうであったか、それは、
 「神が すべてである」

 もちろん、この神は、キリスト教の神、だから彼らの強欲な思考と行動の源泉は、この神から来たことになる。

 「神がすべて」とは、まさしく「すべて」であり、これほどカンタンなことはない、中世の世界では、
 1、生きることのすべて 
 2、死ぬこと  
 3、不幸になること  
 4、病気になること    
 5、災難にあうこと・・・

 これらのすべてが神さまの手によるもので、不合理・不条理であっても、それは「神さんの試(こころ)み」であり、それらが襲(おそ)っても だまって引き受けなければいけない、しかし、ある重要な儀式の時、地震で教会が崩壊して多くの信者が死んだ、さすがに、
 「これは ひどい」
 「これも 試みというのか」
 「神さまは 何をしていたのだ」
 教会の権力は低下しており、もう抑えきれない、信者のこころは離れていく、その時、 
 「神は この世界を造った」
 「造ったが 去ってしまったのだ」
 「だから 我々は 神の言葉を信じる必要はない」
 「この世界の法則を調べ それを追究し利用すればいいのだ」

 神学から科学へのバトン・タッチ、ダイナミックで騒々しい近代世界の誕生である。